一昨日、昨日読むためのペーパーを持って帰ったので、今日はそいつとPCをリュックに詰めて出勤です。重い…。両肩でリュックを背負うようにしていますが、これはこたえる。たぶんガッコに着いたらきついだろな。
職場に着いたら、今日は何するかを考えます。昨日残しておいたメモには「府人教/公募」と書いてあります。そうか、こないだの会議でレポート引き受けてしまったんだよな。てか、
「夏季研に出してないのに、ええの?」
と言ったら
「出して出して!」
と会長まで言ってたしなぁ。内容は「多様性ワークショップのとりくみ」です。すでにゲンコがあるので、それをA4版2枚にするだけの作業です。とひま、いろいろ削って、オチをつくって、午前いっぱいで完成。しかし、こんな低いクオリティでいいのか(笑)?
午後は持ってきたペーパーを読みます。すでに何度も読んだペーパーだけど、おさらいです。1988年のこのペーパーは、何度読んでもすごいです。あとは3回あるレビューですね。これで大きな流れがわかります。流れがわかれば、わたしの入る場所がおのずと顕在化するはずです。てか、たしかどこかに場所をつくってくださってたはずです。えーとえーと…。見つけた!
そうか、こんなニッチなところに書いてあったんだ…。
さらに、なかなかおもしろい指摘がなされてるペーパーがあったので、そいつをパラパラ。てか、これも読んでた。
従来、ジェンダー研究は女性と男性のギャップに着目してたけど、女性がひとかたまりなはずがないわけです。そこで、女性内分化に着目したペーパーです。
実はこの手のことは、すでにウィリスもやってるし、最近では知念さんの本もあります。が、いずれも「男性内分化」であって、女性はひとかたまりで見ています。もちろん、例えば知念さんはそれをわかったうえでやっておられるのですが…。
で、ペーパーを読んでいくと、そうやってカテゴリーをつくっていくのかとか、社会の要請をそのようにして内面化していくのかとか、女性内のトラッキングが見事に描かれています。
これ、使えるかも…。
とは言え、読むのは楽しいけど、書けない…(;_;)。
投稿者: ituki
次の方向を向く
今日はちょいと用事で休みをとりました。とは言え、いつもの時間より早く起きてしまうのが悲しいです。まぁ理由はいくつかあるのですが、そのうちのひとつが「肩が痛い」です。というか、こわばってる感じかな。で、早朝から別件をひとつこなして、いよいよ今日の用事です。うまくいくかなと、ちょっと不安でしたが、家庭訪問の結果を受けてか、かなりスムーズに行きました。やはり「次を向いた」ってのが大きいのかな。
それにしても、手続きがたいへんです。あそこに名前を書いて、ここにハンコを押して。ただ、めんどくさかったのが「男扱い」されたこと。気がつくと動悸が激しくなって気分が悪くなってきて、ここまで身体症状が出るんだなと、あらためて思いました。
その後、パートナーと王将へ。実は、日曜日も一緒に来たんですよね。まぁ、ひとつ大切で大きなことが「次」へといったので、「おつかれさま」ってことです。
少し早めにすべてがおわったので、久しぶりにゆらゆらしながらペーパーを読んだり。
まぁ、穏やかに一日が過ぎていったかな。
おべんきょ部屋
ガッコって、とにかく資料がないです。少しつっこんだところまで調べようと思ったら、なにもない。もちろんないわけじゃないです。でも、あまりにも少ない。
例えば部落史の教材をつくろうと思ったら、やはり資料が必要です。家には『京都の部落史』(全10巻)をはじめ『井手の部落史』『近江八幡の部落史』などガチのがあるし、『近代日本と公衆衛生』みたいなのもあるし。在日朝鮮人にかかわる教材の資料だってガッツリあります。障害についてはないな。そしてジェンダー・セクシュアリティについてはガッコとは比較になりません。
なのに、出勤しなきゃならない。
たぶん、制度設計がおかしいんですね。もともとは高校教員は専門性が高いと考えられていて、自宅研修とかあったけど、35年くらい前から「ガッコにいるのが仕事」ってなりました。もちろん「研修」ってのはあるんだけど、自宅は認められません。もっとも、前のおべんきょ場所の図書館とか行っても、ジェンダー・セクシュアリティ系だとうちのほうが資料はたくさんあったりします(笑)。あ、部落史もうちの勝ちかな。資料なんてのは、そういうものなんですよね。
つまり、高校教員がそういう資料にあたるってことを考えない制度設計になってて、それは高校教員はそれほどの専門性をもたないって考えられてることとつながってる。てか、最近は大学教員ですらそんな感じか。でも、大学だったら研究室があるからな。
さて、休校中におべんきょしようと思うのですが、あまりにも環境が整ってない。どうしたものかと思ったけど、ここで「あるじゃないか!」と。放送室です。電話はあるので連絡はつきます。ネットがないから逃げなくてすむ(笑)。これはいいかも。
てことで、とりま、めぼしい本をキャスターバッグに詰め込んで放送室まで持っていきました。まぁずっとこもるわけにはいかないけど、ここを使っておべんきょしよう。
家庭訪問
今日は某所でちょっとこみいった話。わたしが用事があって行ったわけだから、本来は私が話をしなくちゃはじまりません。でも、こみいった話って、それではダメです。こういう時は、自分の話をするのではなく、相手の話を聞くところからはじめなきゃなりません。もちろん、上からどかんと押さえつけるのも方法ですが、それはあくまでも外圧です。内圧じゃないから、きっとやがて「あれ?」と思うときが来る。そうなったら、今日来たことの意味がなくなります。
とりあえず、1時間半ほどゆっくりと話をして、終了。
帰りの車の中で、「これ、どこかで経験した感覚だなぁ」と思ったんですが、思い出しました。家庭訪問だ。
こみいった話をする時は、テーマを出したあとはまず相手の話を聞く。それを教えてくれたのは、今まで出会ってきた子どもたちや保護者のみなさんなんですよね。それがこういう形で役に立つとはなぁ。
今日も断念→居場所
今日はもともとは『いつまで続く「女人禁制」 排除と差別の日本社会をたどる』の出版イベントでした。が、もちろんこのご時世なので中止。その後、「合宿やるよ」という連絡があって、これは行かねばと思っていました。が、病み上がりのパートナーがいる状況では、さすがにヤバイです。というか、基本的にメンタルは落ち気味なので、やはりやめておこうと。
ということで、午前にひとつ用事をして、あとは家でゴロゴロ。いや、ゴロゴロはダメです。おべんきょしなければ。
ところが、場所がない。今は上の子どもに占拠されています。わたしのおべんきょ部屋は、なにやらパートナーがギター教室にZOOMで参加するとかで、スタジオ化しています。台所は居間と続いているので子どもの占拠の延長です。居場所がない。どうしたものか…。
あそこだ!
かつて寝室に使っていた2階の洋室があります。ここも使いにくいんだけど、唯一、ハイベッドの上は使えそうです。ここ、かつて寝ていた場所です。なつかしいな。はしごの上り下りはちょっときついけど、登ってしまうと居心地がいい。居場所がないなと思った結果の居場所はいいな。
せっかくなので
ほんとうは今日の朝一番に子どもたちに見せるつもりだった今年のリメイク部分、せっかくなのでここにあげておきましょう。
基本は最初のバージョンですが、それの前段にをスライド化したものを入れて、さらに「最初のバージョン」の「6」以降を下の内容に入れかえることで短縮させようと。で、入れかえた内容はこれ。
エレノア・ルーズベルトのいう「小さなところから」ってどういうことか。
キーワードはふたつある。
ひとつのキーワードは「助けて!」
「助けて」は負けの言葉じゃない。自分がしんどい場所に置かれてることをアピールする言葉。例えば、いじめられてても「仲間からいじられてるだけ」って思ったら「助けて」って言えない。これはいじめだと思うから「助けて」って言える。
つまり、なにが理不尽であるかということを見抜く力が必要。簡単に言えば「なにがあかんのか」を知ってないと言えない。そしてもうひとつは「あかんのちゃうん」
「助けて」っ言える社会は「あかんのちゃうん」という人がいる社会。
いじめの現場で「自分はやらない」ではなく「あかんのちゃうん」
「ガイジ」とか「ホモ」と言ってるとき「あかんのちゃうん」
外国人に「国に帰れ」と言ってるとき「あかんのちゃうん」
それは「人」に向くだけじゃない。例えば性暴力が許されたり女性にパンプスを強制する社会に対して、「あかんのちゃうん」
でも、なにが「あかん」かは、それを見抜く力が必要。例えば「ホームレス」を見たときに、どこに向かって「あかんのちゃうん」って言うかやね。本人に向かって「あんたの努力が足りんからあかんのちゃうん」というのか、ホームレスが生み出されてきた社会を知って、その社会に向かって「ホームレスがいる社会があかんのちゃうん」というのか。
そして「あかん」と言えるためには練習することが必要。「なにがあかんのか」。それを知るのが人権学習。そのために「あかん」と声を上げてきた歴史や人と出会う機会をつくる。そして高校3年間で「あかん」とどんどん声をあげていってほしい。ちなみに声をあげたからすぐに変わるわけじゃない。でも、へこたれたりあきらめたらアカンよ。
それはさっきのビデオにもあったよね。
まぁでも、休校措置があけたらやる機会をつくらなきゃね。
うれしかったひととき
朝、いつもの時間のいつもの電車のいつものドアのところに並んで、だいたいいつものところに座ります。あたりを見渡すと、いつもの人々が座っておられます。
それにしてもお客さんはメッチャ減ってます。てか、駅の改札のあたり、1年前はキャスター持った人がウロウロしてたのに、今はまったくいない。
家にいる時や職場にいる時はCOVID-19の影響を感じるというより肩の骨折の影響のほうがよほど感じるけど、テリトリーから一歩出ると、すんごい変化を感じます。
で、電車の中で座ってると
「お久しぶりです。〇〇です」
とあいさつされました。
〇〇さん…。誰だ…。メッチャ人のいい柔らかい物腰の人です。うーん。
学校関係ではないな…。えーと、女装関係?スキンヘッドにされてるから、ウィッグつけるとわからんぞ?
でも、隣同士で悩みまくるのもアレなので
「なんの知り合いでしたって?」
と質問。すると
「DARCです」
おー!こないだお世話になった!
「龍谷大学でもお世話になりました」
っ言われて恐縮するなど。
ここからは、木津川ダルクの感想を話したり、逆に木津川ダルクの近況を教えてもらったり。
「今日も何があるかドキドキワクワクです」
とか、ほとんど担任気分ですね。
そうそう、なんでもLGBT関連の人が集まるのもあるんだとか。そりゃそうでしょうね。
最後に
「また遊びに来てくださいね。クローズなとき以外は来てもらったほうが刺激があっていいんですよ」
と言ってもらったり。
それにしてもうれしい。電車の中でダルクの人から声をかけてもらえる高校教員ってどれくらいいるだろう。もしかしたら、アライではあるけど、少し仲間にカウントしてもらえてるのかもしれないなと思う朝でした。
ちなみに職場に行って
「ダルクの人に声をかけてもらってメッチャうれしかった」
って報告したら
「おー、すごい!」
って反応してたから、うちの職場も悪くないな(^^)。
つくってみた
この間、立て続けに昨年度書いた文章が掲載されたものが送ってこられたので、せっかくだからこっそり公開しようかと。
てことで、おべんきょ成果のページをつくってみました。ただし、正式に公開されたら、そこへのリンクにしますけどね。
そういうふうに見えてるのか
今日は午前に始業式、午後に入学式のダブルヘッダーです。久しぶりに放送室がにぎわいました。
ちなみに、今年は他校で放送部の顧問してた人が顧問になってくれたので、もしかしたら引き継ぎができるかもしれません。だとしたらラッキーです。ただ、うちの放送部の活動は変やしなぁ(笑)。
てことで、放送セットやったけど、なんか動きが鈍いですね。みんな忘れてるのかなぁ。まぁ忘れるやろなぁ。PCから音が出ないと思ったら、ピンジャックを標準ジャックに入れてるというか置いてるというか。やれやれ。
でもまぁ、なんとかつつがなく両方とも終えて、片づけでのこと。
今日はクラブやってる子がいないので、教員だけで片づけなきゃなりません。まぁ放送部は手伝いますがね。で、ゴチャゴチャやってると、その場で指示をしてるある教員が
「男の先生〇〇やって。女の先生〇〇やって」
と言ってるのが聞こえました。瞬間、我が耳を疑いました。いや、こういう人がいるってうわさには聞いてたけど、目の前でこういう発言が出てくるとびっくりしますね。しかも、みんなそれに従ってるから、これまたびっくりします。
でも、たぶんあの教員には、生徒も教員もそう見えてるんでしょうね。すべては男女にわかれていて、しかもそれは絶対的な「違い」なんでしょうね。そうやって育ち、それを疑わない環境におり、そういう価値を内在化し、それを自分の価値観の原点に据える。
もちろんわたしも、なんらかの内面した価値観は持っているだろうと思います。が、幸いなことに、これまでいろんな人から修正をかけてもらったことで、そうした価値観は常に揺らぎ、絶対化してこなかった。もちろん今のわたしは価値観の原点はあるけど、それはおそらくそういう揺らぎののちに獲得したものだし、それはこれからも変わりうるとも思っています。
ちなみに、わたしは別の用事をしていて、一緒に用事をしていた副支店長に
「聞いた?」
って言ったら苦笑いしてたから、この副支店長に見えている風景は、けっこうわたしと近いのかな。
たぶんあの教員はよほどのことがなければ変わることはないだろうな。その「よほど」を起こすために必要なのは、あの出来事を他の教職員と話し合うことかなぁ。
いろいろ格差が広がるな
今日は所要で車出勤です。ふだんより10分早く家を出たのに、職場に着いたのは40分早かった。道がすいてるってのはあるんだけど、電車通勤はあまりにも時間がかかりすぎだな。まぁそれと引き換えに安全ですけどね。いろんな意味で。
そういや、昨日の夜に「明日の夜に緊急事態宣言を出す」って言ってたけど、それは緊急やないやろ。まぁそういう話なんですね。
で、朝いろいろ話をしていると、校内放送が。なんでも8時30分から職員集合だとか。てことは休校だな。
そもそも昨日京都市教委が休校を言った時点でわかってた話です。というのは、京都市内にある高校は市立より府立のほうがはるかに多い。もしも府教委が休校と言わなかったら「なんで」ってなりますからね。
てことで、午前からはじまる会議はすべて午後からになりました。ぽっかりあいた時間は、それはそれなりにやることがあるので、ダラダラ仕事。
午後の職員会議では、今後のことについて話。
とにかくゴールデンウィークあけまで休校。ただし、適宜登校日を設けて、そこで課題を渡すとのこと。なるほど。
しかしこれ、教育格差が広がるな。だって、課題なんてできる子しかできない。できる子はやるからできるだろうけど、できない子はできないからやらない。これが5週間続くと、かなりな差になりそうです。
じゃあオンラインで授業する?無理ですね。まずはトラフィックの問題がある。さらに家にネット環境があるかどうかも大きい。もしもなければパケ死です。それを避けるためにwifiスポットに行くのは本末転倒。てか、オンライン授業で「できない子」がなんとかなるとは思えない。
もう、いっそAIに家庭教師してもらうか(笑)。いやだって、高校教員は代替不可能な仕事に入ってなかったしね(笑)。
と、大学教員の方からメール。教育実習関係がズタズタらしいです。いやでも、ここで規定通りにやったら教員免許とれない新卒が大量発生するぞ。さらにN入さんから「夏のチケットとるのは待ってね」メール。夏の講義がオンラインになるかもとのこと。となると、免許更新講習がどうなるかやね。下手すると、免許失効者が続出かも。てことは、来年はえらいことになるぞ。
そもそも、日本の制度ってどんどんガチガチにしていくからこんなことになるんです。こういう事態になったときになんとかする能力をつけようとしたのが「PISA型学力」なわけで、それを推進しようとしてる人が一方でガチガチにしちゃうってことは「PISA型学力」を持ってないってことなわけで、まずお前らから(笑)。
てなことを大学教員の方にメールしたら「おっしゃるとおり!まったく同感」とのお返事。まぁそういうことですね。
そんなことを考えながら、とりあえず明々後日配布する分の課題をサクッと作成。とにかくこのあと印刷機の奪い合いが予想されるので、その混雑に巻き込まれる前にやってしまうのが吉です。
それにしてもと思います。
子どもたちは休校措置で感染リスクが下がるからいいです。が、教員はどうする?教員だって感染リスクがあるし、教員だってだれかと同居してる人が多いです。教員の感染は教員の感染にとどまらず、地域の感染でもあります。
「それは教員だけじゃない」
って話をしたいわけじゃなくて、教員「も」って話なんです。「学校」というと、つい「生徒」ってなりがちだけど、教員もまた学校にいること、そして教員もまた公共交通機関で通勤してることが忘れられがちであるってことです。ちなみに、京都の高校は自家用車での出勤は大丈夫ですが、大阪は「教職員が学校の中に車を置くのはダメ。近くに駐車場を借りろ」とかいうわけわからんことを言ってて、ほとんどの人が公共交通機関を使って通勤してるんですよね。
なんでも時差出勤を認めるとのことですが、その出勤時間、ふだんの出勤時間やし(笑)。
ロックダウンしても、感染リスクが高いままの人はもちろんいます。そういう格差はたしかに残る。が、社会全体を見渡したときに、全体的な感染リスクを下げることが、感染リスクが高い人のリスクを下げることにつながる。つまり格差を縮小することにつながると思うんですよね。
