朝、目覚めはまぁまぁです。まだ4月がはじまったところだからかな。
とりま出勤。今日は1年生の「世界人権宣言」の授業があるので、1年の担任さんにごあいさつ。その後、職朝→立番からの1時間目・2時間目と授業です。
まぁしかし、今年も「持ち」が楽ですね。実は昨年度末、もっと楽な「持ち」になりそうだったんだけど、3年生の授業にかかわってほしいとのことで、今の「持ち」になりましたが、充分に楽です。ありがたい。
てことで、さっくりと授業をすませて6時間目の準備です。みなさん
「やることがあれば手伝いますよ」
と優しい言葉をかけてくださって、これもうれしい。でも、いつものことなので、特にないんですよね。たぶん他の人だったら大ごとなんだろうけど、そんなこともなく、さっくりと準備終了。
さてと。プレゼンに向き合いますか。
実は今日まで40分授業なので、短縮バージョンにしなきゃなりません。どこを切るか。やはりここかな。そうた。この間鳴らなかったから、リベンジしよう。そんなこんなでプレゼンの修正完了。体育館に行きますか。
やがて1年生が入ってきました。やはり緊張します。なんか、整列とかに時間がかかってるので、「早くしろ」と念じます。やがてみんな座ったところで、「I of the fire」スタート。なんとなく「しゃべり」はなしにして、スクリーンだけで「語る」ことにしました。みんな苦笑しながらも、スクリーンをじっと見てくれてます。いい感じです。ここから30分ほどいつもの通り、動画としゃべりで走りきりました。
終わったあと
「あんなんでよかったですか?」
と1年生に聞くと
「メッチャよかった!」「あの演出よかった!」
と好評だったので、よしとしましょうか。
ちなみに、新採の副担当さんも
「自分が受けたことのない授業でした」
と言ってたので
「オシャレに、かっこよく」
と言っておきました。
さてと。終わったら撤収です。そこでも生徒さんに
「どうやった」
と聞いてみます。と、ある生徒さんが
「モヤモヤする」
と。どうやら「ホームレス」のところでモヤモヤしてるらしいです。つまり、自己責任の部分もあるだろうと。そこきたか。
しかたないので「この社会のセーフティーネットは意外と脆弱」という話をしたり「他者の合理性」みたいな話をしてみたり。
さらに「権利」の話になったときに
「自分は権利っていうのは選べることと思ってる」
と。例えば、選挙権があるということは、「選挙に行くかどうかを選べること」ということらしいです。まぁ、選択することは権利といえば権利だけど、「ない」ところから勝ちとった人々からすると、「そうじゃない」となるんじゃないかな。
さらに自己責任から派生して、能力みたいな話になったときに「上の人」という言い方をしてきて、これまた「うーん」となりました。どうやら「総理大臣」は「上の人」らしいです。なので
「人に上下をつけるのはやめようよ」
と提案。でもこれがそうはいかないらしいです。
「総理大臣は上の人ではなく、単なる役割分担」
と言いましたが、もやってるみたいです。
なんかでも「あー」と思ったのが、例えば報道なんかで「総理大臣がおっしゃった」みたいな語り方をします。あたかも総理大臣が「上」という感じです。あるいは歴史の教科書の記述もまた「支配者史」です。そんなのもまた「上」という感じを隠れたカリキュラムとして伝えているのかな。そんなのが積もり積もると、人の関係を「上下」で捉えてしまうようになるのかもしれません。
ちなみに、その生徒さん「下の人をつくりたくない」「人を見下したくない」と言っていて、それは同意ですね。
結局1時間くらいいろんな話をして、最終的に
「仕事しに行くわ。ありがとう」
でわかれました。
こうやってモヤモヤする気持ちを正直に言ってくれるのはすごくうれしいです。でなければ、単なる洗脳です。そして、その生徒さんのモヤモヤをうけとったわたしもモヤモヤする。そういうモヤモヤの連鎖はとても大切です。
そんなことを考えているうちに定時です。帰りに少し寄り道して買い物したり。
家に帰ったらプチ工作。できたのはこれ。
スピーカーを置く台です。
飲みながらつくった割にはいい感じです[1]当社比
これで新システムが常用できますね。QOLがあがりそうだ。
footnotes
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