朝、少ししんどいですね。やはりアルコールに弱くなってるみたいです。どれくらい減らせばいいのか、試行錯誤かなぁ。いや、昨日は「63回目」なので、気がつかないうちに飲みすぎた可能性もありますね。
とりまそれでも出勤です。今日は試験最終日です。1・2時間目とも試験カントクが入っています。が、試験期間の前半、いろいろあったので、しかたないです。2時間目のカントクは担当しているクラスです。試験が終わったら、ターゲットの子が
「頼むし。落ちたらやめんとアカン。やめたくない」
と言ってきました。知らんがな(笑)。
「そやな。やめてそのかっこしてたら、単なるコスプレやもんな」
と言うと
「いややー」
と言ってました。そりゃイヤでしょう。
出してきたプリントを見たら、必死で問題を解いていた形跡があります。これをもっと早くにやれば、今ここで不安にならなくてよかったのにな。まぁでも、そうはいきませんよね。
カントクが終わったら平常点の計算でもしましょうか。うーん、ビミョーやなぁ(笑)。
今日はなにやらいっぱい「指導」が入ってるようです。もちろん協力はしますよ。が、モヤりますね。
なにを「指導」とするかは、生徒と教員の相互行為であり、教員間の言説によって構築されます。つまり、ある事象を「指導対象」とみなすかどうかは、状況と場面に依存するということです。
こんなことを書けば身も蓋もありません。てか、子どもらは怒るでしょうね。だって「指導」は「校則に依存する」のがタテマエですから。でも、実は校則はアンブレラ概念であって、細かなことは書いてありません。細かなことは「細かなところ」に書いてあって、それは常に更新し続けられています。言い換えると、「細かなところ」は、「指導の結果」を参照してつくられるってことです。で、その「指導対象」が状況と場面に依存しているわけですが、その状況と場面は、生徒と教員の相互行為だし、その相互行為の中で「なにを」問題とするかってことを、教員は解釈している。
まぁこんなことをゴチャゴチャ書くのは、言うまでもなくこの間読んでる『<教えること>のエスノグラフィー』の影響です。
てことで、おべんと食べて、指導が入ってくるかなぁと思っていたのですが、来ない。そうこうするうちにスタートの時間が来ました。
てことで、移動開始。今日は進路と労働局と人権の三者の会議です。会場に到着して、労働局の人から名刺を渡されたので、わたしも名刺を渡したのですが、あれ、裏側に「玖伊屋」情報が印刷してあるヤツやんかと。まぁ渡してしまったから後の祭りです(笑)。
会議の方ではいつものように「マッチング問題」についてひとこと。いや、職種・業種・人数別の集計データをもらえたので、これはええわと。
そんなこんなで午後の会議も終了。さてと帰りましょうか。少し早目に帰れたので、水曜日のための買い出しでもしましょうか。
そんなこんなで、1日終了。あとはビールタイムを残すだけです。