きれいな歴史ではない→再会・人権教育実践交流集会(2日目)

朝、目が覚めると8時過ぎでした。えーと、集合時間は8時40分?30分しかない?とにかく、あわてて荷造りをして、荷物を持って朝ごはんを食べに行きました。ささっと食べ終わったら、すぐにバスに乗車です。と
「チェックアウトは済まされましたか?」
というアナウンスがあって、あわててバスを降りてチェックアウトをするなど。
今日はフィールドワークです。目的地のひとつは南海中学校です。ここには紫雲丸遭難事故と教科書無償化の闘いの展示室があります。しかし、ひとつの中学校にふたつも展示室があるって、すごいな。
ちなみに、南海中学校に近づくと、妖怪アンテナが反応しはじめました(笑)。
もうひとつの目的地は長浜市民会館です。ここで支部長さんの話を聞きます。この支部長さんの話がおもしろかった。考えてみたら、教科書無償化の闘いって、1950年代です。ということは、同対審答申よりも前の話です。そんな時期に、ムラのお母さんたちは自彊館に集まって憲法の学習をしていたんだとか。その中で、憲法第26条について学んで、「権利としての教科書無償化」へとたどり着いたんだとか。
教科書無償化の闘いは、具体的には教科書不買運動という形で展開されていきます。それが可能となった背景には、教職員たちの「プリントづくり」があったんだとか。ちなみに、当時はガリ版です。

ただ、当初は周囲も好意的な感じだったんだけど、だんだんと論調が変わっていくんだとか。まぁ簡単にいうと「苦しくても教科書を買うのは親の愛であり、責任である」というふうに変わっていくんですね。さらに「授業参観」と称して「妨害行動」がはじまったりもしたんだとか。さらに、教育委員会もなかなか「うん」とは言わない。そんな中で、運動としては「妥協」という決着になったみたいです。でも、その年度末に国が教科書を配布することを決定したわけで、やはり「闘いに勝利した」んですよね。
なんか、教科書無償化の闘いを、すごく立体的に捉えることができるようになりました。
帰りのバスの中で、池田さんから「フランスではもともと教科書は貸与」って教えられて、なるほどなあと。日本って、「所有」したいのかな。それは教科書もそうだし「知識」もそうですね。
てことで、今年の人権教育実践交流集会も終了です。が、わたしは帰れません。午後に会議があります。なので、「ひろめ市場」でランチです(笑)。

その後、総括会議に出て、今回のことを振り返りました。まぁいろいろあるんだけど、やはりジェンダーの分科会の人数の少なさは、ちょっとやばいですね。そんな話をしてみたり。で、15時半に総括会議も終了。
さて、時間をつぶさねば。とりま、ブログでも書きますか。頃合いもよしということで、高知駅から汽車に乗って移動開始。ちなみに、途中の駅でも妖怪アンテナが反応しました。
で、最寄駅に到着して、しばし待つと、ベンツがあらわれました。運転しておられるのはマキマキさんです。前におじゃました時は浪の音が聞こえる家でしたが、現在は内陸に住んでおられます。
家に到着したら、二人のお子さん登場。お子さんたち、めっちゃ頭がいいですね。さすがはマキマキさん&玉ちゃんの子どもです。ちなみに、前回は551をお土産にしましたが、今回は水月亭の蒸豚と豚足を持ってきました。
お風呂に入らせてもらって、やがて宴会がはじまります。

あとはビール→ワイン→ジン→ウィスキーとやりながら、あーだこーだといろんな話。やっぱり楽しいなぁ。そんなこんなで夜はふけていきました。

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