はじめてのカムアウト

今日は1年間の最後の授業です。1年間の、毎週6時間の授業をしてきたクラス。ほんとうに濃密な関係になりますね。なんと言っても、生活集団と学習集団が一致した1年生を担当したのは、たぶん30年ぶりくらいです。なので、その中でできることや試したいことをいっぱいやりました。さらに、今年度はカウンターあり反安保法制ありという1年でしたから、当然いろんな話もするというものです。そんな話を受けとめてくれた子どもたちでもありました。
ほんとうに楽しい1年でした。授業ってこんなに楽しいものなんだって思わせてくれた子どもたちでした。
だから、この子らにはなにかを返したいってずっと思ってました。返せるものは、たぶん自分のことくらいかな。きっと、4月からずっと「質問」があって、でもその質問はしちゃいけないって気を遣ってくれていて、そのうちなんとなく質問は心の奥に沈んで別にどうでもよくなって、でもその「質問」は心の奥底にある。その「質問」に答えようかなって思いました。
でも、ビデオを見せるにはあまりにも短い時間しかありません。というよりも、ビデオを見せるのでいいのか?語ることから逃げてないか?っていう気持ちもあります。
なので、今年はほんの少しだけだけど、自分の言葉で話してみようかなと思いました。

まずは、この1年間楽しい時間を過ごさせてもらったことへのお礼。それから、教員になって7年目に担当したSという生徒のこと。「先生、なんでわたしを見捨てたん?」というSの言葉が、教員としてのわたしの原点であること。そこから赤点を出さないとりくみをひたすらしてきたこと。そんな話をしたあと、みんなに質問しました。
「君たち、4月からわたしにしたい質問、あったやろ?」
みんな、顔を見合わせて「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」って顔をしたり、ヘッドバンギングしたり。と、ひとりの子どもが質問。
「どうやったら勉強が好きになりますか?」
みんな「それー(笑)」って爆笑です。
「勉強きらいやからなぁ。でも、研究は楽しいよ」
って答えて、
「じゃ、質問ね。今からいくつか質問するから、「これ」って思ったのに手を上げてね。複数回答ありね」
「わたしを男だと思う人」ふたり。
「わたしを女だと思う人」けっこういるよ(笑)。
「どちらでもないと思う人」いるんかい!
「どちらでもあると思う人」これもいるんかい(笑)
「どひちゃんはどひちゃんって思う人」これもいるわ。
ということで、
「どれも正解ね」
って言いながら、5分ほど話。
その後、
「君たちと過ごした数学の時間について、感想書いてくれるかな」
ってお願い。みんな真剣に書いてくれました。
「授業には「うけさせられてる授業」と「うけている授業」があって、先生のは「うけている授業」。自由で強制しない感じ」って書いてくれた子がいました。その子「教えてあげてる感を出す先生が大嫌いだけど、先生はそんなことなかった」とも書いてくれてました。すごくうれしかった。他にも「生徒も声を上げていいんだってわかった」とか、なんか、もしかしたらいろんなことが伝わったのかもしれないなって気持ちになれました。
ちなみに、性別について書いたのがひとりだけで、それもまた「らしいな」と。

来年、この気持ちに引きずられちゃだめです。でも、今はこの気持ちに少しだけひたってもいいかな…。

玖伊屋からのおたふく

朝起きると、まだ誰も起きていません。しかたないので、寝ました(笑)。
でも、そうこうするうちに起きて来た人もいるので、合流。これまたしかたないので、スクリュードライバーあたりを呑んだりして。にしても、しんどいというか、眠いというか。ダラダラしているうちに、どんどん時間が過ぎていきます。でも、みんなおたふくに行く気満々です。
てことで、12時ぐらいから片づけをして、1時ぐらいにようやくおたふくへ。
ここで、いつもの「月見とろろ」をすすりながら、いつもの「焼酎お湯割り濃い目梅干し入り」をすすります。
実は、今日は大阪に行きたいのですが、大阪はあまりに遠い。今の体調で大阪に行くと、帰ってこられるかどうか、帰ってきたとしてもどんな状態で帰ってくるのか、はたまた、帰るつもりがどこか遠いところへ行ってしまうことも考えられます。ということで、大阪行きは断念。
5時過ぎにおたふくはおひらき。バスに乗って家に帰ったのが6時過ぎ。そのまま着替えて布団の上に倒れたら、見事に寝てしまいました。

昼呑みからの玖伊屋

今日は昼から組合の特殊業務。でも、そんなものはサックリ終わります。
その後、来年度、ひとつしでかそうと思っている悪だくみへ向けた謀議です。
い「どこにしましょう?」
F「どこでも」
ということで、なぜかわかばへ。肉を食べながら、少しだけ謀議。でも、途中から謀議よりも呑み会になるのは必然です。で、呑み会になると「ハイボール濃い目」になるのも必然です。で、注文したら
「ごめん、炭酸ないし、これ呑んどいて」
って出てきたのがこれ。

これは、ハイボールとは言いません。ロックです。しかも、この量か…。まぁ呑みましたけどね。

その後、あたりを簡単にフィールドワーク。閉館時間ギリギリだけど電気がついている「柳原銀行資料館」をのぞくと、Y内さんが中から手招きされます。ラッキー。ということで、特別展の案内をしてもらったり。ちなみに、今やっている特別展は崇仁小学校の教員にスポットをあててます。これがすごくおもしろい!必見ですね。

で、そのままFさんと玖伊屋の会場へ。一息ついて、買い出しです。今日は…。チーズフォンディ的ななにかと、トマト鍋的ななにかをつくることにしました。
で、買い出しをして、わっさわっさと準備をしているうちに、続々と人がやってこられて、えらい盛況になりました。
で、玖伊屋の〆は映画上映会。にしても、「人間みな兄弟」「忘れられた皇軍」「絞死刑」の3本立てはダメですね。全部見終わったらぐったり疲れて、あとはいつもの台所前に布団を敷いて撃沈です。

結果が出た

こないだその前の総合結果が出たので聞きに行きました。というか、今日にあわせて出してもらったんですけどね。
で、結果やいかに。
まずは知能検査の結果から。うわ、数唱と語唱、低っ(笑)。どうやら、短期記憶を使って処理をする能力が極端に低いらしいです。
「苦手でしょ?」
って言われたけど、前から「苦手や」って思ってたから、やはりそうだったんだと納得。でも、その割に算数がめっちゃ高い。
「計算が得意だからそれで補ってますね」
とのこと。つまり、短期記憶が飛ぶ前に答えをだしてるわけですね。
まぁ、実感通りです。コンピュータに例えると、少ないメモリを高いクロック数のCPUでごまかしている。そりゃ、脳みそ疲れますわな。ちなみに、総合判定は2ポイント減。ま、12年前との比較だから、そんなもんでしょう。
続いて心理検査です。まずはMMPI。前回は「活動による防衛機制」が働いてたけど、今回は「敏感さ」だけが残ったみたいです。まぁ、無理はしなくなったかな。
続いてロールシャッハ。これがワクワクします。なんせ、ずんべらぼうにわかりますから。
まずは特殊指数。これがすごい変化です。前回は「抑うつ」と「対処力不全」が出てました。まぁ、「やってもやってもできたって気持ちがない」って感じですか。それが、今回は「なーんもない」(笑)。なるほどなぁ。統制についても「がんばりすぎない」ようになっている。
「物事の決定は思考が感情かどっちだと思われますか?」
と聞かれたので
「感情でしょう」
と答えたのですが、結果は「両方」でした(笑)。ただ、前回が極端に「思考」に偏っていたので、それとの比較で「今は感情だよなぁ」と感じてるのかな。
そして、認知の三側面。
まずは情報処理から。
「人が見ないところを見てますね」
はい、そのとーり(笑)。続いて翻訳。
「反抗心とか怒りとか変わってません」
はい、そのとーり(笑)。そして思考。
理論武装はしなくなったかな」
はい、そのとーり(笑)。
てことで、人が考えつかないような反応を示して、しかも反抗心があったりするし、それが感情に出たら、単なるやっかいなガンコものです。
で、その感情ですが、まぁなんとか調整できてるみたいですね。
で、自己認知。相変わらず低いです。でも、これでいいんです。これが高いよりは低いほうが、個人的に好きです。だって、セルフエスティームがめっちゃ高いヤツなんて、やです(笑)。
対人関係については、前回は孤立感が強かったみたいですが、それがかなり弱くなっている。でも、相変わらずパーティトークが苦手。でも、協力関係はつくれるようになった。はい、そのとーり(笑)。
全体的には、前回は感情の不安定なフレがあったのが、今回は自分の対処能力の範囲内で処理してるので無理がなくなって楽になってるってことでした。
で、バウムテスト。
変化なしです。そりゃそーだ。
「よるべなさとか、あいまいさとか、固まらない余力とか、そんな感じ?」
「ま、そーですね(^^)」
最後にロールシャッハの印象。
「パッと絵を見て、少しずつ不安感が首をもたげてくるけど、最後は楽しいストーリーでオチをつけてますね」
はい、そのとーり(笑)。

てことで、全体的にはストレスが減って、その分グダグダさとかクズさが増してるけど、反抗心とか怒りとかは相変わらずあるということでした。
ま、好ましいですね(笑)。

問題の所在はどこか

わたしは今も特例法には反対しています。そのことは、それをつくったゼロ島さんにもずっと言い続けてきました。と言うよりも、月一回ある会議では毎回のように特例法批判がわたしだけではない人から出され、そこにゼロ島さんもおられました。
だから、ゼロ島さんとわたしとは対立する立場でした。
じゃゼロ島さんが敵かというと、それは違います。
少なくとも、ゼロ島さんは「枠組みが変えられる」ということを提案し、とても大きな制限はあるものの、それを実現しました。つまり、それは「枠組みは変えられる」ということを提示した人でもあったということです。それは「枠組みを変えたい」と考えるわたしにとっては、変える現場や手法の違いはあるものの、希望でもあるのです。
そして、もしかしたら、ゼロ島さんへの批判はわたしへの批判ともなりうる。わたしも「わたしの枠組みの変化」の手法の違いやその中身の不十分さゆえに批判を受けるかもしれない。いや、すでに批判されている。でも、だからと言って、わたしはやめない。わたしの基本的な発想はゼロトレランスではないからです。もしかしたら、そのことで人を傷つけることがあるかもしれない。そしたら、真摯に謝り、よりよい場所を模索する。「より現実的で、それでもよりマシな解」を探しながら、右往左往するしかないというのが、わたしの基本的な発想です。

ゼロ島さんとわたしの対立は、しょせんはコップの中の対立でしかありません。当事者であるわたしと当事者ではないゼロ島さんが同じコップにいるかということへの疑問があるかもしれません。でも、わたしは「同じコップ」と考えています。なぜなら、わたしは「当事者性に依拠しない」という立場をとっているし、だからこそカウンターの仲間と一緒にやることが可能なんです。
じゃ、コップの外にあるのは何か?本当の敵は何か?
そりゃ、天皇制に決まってるでしょ(笑)。

(追記)
とは言え、特例法は天皇制の枠内だしなぁ。
あと、「差別の解消ではなく理解の促進」とか言ってる人もいるしなぁ。
いくらわたしの線はブレるとはいえ、そのブレる線ですら引くのが難しい。
まぁ、結局あれか。枠組みをそのままにしてその中に取り込むか、枠組みを広げてそこに居場所をつくるか、それとも枠組みそのものを壊すかなんだよなぁ。

伝えなきゃならないこと

まんまるの会まで1時間ほどあったので、散歩と買い出し。
で、5時半くらいからボチボチ第一部のスタートです。
まんまるの会の第一部は、単なる自己紹介です。とは言え、常連メンバーがほとんどなので、普通の自己紹介ではダメです。なので、「近況報告とその日のお題でひとネタ」にしています。これが苦しい。まずは「近況報告といっても、なにもないなー」ってなります。
でも、それが大切なんだと思います。だって、2ヶ月も間があいていて、なにもないはずがない。いや、なにもなくてもいいんです。なにかひとつはものを考える。それを振り返り、思い出し、掘り起こし、言葉化し、伝えるという作業が、トランスをするためには必要なんだと思うのです。そして「お題」は、それを「自分の人生」という、さらに長いスパンで行う。
たいていの人は「なにもないなー」って言ったあとに「あー、そう言えば」って語りはじめられます。それがおもしろい。そして、みんなでその話に集中する。
教員してると、自分の話にみんなが集中するなんてことは日常のことですが、そうでない仕事をしている人にとっては、もしかしたら日常あまりないことなんじゃないかと思います。ましてや、こもり気味のトランスなんかだと、ほとんどふだん経験できない。それを経験することもまた大切なんじゃないかな。
そんなことを考えています。
で、話を聞いていると「あー、それそれ!」ってことに突き当たることがよくあります。
今日の「それそれ!」は「伝える」ってことでした。簡単に言うとこんなことでした。
いま、巷で「カミングアウト、イェーイ!」っていう感じがある。でも、実はとても少数です。トランスをほんとうに成功させている人間は、基本的にはカミングアウトしない。カミングアウトしないから顕在化しない。だから、後輩トランスからは、たとえそこにいたとしても、出会えない存在になる。ということはロールモデルにならなくなってしまう。すると、「トランスを成功させるためのノウハウ」が伝わらなくなってしまう。
じゃ、なにが伝わるか。
それは、例えば「カミングアウト、イェーイ!」的なキラキラ感。あるいは、「顕在化せざるを得ない」「同じような人」。いやもう、某所で「クラブの先輩に同じような人がいて」なんてことをどれほどよく聞くことか。たぶん、パンデミック状態です。しかも、社会の中に最近「トランス枠」みたいなのができつつあって、そこで受け入れてもらえるもんだから、それを「成功」としてしまう。で、それが顕在化しているから、「トランス枠」に入ることが成功なんだとなってしまう。
で、その人が言っていたのは
「なんかあかん気がする」
ってことです。
「伝えなきゃならないものがあったのに、それを伝えてこなかった自分が、最近伝えなきゃならないんじゃないかと思いはじめた」
ってことです。
クローゼットで生きながら伝えるという難しさ。でも、たぶんわたしはそれを可能にする「場」をつくってきたのかな。もしもそうなら、やってきてよかったな。

ちなみにわたしは…。
完パスでもないし、カミングアウトもしてないけど、たぶんクローゼットでもないし。やはり一周まわって「不完全フルタイムトランスジェンダー」なのかな(笑)。
で、こんな生き方もまたあるということは、伝えなきゃならないことなのかもしれません。

ロールシャッハ、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

こないだ脳みその疲れる作業をしたのですが、今日はその第二弾、ロールシャッハテストです。
部屋に入った瞬間に、「あぁ、ロールシャッハ」です。こないだは机の配置が対面式なんですが、ロールシャッハの時は隣同士で座るんですよね。
ちなみに、13年前にやった時は、なんか、延々としゃべってしまったので、今回は軽くやろうかなと。なので、10枚のカードを全部やっても30分ほどしかかかりませんでした。実は、臨床心理士のY野さん、かなり覚悟しておられたみたいですが、あまりにもさっくり終えたので拍子抜けみたいでした。
で、しばし振り返り。てか、こっちが時間がかかります。だいたい1時間くらいかけて、あれこれと話をしました。にしても、Y野さん、話を聞きながらスコアをつけておられます。
「その場でつけるんですね」
と言うと
「はい、あとでつけようとすると思い出さなきゃならないことがいっぱいあるんで、できるだけその場でつけることにしてるんです」
とのこと。すごいなぁ…。

で、O田さんの診察室へ。とりあえず
「最近いかがですか」
と聞かれたものの、ふたりとも苦笑です。いや、おとつい会ったし(笑)。
てことで、少しだけ作戦会議をして、お勘定。

脳みそ疲れた→先達への敬意

今日はさっくりと職場をあとにして、滝井へ。久しぶりの心理検査です。12月の「まんまるの会」での会話。
Y野さん「心理検査だけでいいですよね?」
いつき「いや、知能検査も(笑)」
Y野さん「(笑)」
みたいな。
てことで、久しぶりにこんなことをやりました。にしても、途中で脳みそが疲れはじめて、しかもやめられない。で、たまにルールを誤解してて脳みそがフリーズしたりして、なかなか脳みそがさびついてる感じがしました。ま、Y野さん
「いえいえ、なかなかですよ」
となぐさめてくださいましたけどね^^;;。
時間があるので宿題は待合室でさっくりすませました。この宿題も「おまえ、性に関する質問、好きやな」と思わずツッコミたくなる設問がたくさんあるのですが、まぁ、変態であることを引き受けていたら、それなりにOKってもんです。

で、O田さんの勧めにしたがって、バスで大阪駅まで移動。ネットカフェに1時間ほどこもって仕事です。まぁ、サテンでもいいんですけど、靴が脱げないというか寝転べないというか。なので、やはりネカフェで仕事なんですね。

で、頃合いよしと福島へ。今日は『にじ色の本棚』の打ち上げです。
とりあえず編集担当のS村さんと合流。やがて原ミナ汰さんと大江さん@LOUDが登場。大江さんがわたしのことを知っておられて、ビビると同時に、かなりうれしかったです。
はじめは本のことについてあーだこーだと話していたのですが、やがて「ぶっこむ質問」が出てきたりして、そのあたりからディープゾーンに突入です。互いが「なぜこういう生き方をしているのか」なんていう交流はなかなかできるもんじゃないです。それを互いにブッコミあい、それをガチで受ける、とても濃いぃ時間を過ごしました。ちなみに、ブッコむ相手は、別にLGBTじゃなくてもいいんですよね。人がつながるのは「属性じゃなくて葛藤の量」って言葉がかの名作(笑)に出てきますが*1、まさにそんな感じの夜でした。

にしても、先達の歩んでみた道は、とてつもなく険しく自由ですね。それをあらためて感じました。そのあとに続くわたしの世代は、やはりそこを知りながら、自分の道を歩まなきゃならんなぁと。

*1:ちなみに、これはRささんの発言です。

痛かった

で、みなさんとバイバイして、大阪へ。昨日も来たのに何が悲しくて(;_;)。でもしかたありません。今日は「夏の事後確認」です。
んー、まぁ、最大の懸案事項だったところはOKですが、もうひとつの懸案事項のところはイマイチですね。たぶん、「やった人」の問題じゃなくてわたしの問題です。
てことで、注射を打つことになりました。
「痛いですよー」「ものすごく痛いですよー」と散々言われましたが、きっとダミーだな。「夏の痛さ」に比べたらまったく大丈夫でした。
でも、直後は歩くのそろそろしか無理でした。

なるほどなぁ

家に帰って新聞を見たら、こんな記事が…。
(世界発2016)体と心の性不一致、米で高まる関心 「トランスジェンダー」著名人ら公表
なるほどなぁ。かの国では、そういう感じなんだ…。翻って、日本は…。どうも同じような感じってのがない。なんでだろ…。
歴史に求めるのもひとつの解でしょう。あるいは、「病理化することによって」というのも、またひとつの解かな。人権教育の広まり?あるいはマスコミの影響?
でも、「フツーの人」にとっては、もしかして「関係ない」からなのかも…。つまり、トランスジェンダーの存在によって、どの程度自分の日常がおびやかされるか。
それが端的にあらわれるのが、もしかしたら更衣室・トイレ・公衆浴場問題なのかな。日常がおびやかされると感じる。
逆におびやかされない範囲であれば「どうぞ、お好きに。みんな違ってみんないい」となる。冷たい優しさ?