「トランスジェンダーの歴史」

なにが悲しくて、火曜日に引き続き今日も大阪なんだろと思うのですが、引き受けたものは仕方ないです。てことで、SEE主催のセミナー「トランスジェンダーの歴史」のコメンテーターをしに、今日も大阪まで来てしまいました。まぁ、コメンテーターさせてくれるのはHがしさんのエールなんでしょうね。ありがたいです。
なので、さっさと仕事を終えて、早めに行って会場準備をしようと思ったら、JRが架線の確認をしたとかで快速が「ウヤ」とかで、結局準備には間に合わず。
会場に到着して、いろいろな人とごあいさつ。ほどなくセミナーがはじまりました。

今回のセミナーはヴィクトリア大学のAaron Devorさんによる「The chair in transgender studies/transgender archives」です。当然のことながら英語です。なので、通訳は東優子さん。でも、とてもわかりやすかったです。まぁ、理論的な話というよりも、Aaronがやってる活動紹介でしたからね。内容的にはそんなにむずかしくはなかったです。あと、ゆっくり話してくれるのも助かりました。
それにしても、ヴィクトリア大学のすごさというか、Aaronのすごさを認める大学の度量というか、そんなことを思いました。
やってることはふたつです。
ひとつはconferenceを開いているということ。なんでも、あいさつは学長クラス・理事長クラスがしにくるとか。参加者はactivistやresearcherやartistなど幅広くて、まあ大学関係者(含む学生・職員)とそれ以外の人が半々くらいとのことです。で、講演やってるのはほとんどが当事者みたいです。今年はアメリカ初の黒人のトランス女性の市会議員も講演したとか。あと、おもしろいのはartがあること。人がすごく集まるみたいです。2018年には映画監督を呼んで上映会したらしいです。さらに、今年のconferenceではyouthとelderのpanelがあったんですって。あと、奨学金とか賞とか出してるみたいです。
もうひとつはtransgender archivesです。資料の一端を紹介されてたけど、すごいです。日本のものもあって、『FTM日本』はありがちだけど『QUEEN』もありました。あと、大切なのは、本じゃなくてニュースレターとかチラシとか書簡なんかもあるんですね。そんなのが膨大な量所蔵されてて、しかもいつでも誰でも行けば無料で閲覧できます。キーとなる資料は電子化されていてネットからもアクセス可能です。

で、後半の最初にコメンテーターの仕事をしました。
まずは、前半部分について。
そういや、わたし、awardとったなと。でも、賞金は出なかったなと。次の年からは出るようになったみたいだけどね。あと、映画にも出たなと。それから、2017年には「トランスジェンダーの過去・現在・未来」みたいなシンポにも出たし、2016年にはstnでも同じようなシンポしたなと。なんか、ひとりconference状態だなみたいな話(笑)。
で、後半について。
まずは、自分がトランスであることを知った1997年に、はじめてアクセスしたセクシュアリティについての情報は「キリストの風」というニュースレターだったということを思い出しました。なかでも「かじよしみ」という人がアメリカの事情を連載してたんだけど、すごく新鮮でした。たぶん、本と違って、その時の空気がリアルに伝わってくるんですね。だからこそ、archivesなんですね。そんな中で、例えばarchivesの中にはTudaだったかな、有名なヌードモデルさんがおられて、その方の写真もあるらしいんですが、トランスでヌードだと、意味あいは違うけど、藤村美沙さんのセルフヌードを思い出すんですよね。特例法前夜、完全施工のセルフヌードを公開して戸籍変更を要求した人がいたということを、たぶん知ってる人は、もうほとんどいないんじゃないかと思います。そういう歴史や人が「なかったこと」にされていくことに悲しさと怒りを感じるんですよね。
あと、これもarchivesにあったんだけど、1920年頃の新聞記事がたくさんあって、それは異性装して逮捕された記事です。でも、当時のトランスの人たち、そういう記事を読んで「ひとりじゃなかったんだ」って思ったって言っておられました。そして、トランスジェンダーの人たちは、その記事を切り抜いて保管してた、それがarchivesになっている。この話を聞いた時、泣きそうになりました。でも考えてみたら、わたしもいずみちゃんの記事を見て「自分にもできるかも」って思ったしね。
で、振り返って日本を見ると、こういうarchivesをつくっているのは三橋さんだけなんですよね。かたや大学がやり、かたや個人なんです。
で、わたしなりに考えた日本の課題は、ふたつの分断があるということでした。
ひとつの分断はelderとyouthの分断です。つまりarchivesの重要性を知らないということですね。歴史に学ばないということ。そしてもうひとつがactivistとresearcherの分断です。これもまた歴史や理論から学ばないということ。たぶん、このふたつの分断をどうしていくのかが問われてるということを、Aaronの話を聞いて感じたという、ま、そんなまとめをしました。
ちなみに、そのあとの質問で大河りりぃちゃんが「日本ではarchivesは三橋さんひとりがやり、conferenceはいつきさんひとりがやってる」とかいうネタをぶっこんでくれました。
ま、その後、質疑応答もおもしろかったけど、まぁそんなこんな。

で、当然のことながらの打ち上げに行くわけですが、すでに9時半をまわってます。大阪駅近辺はラストオーダーが10時で閉店が11時。したがって、入店は9時半までらしくどこにも入れません。しかたないので、北新地の庶民的なお店に行って、ビール→ワインといったところでタイムアップ。
Sーちゃんとふたりで新快速で帰りました。まぁ、ひとりじゃないから安心ですわ(笑)。

「男ですか?女ですか?」

今日は出張のない出張日です。でも、出張に行きましょう。ということで、「地域との連携」をしに行きました。今回は、はじめて「副担当」にも来てもらいました。なにせ、この間ずっと副担当がわたしと同年代で「若手をつけろ」と言ってたんですよね。でないと「同和教育の継承」なんてできないです。
教員の仕事って「徒弟制度」的なところがけっこうあると思います。もちろん、そうじゃないところもあるんだけど、「そうじゃないところ」だけではないということです。「地域との連携」みたいな話は、徒弟制度なんです。だから、「地域との連携は大切です」なんて話を研修で聞くんじゃなくて、一緒に行って、どんな空気感でどんな話をしてるのかを実際に見ないとわからないんです。だから「若手をつけろ」「若手と一緒に仕事をさせろ」と言ってきたんです。もちろん、その若手が後を継ぐなんて考えてません。でも、若手がそれを知ったうえで取捨選択する、その選択肢を与えろとずっと言ってきたんです。
で、今回は、やっとつけてくれた「若手の副担当」と一緒に行ってきました。ちなみに、「地域」の人はほとんど知りあいです。中には教え子もいっぱいいます。それだけじゃなくて、地域の人たちは子どもたちのことをよく見てよく知ってます。そんな地域の人たちの姿を見て、いろいろ考えてくれたみたいです。よかった、よかった。

で、夜は恒例の会議です。その会議の中で、小学校教員が、子どもから
「先生、男ですか?女ですか?」
と聞かれたというエピソードが出てきました。それを聞いた会議参加者のT田さん
「子どもたちはそんなことを聞くんですか?」
と、えらい剣幕です。
「なぜ聞くんですか?」
と。なので
「そりゃ聞きますよ。子どもだからこそ聞くんです」
と答えました。
当然のことながら、終わったあとの飲み会でもその話です。
たぶん子どもたちは子どもたちだからこそ聞くんです。年齢が低くなればなるほど聞くんです。そしてそれは、決して「率直」とか「素直」とか「遠慮がない」とか、そういう話とは違うのです。
子どもたちは、自分がどのジェンダーに属するのかを確認したいんです。なぜなら、「幼児教育段階ではカテゴライズによる性別分離の基礎が築かれ、小学校では幼児教育段階での性別カテゴリーを引き継ぎつつも、男女均質化の原則が強く支配する」からです。
子どもたちは自分がどの性別カテゴリーに属するかを幼児教育段階で教わります。その性別カテゴリーは、単独で存在しているのではなく、「もうひとつの性別カテゴリーとの「差」」として存在しています。だからこそ、「らしさ」が強く提示されるわけです。ちなみに、これは別に保育園や幼稚園がやってるだけじゃなく、社会が総掛かりでやっています。
そうして「自分がどの性別カテゴリーに属するか」を知った子どもたちは、「その性別カテゴリーに属する人はどんな人か」ということを学びはじめます。そのことによって、自分が属する性別カテゴリーのロールモデルの選択肢を増やしていくわけです。
たいていの場合、まわりの大人がどの性別カテゴリーに属するかはわかります。一番わかりやすいのは親です(ごく一部の親を除く(笑))。教員もわかりやすい(ごく一部の教員を除く(笑))。でも、どちらの性別カテゴリーに属するかがわかるらない人には聞かなきゃならない。なぜなら「自分と同じかそうでないか」を確認して、ロールモデルとなるかならないかを決めなきゃならないからです。
だから子どもたちは聞くんです。
「先生、男ですか?女ですか?」
ついでに言うなら、そう聞かなきゃならない人は、どちらの性別カテゴリーの人からもロールモデルとはならない人になります。そこで「おかま」という言葉で排除されることになります(笑)。

ここで何が言いたいか。
それは、子どもの行動だけをとらえて、それを禁止することで解決できるかということなんです。あるいは、「学校で性別を教えるから」というひとことで解決できるかということです。
実はT田さんはズバリと言われます。そのT田さんが言われることを、わたしなりに翻訳してひとことで言うなら
「性別二元制を解体せよ」
です。
T田さん、極めてリベラルというかラディカルというか、ムチャクチャです(笑)。でも、たぶんそういうことなんですよね。
ちなみに、「なぜ性別二元性なのか?」という問いをT田さんは発せられるのですが、まぁそれはそういうものとしかいいようがないです。カテゴリーは「AかBか」ではなく「AかAではないものか」でつくられるからです。なので、カテゴリーは他にもあります。「whiteかcolored(not white)か」みたいな。
それにしても、こんな話ができる飲み会は楽しいです。
ちなみに、そのあとはKうさんがいろいろ話してくださっていたみたいですけど、わたしは帰らなきゃ、帰れなくなります。
Kうさん、あとはよろしく(笑)。

今日も方便

今日は授業をやってから公用車で出張です。ちなみにうちの公用車は電動アシスト自転車です。春に乗るチャリが気持ちいいです。出張先は近くのホール。新入生のオリエンテーションで人権教育担当として話をしにいったという。でもまぁ、ベースは2年前のものです。話しはじめた瞬間にざわついたのは、まぁお約束です。でも、みんな真剣に聞いてくれたし、話し終えて、そこにいた新入生を捕まえて「わかりやすかった?」と聞くと「うん」と言ってくれたので、よかったよかった。
で、ガッコにもどっておべんと食べて、またまたスタートです。今日は2ヶ月に一度の滝井参り。行く道すがら『18歳のビックバン』を読みました。なるほどー。読んでよかったよ。
てことで、amazonのレビューを書いたりして。

誤解を恐れずにあえて書くなら、この本は小林春彦さんの「青春の書」であると感じました。もちろん、小林さんが直面した困難は、生半可なものではありません。でも、この本を読み進めながら伝わってくるのは、その困難「について」の記述ではなく、その困難に向き合い、折り合いをつけながら生きるために右往左往し、試行錯誤を重ねる小林さんの姿です。そんな小林さんの姿は、「わたし」もまた自分の困難とどう向き合い折り合いをつけてきたのかということと重なります。小林さんのあくまでも「自分」にこだわり一般化しない文体によって、わたしにもまた「自分」にこだわった自分自身の「青春の書」があることを再認識させられる本です。

ほんとはそのあとに

しかし、著者と面識のあるわたしにとって、ハルヒはあくまでも「吐く彦」でしかないことを付記しておく(笑)

と書こうかと思ったけど、やめときました。

それにしても眠いです。診察室に入る直前、待合のイスで寝落ちしかけました。
診察室では、特に何があるわけでもなく、特例法批判をしたり保険適用の疑問点を話しあったりという、ごく日常的な診察の時間が過ぎました。

診察が終わったら、お次は「まんまるの会」です。
4月は恒例の花見です。が、花なんてあるはずもないです。なので、今日も「桜は方便」です。
でも、公園に着いたら、まだ花が3輪くらい残ってました。ここで、またまたジンギスカン。我ながらジンギスカンが好きです。ジンギスカンは野菜が食べられるからいいですね。
てことで、フラフラになるまで呑んで、それでも普段より少し早めに帰れました。

しでかしたった!・GID学会(2日目)

朝、メッチャしんどいです。でも、そんなことは言ってられません。とにかく起きなくちゃ。
てことで、いつもの朝ごはんを食べて会場に向かいます。と、まだ開いてない。まぁええか。しばしみんなで「しんどいなぁ」と言いあっているうちに会場もあきました。
Xジェンダー
会場に入ると、ややこし系の連中が集まりはじめてます。
GID学会でXジェンダーがとりあげられる日が来るとはねぇ…」
みんな感慨深げです。なにせ、みんなX系の人たちですから。そんな中、わたしひとりXではない。妙な居心地の悪さは、きっとXの人たちがこの学会で感じてきた気持ちなんでしょうね。いや、それどころか排除されてきたというか「下」に見られてきたというか。
わたしがXに対して抱いていた「単にジェンダーの押しつけを嫌っているだけだろう」みたいな感覚を変えてくださったのは原ミナ汰さんでした。ある飲み会で、自分の疑問をぶつけたところ、「そうじゃない」と。その時の驚きは、かつて「Wぃんたさん」と出会った時の驚きとそっくりでした。きっと原さんとの出会いがあったからこそ「ここ」にいられるんだろうな。
とは言え、すごく関心があるシンポだけど、今日の午後のプレゼンがまだできていません。話1/3、プレゼン2/3では話が頭の中に入ってくるはずもなく…(;_;)。もったいないことをしてしまいました。

続いてのシンポも同様に頭の中に入ってきません。
松本さんのガイドラインの歴史はなつかしかった。そういや、『セクシュアルマイノリティ』を書いた時、常に最新版を追っかけてたなぁ。
お次の康さん、メッチャ早口やな(笑)。なんか、口調を聞いてると、月一の恒例の会議を思い出しました。
ちなみに阿部センセが「「患者」を使わず「受信される方」を使うんですね」と言われたのは、さすがによく気づかれたなと。ちなみに、康さんだけじゃなく織田さんもです。そう言えば「トランス男性/トランス女性」を使うのもそのふたりですね。
石丸さんの認知行動療法は、これまた前のおべんきょ場所のことを思い出したり。
最後のまめたさん。ずいぶん毒を抜いたな(笑)。「明と暗」というより「注意すべきこと」くらいになりました。
てことで、午前の部終了。昼ごはんを呑みながら次のシンポの登壇者たちの打ち合わせに合流しました。
でも、さっさと呑んで会場に行かなきゃ。今日の総会も何が起こるかわかりません。
ところが総会がなかなかはじまらない。と、康さんが来ました。理事会終わったか。三橋さんがなにやら話をしたあと「今日は出ない」と情報をくださいました。そうか、今日は名称問題は論議せずか…。
と、いずみちゃんが中塚さんに理事長解任要求。唐突に見えるかもしれないけど、妥当でしょうね。保険適用という中塚さんにとっての悲願とも言える大きな役割は果たされました。後任が誰かという問題はあるにしろ、病理派の人では、これからのトランスジェンダーの健康と権利を求める学会は担えないと、わたしは思いますけどね。でも、中塚さんは続投宣言をされました。そうか、本人が「やめる」と言わない限り退任はないんだ。たしかにゼロ島さんも、自分から「やめる」って言ったしな。
で、お次のシンポが出番です。

  • 性別違和のある子どもたちの居場所づくり

会場担当の方がハラハラしておられたみたいですけど、なんせ総会ですから、それと並行してのシンポはありえませんよね。なので、少し遅れてのスタートです。第二会場はガチの満席です。ほんとにイスがひとつも余っていません。立ち見も出ています。みなさんの関心の高さを感じましたが、あたりまえですよね。交流会参加者がしゃべるんですからね。
でも、その前に、交流会の主宰からそれぞれのグループ紹介。まずはわたし。座長席から演者席に移動したところでさっそくウケました(笑)。てか、みんな何を期待してるんだ^^;。その後も何回かウケたので、まぁ成功ですね。次の石崎さんは緊張のあまり3分で終了。てか、わたしが伸ばした分を吸収してくださったのかな。さらにお次の真木さん、すごいなぁ。ほんとうにあちこちでていねいな活動をされてます。でも、人数が集まらない。そりゃ東北だもん。でも、続ける。すごいなぁ。そしてまめたさん。プレゼンうまいわ。でも長いぞ(笑)。
そして「公開交流会」のスタートです。これ、昔からやりたかったんですよね。それがやっと実現できる。きっと聞いてる人は子どもたちの話の内容に注意がいくだろうけど、そしてそれも聞いてほしいけど、本当に経験してほしいのは、子どもたちが集まると話を引き出し合うというところなんですよね。誰かの話を受けて自分の話を出す。そこで起こる化学反応です。そういうメタレベルの経験をしてほしかったんです。そして、みなさん、見事にそれを実現してくれました。ちなみに、個人的には、うちの交流会の子どもたちがわたしのことを「いつきセンセイ」と呼んでくれるのが、少しこそばゆかったです。
とにかくいい「公開交流会」でした。
にしても、最後の
い「あんなふうになりたいっていうあこがれの人、いる?」
ま「りぽたん」
い「他にもおるで」
の意味、わかってもらえたかなぁ。ロールモデルの選択肢があるってことなんですよね。

  • 私たちのつくる明日

前半は交流会シンポの人たちとダラダラしたので聞けず。後半のみの参加でした。
りぽたんの「トランスジェンダーは開拓者」はかっこよかったな。少しうれしかったです。とまとさんの質問も強烈でした。「GID」から「transgender」にシームレスに移行することはありえないです。なぜなら概念がまったく違うからです。そして、仮にそれをする人がいたとしたら、それは「transgender」というものに込められた思想をわかっていないということになります。とまとさんはそれをあぶりだしたかったのかな。
ちなみに、わたしは一貫して「transgender」を使っています。『セクシュアルマイノリティ』では医療と法律の部分を担当しましたが、それは宮崎留美子さんとの分担の問題です。だって同時期に『トランスジェンダリズム宣言』を書いたもん。でもまぁ、当時は他者から「性同一性障害」と言われてたからなぁ。
てことで、最後の針間さんのあいさつで今年の学会も終了です。来年は岡山か…。

時代は変わる・GID学会(1日目)

今日から明日にかけて、第20回GID学会です。とは言え、今日は午後から。午前はゆっくりできます。どうしようかと思ったけど、ホテルの近辺の周回コースを走りましょう。少しアップダウンはあるものの、1周がちょうど10分。3周して筋トレ。シャワーを浴びて出発です。
学会の会場はホテルからすぐのところ。たらたら歩いたらすぐに到着。すでに会場には見知った顔が…。早々に受付をすませて、とまとさんとNぎさんと3人で、近くの中華料理屋へ。昼ごはんを呑んで体力チャージ。
会場に帰ると、すでに受付は長蛇の列です。えらいこっちゃ。と、大会会長の針間さんを発見したのでごあいさつ。それ以外にもいろいろ知りあいがおられるので、あちこちごあいさつ。そうこうするうちに交流会のメンバーもやってきました。ちょっと一安心。
で、学会スタート。

  • 会長の特別講演

針間さんの自分史からはじまる講演です。てか、これ、完全にパロディでしょ?なので、隣に座っている交流会参加者の中学生に「これ、パロディやしな」と、いちおうネタがわかるように解説をしました。なるほど、物心がついた頃から精神科医になるものと思っていたわけね。これ「中核群」へのフリだろうけど、すでに中核群とか辺縁群とか死語ですよね。
それにしても、ひとりひとりの小さな営みが世界を変えていくという力強いメッセージはよかったなぁ。

全文はここにあります。ふむふむと聞いていましたが、最後のほうでいきなりわたしの名前が出てきてのけぞりました。名称問題についての提起は鋭かったです。問題は、これを受けて理事会はどう考えるかですよね。
−保険適用問題の特別報告
覚えてないです。てか、あしたのプレゼンつくってた。

  • ICD-11のこと

松永さん、すごいなぁ。歴史をわかりやすく整理してくださいました。こうやって、何が問題になってどう変わっていったのかを追っかけなくちゃね。
とまとさん、すごいなぁ。よく調べたな。半分くらいは知ってたけど、知らないこともいっぱいありました。当日のスライドはここにあります。
で、中塚さんの話。さすがのわたしもキレました。だって、名称や言葉が変わることの意味をなんにもわかってないんですよね。GID→transgenderだって、MTF→trans womanだって、単に言い換えただけじゃなくて、パラダイムの変換があるし、そこにはたくさんの当事者の思想がかかわっている。なのにそれを「言葉も整理しなくちゃ」などというのは、まったくダメです。
あまりにもブチ切れたので、思わず挙手したけど、座長の鶴田さんに気づいてもらえませんでした(;_;)。
−特例法の課題
このあたりで、集中力が切れてきたのと、明日のプレゼンをマジでつくらなきゃならなくなってきたので、意識は半分演題半分PCな状態になってしまってました。
そんな中、谷口さんの話はすごかったです。ふだんわたしも言ってるけど「人権はすべての人にあるはずなのに、cisgenderが与えられている権利がtransgenderには与えられていない」ということを、国際法論議もまじえてすっぱりと言い切られました。まさに特例法の問題はこれなんですよね。「特例」ではダメってことです。
そして、本多さんもまた、同様の議論をされました。ただ、スライドがわたしと同じで文字だけなので、少しおしゃれさに欠けたかも(笑)。
そんなこんなで、1日目が終了。
わたしの印象として、「transgender」の立場をとる人が多く登壇したということと、国際的な流れから現在の日本の状況を論じる人が多かったなというのが印象でした。なかでも、「強制・強要された、または不本意な断種手術の廃絶を求める共同声明(‘Eliminating forced, coercive and otherwise involuntary sterilization – An interagency statement’)」に触れた方が数名おられたのがうれしかったですね。わたしはお座敷では必ず触れることにしていますが、本当に知られてない。てか、たぶん当事者ですらほとんど知らないんじゃないかな。だからこそ、GID学会で触れること、それも複数の人が触れることに大きな意味があったんじゃないかなと思います。
てことで、どんな話があったかはさとしさんのところを見ていただくということで…。

いつもの会議

夜は恒例の会議です。
この会議のメンバーになった頃は、いろいろ意見を言ったりしてたけど、最近はあまり意見を言わなくなりました。別に丸め込まれたとか、あきらめたとか、慣れたとか、そんなんじゃなく、ほんとうに意見を言いたいと思うことがなくなったんですよね。たぶんそれは、もしかしたら、わたしがこの会議の論議にそれなりに影響を与えたのかもしれませんね。つまり、みなさんがなんとなく「んー…」と思ってたけど、「まぁええか」と流していたのを、流さなくなったってことかな。もちろんそれだけじゃなくて、状況の変化もあるかもしれませんがね。
で、会議の後は恒例の飲み会です。こちらではプライベートな話も含めて、いろいろぶっちゃけられるのでおもしろいです。
そんなこんなで、長い夜がふけていきます。

今日は3ヶ月に一度のヤクゲトの日です。
まずは地元で血液検査の結果を受けとりました。

測定日 E2(pg/ml) T(ng/dl) 薬(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/08/10 67.3 0.05(ng/ml)     4 1本弱
2007/02/08 1430.0    5 1本弱
2007/04/10 1386.0     4 1本弱
2007/06/14 587.2   3 1本
2007/08/16 104.1   2 1本
2008/02/14 681.1   2 1本
2008/04/10 418.0   1.5 1本+α
2008/06/04 65.0   1 1本では足りない
2009/01/27 69.0   1.5 1本
2009/09/17 88.8 603.9   1.5 1本
2009/12/8 174.9 33.6   2 1本
2010/04/26 97.5   5/3 1本
2010/08/09 10以下 0.4 12.9 43.3 0 1本
2011/02/16 43 0.3 13.7 35.3 0.5 1本(無敵)
2011/09/21 24 0.2 14.3 36.3 0.5 1本
2012/07/24 10以下 0.1以下 17.8 63.0 0.5 1本
2012/11/17 30 0.2 9.9 25.1 1 1本
2013/11/11 42 0.1 4.7 19.2 1 1本
2014/03/04 50 0.1 10.2 22.1 1/2 1本
2014/11/06 20 0.1 8.2 17.3 1/2 1本
2015/04/18 42 0.2 4.6 11.9 1/2 1本
2015/11/10 72 0.3 4.3 15.2 1/2 1本
2017/02/13 41 0.2 5.4 14.7 1/2 1本
2017/07/01 18 0.2 10.1 28.2 1/5 1本
2017/10/31 118 0.2 8.5 21.5 1/3 1本
2018/02/13 13 0.2 15.3 43.3 1/3 1本

※2013/11/27よりエストラーナを1/2
※2017/03よりエストラーナを1/5
※2017/07よりエストラーナを1/3
※2017/10よりエストラーナ0.36mmを1/3

ちなみに、基準値は以下の通り。

ホルモン 男性 女性
E2(pg/ml) 19〜51 19〜226(卵胞期)・49〜487(排卵期)・78〜252(黄体期)・39以下(閉経後)
テストステロン血清(ng/dl) 225〜1039 3〜67
望ましいT値(ng/dl) 100

エストラーナを半量に減らしたら、E2が118→13とガクンと下がりました。
センセからは「敏感に反応するねー」と感心された身体です。でも、だからこそさじ加減が難しい。難しいからおもしろいんですけどね。

で、ホルモンよりも問題なのはγGTP関係です(笑)。

測定日 γGTP ALT
基準値 1-80 5-45
2010/08/24 107 36
2011/08/23 223 82
2011/09/21 184 57
2012/07/24 100 29
2012/11/17 72 26
2013/11/11 118 34
2014/03/04 100 22
2014/11/06 118 23
2015/04/18 90 26
2015/11/10 94 39
2017/02/13 115 26
2017/07/01 124 34
2017/10/31 129 28
2018/02/13 86 25

おかしいです。γGTPが正常範囲に入ってます。
この検査日は2月13日です。ということは「教研→まんまる→玖伊屋→おたふく」というハードな日程のあとの「なにもしたくなかった日」の翌日です。こんな平和な数値が出るはずもない日なのになぁ。
ほんとよくわかりません。
ちなみに、中性脂肪がやばかったです(笑)。

ということで、ヤクの量について論議
い「やはり0.36mmは少なかったですね」
小「少なかったねー」
い「あげますか」
小「あげましょう」
い「やっぱ0.72mmですかねー」
小「そうですね」
い「4日に1枚。難しいな…」
小「よくされるのは曜日を決めるやり方ですよ」
い「あー、1週間に2枚!」
小「そうです。じゃ、次回まで12週だから24枚ね」
と、ここでふと気づきました。
い「産婦人科医って週で考えられるんですね」
小「そうですね。自然とそうなりますね。1ヶ月じゃなくて4週で考えるから、28日ね」
い「じゃ、残りの2〜3日は考えない」
小「いや、そうじゃないけど」
い「月の満ち欠けですね」
小「(笑)」
い「でも、もしかしたら、月が30日とかいうのは男性に支配された数え方なのかもしれませんね」
小「あー」
知らんけど^^;。

で、午後の出張は無事すませて、夜は恒例の会議です。
もちろん、会議の前にKうさんと事前の打ち合わせ。ガソリンを入れて会議に参加してみると、今回もすんごいアンバランスです。トランス女性たちはどこにいるんだろ…。まぁ少なくとも、ここの会議には出てこないってことかな。
で、会議もサクッと終わらせて、クールダウンの呑みです。なんだかんだと話をしてたら、あっという間に終電です。
いかんいかん。帰らなきゃ。

親の思いを聞く

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。交流会で一番大変で、一番大切なのは、実はメニュー決めと買い出しだったりします。なので、ここ数日、ひたすらそんな話がネット上を駆けめぐりました。で、結論は「キンパと鍋」になりました。妥当ですねo(^^)o。
で、いつもの時間にいつもの集合場所へ。すでに何人か来ておられます。今日もにぎやかなことになりそうです。
とりあえず、買い出し第一陣が到着。飲み物は確保です。そして、第二陣が帰ってきたところで調理スタートです。参加者のみんなはひたすら野菜きり。厨房では鍋のダシとキンパの具材づくりです。そしてわたしはひたすらビールを呑む(笑)。たまに厨房に入ってそこにあるものをつまむ、単なるジャマ者です。
子どもたちは公園で遊んでます。少し大きな参加者は、気がつくとあちこちで輪をつくって話しあってます。こんなのが自然発生的にできるのがいいですね。
そうこうするうちに、鍋の準備もでき、キンパの準備もできました。
公園から帰ってきた子どもたちはキンパづくりです。

メッチャ楽しそう!そしてひとくちほおばるとうまい!
鍋も豪勢です。

ひと通り食べ終わったところで、いつもの自己紹介です。今日はYーきがいないので、Rくに仕切りを頼みました。こういう感じで仕切りを頼める人がたくさんいてくれるのもうれしいです。
今回は年度末ということもあって、上の学校に行くにあたってのいろんなことがあります。小さな子どもの場合は、保護者が交渉しますから、子どもにはわからないこともたくさんあります。なので、保護者にも話をしてもらうことにしました。するとまた、これがすごいです。親の思いや子どもの思いが本当に出てます。
「子どもはここに来るのがほんとうに楽しみなんです。ほんとうに楽しんでるんです。でも、自己紹介でしんどい聞いたり話をしたりすると、普段の自分のしんどいことがフラッシュバックして、よけいしんどくなるんです。だから、話したくないんです」
なるほどなぁ。しんどいことを話すってことは、子どもにとってはそういうことなんだなぁ。でも、だからこそ話さなきゃならないこともあるんだけどなぁ。まぁ、それはもう少し先でもいいかな。いまは楽しんでもらえばいいのかもしれません。きっとそのうち話してくれる日が来るでしょう。
それにしても、ほんとうにきつい経験をしてますね。学校は精一杯配慮しています。いや、たぶんできる限りのことをしています。が、それは「できる限りのこと」であって、できないこともある。それは、今の枠組みを保持しているからという側面もあるし、生徒たちの心にまで踏み込めないということもあります。そんな中で、精一杯「自分」を生きている子どもたちは、本当にすごいなと思います。
で、ひと通り自己紹介が終わったところで、片づけです。でもわたしはマッサージタイム(笑)。いや、腰痛が^^;。

で、全部の片づけが終わったところで打ち上げです。交流会も大切だけど、打ち上げも大切です。まぁ、こちらは大人の交流会てすか(笑)。
向かうは「幸楽」です。ここはS輔の家のお店です。なんかもう、大人たちでワイワイと楽しく呑んで食べてなんですが、お酒もお惣菜もおいしい。すごすぎます。
結局12時くらいまで遊んでました。てか、終電じゃん^^;。

で、おたふく

朝、8時過ぎに目が覚めたけど、動きたくない動きたくない。それでも、みんな台所に行ったので、わたしもとりあえず台所に行って、パンをかじりながら、なにを呑もうかと思ったけど、そこにあったエナジードリンクについ手を伸ばしてしまいました。うまいわ、これ。
で、夜中に来てくれたAっちゃんがうどんを買ってきてくれたので、昨日のピエンローの残りに投入。これで朝ごはんは完璧です。
しばらくダラダラ話をしていたけど、そろそろ片づけだなということで、昼前に片づけ終了。
その後、おたふくへ。
今日はなのを呑もう…。焼酎ストレートかな。と、チェイサーにお湯を出して下さる優しさが、おたふくクオリティです。
Iずみちゃん・Aっちゃん・わたしで呑んでいるところに、まもなくKとうくん登場。このころには完全にできあがっていたので、てきとーにからんでいた記憶しかありません。ごめんなさいごめんなさい。
あまりにも呑みすぎでしんどいので、ちょっと一足お先に帰らせてもらうことにしました。
家に着くと、ちょうど晩ごはん。なので、少し食べさせてもらって、その後テレビを見ているうちに爆睡です。12時頃に起こしてもらって、やっとの思いでおふとんにたどりついたところで一日終了。

で、玖伊屋

その後、京都に移動して、玖伊屋です。すでにUりんさんが料理をはじめてくださっていて、さらに今回はIちさんが来てくれているので、調理は早いです。しかも、今日のメニューはピエンロー。ようは、白菜をひたすら切って、鍋の放り込むだけです。なので、あっという間に調理は終了。Uりんさんは特製のお好み焼きを出して下さるとか。
鍋が煮えたところで、和室に持っていって、あとはダラダラ呑んで食べるのですが、すでに夕方から呑んでいて、しかも日本酒もワインもなかったから焼酎なんざ呑んでいたもので、あっという間にお酒がまわってしまって、「これはあかん」とベッドにもぐり込んでしまいました。なので、当然記憶がない…。