今日は出張のない出張日です。でも、出張に行きましょう。ということで、「地域との連携」をしに行きました。今回は、はじめて「副担当」にも来てもらいました。なにせ、この間ずっと副担当がわたしと同年代で「若手をつけろ」と言ってたんですよね。でないと「同和教育の継承」なんてできないです。
教員の仕事って「徒弟制度」的なところがけっこうあると思います。もちろん、そうじゃないところもあるんだけど、「そうじゃないところ」だけではないということです。「地域との連携」みたいな話は、徒弟制度なんです。だから、「地域との連携は大切です」なんて話を研修で聞くんじゃなくて、一緒に行って、どんな空気感でどんな話をしてるのかを実際に見ないとわからないんです。だから「若手をつけろ」「若手と一緒に仕事をさせろ」と言ってきたんです。もちろん、その若手が後を継ぐなんて考えてません。でも、若手がそれを知ったうえで取捨選択する、その選択肢を与えろとずっと言ってきたんです。
で、今回は、やっとつけてくれた「若手の副担当」と一緒に行ってきました。ちなみに、「地域」の人はほとんど知りあいです。中には教え子もいっぱいいます。それだけじゃなくて、地域の人たちは子どもたちのことをよく見てよく知ってます。そんな地域の人たちの姿を見て、いろいろ考えてくれたみたいです。よかった、よかった。
で、夜は恒例の会議です。その会議の中で、小学校教員が、子どもから
「先生、男ですか?女ですか?」
と聞かれたというエピソードが出てきました。それを聞いた会議参加者のT田さん
「子どもたちはそんなことを聞くんですか?」
と、えらい剣幕です。
「なぜ聞くんですか?」
と。なので
「そりゃ聞きますよ。子どもだからこそ聞くんです」
と答えました。
当然のことながら、終わったあとの飲み会でもその話です。
たぶん子どもたちは子どもたちだからこそ聞くんです。年齢が低くなればなるほど聞くんです。そしてそれは、決して「率直」とか「素直」とか「遠慮がない」とか、そういう話とは違うのです。
子どもたちは、自分がどのジェンダーに属するのかを確認したいんです。なぜなら、「幼児教育段階ではカテゴライズによる性別分離の基礎が築かれ、小学校では幼児教育段階での性別カテゴリーを引き継ぎつつも、男女均質化の原則が強く支配する」からです。
子どもたちは自分がどの性別カテゴリーに属するかを幼児教育段階で教わります。その性別カテゴリーは、単独で存在しているのではなく、「もうひとつの性別カテゴリーとの「差」」として存在しています。だからこそ、「らしさ」が強く提示されるわけです。ちなみに、これは別に保育園や幼稚園がやってるだけじゃなく、社会が総掛かりでやっています。
そうして「自分がどの性別カテゴリーに属するか」を知った子どもたちは、「その性別カテゴリーに属する人はどんな人か」ということを学びはじめます。そのことによって、自分が属する性別カテゴリーのロールモデルの選択肢を増やしていくわけです。
たいていの場合、まわりの大人がどの性別カテゴリーに属するかはわかります。一番わかりやすいのは親です(ごく一部の親を除く(笑))。教員もわかりやすい(ごく一部の教員を除く(笑))。でも、どちらの性別カテゴリーに属するかがわかるらない人には聞かなきゃならない。なぜなら「自分と同じかそうでないか」を確認して、ロールモデルとなるかならないかを決めなきゃならないからです。
だから子どもたちは聞くんです。
「先生、男ですか?女ですか?」
ついでに言うなら、そう聞かなきゃならない人は、どちらの性別カテゴリーの人からもロールモデルとはならない人になります。そこで「おかま」という言葉で排除されることになります(笑)。
ここで何が言いたいか。
それは、子どもの行動だけをとらえて、それを禁止することで解決できるかということなんです。あるいは、「学校で性別を教えるから」というひとことで解決できるかということです。
実はT田さんはズバリと言われます。そのT田さんが言われることを、わたしなりに翻訳してひとことで言うなら
「性別二元制を解体せよ」
です。
T田さん、極めてリベラルというかラディカルというか、ムチャクチャです(笑)。でも、たぶんそういうことなんですよね。
ちなみに、「なぜ性別二元性なのか?」という問いをT田さんは発せられるのですが、まぁそれはそういうものとしかいいようがないです。カテゴリーは「AかBか」ではなく「AかAではないものか」でつくられるからです。なので、カテゴリーは他にもあります。「whiteかcolored(not white)か」みたいな。
それにしても、こんな話ができる飲み会は楽しいです。
ちなみに、そのあとはKうさんがいろいろ話してくださっていたみたいですけど、わたしは帰らなきゃ、帰れなくなります。
Kうさん、あとはよろしく(笑)。