朝、やはり起きられません。結局、身体が動くようになったのは8時半です。疲れてるな。
こんな時だけど、今日は年度当初から依頼があったお座敷の日です。
もともとは、昨日が某人権教育研究会の総会で、今日は朝から出勤→採点→移動のつもりでした。が、すべての予定が吹っ飛びました。いろいろもにょるところはありますが、約束なので仕方ないです。ということで、大阪府南部まで2時間かけて移動です。そして駅からテクテク歩きます。と、雨が降ってきました。どこかでおにぎりを食べようと思っていたけど、食べられないですね。会場の高校に到着すると、入り口のところに同窓会館のログハウスがあってテラスがあったので、そこにじんどっておにぎりをパクつくことにしました。
こういうところでごはんを食べるの、やはり好きです。
で、会場へ。通されたのは300人ぐらいは入れる多目的ホールです。いいなぁ、こういうのがあって。案内して下さった方は機械に疎そうなので、勝手にメインスイッチを探して、HDMIを探して接続。ぴしゃりとうつりました。いいなぁ。
やがて、今回の仕掛け人のT草さん登場。メッチャ久しぶりです。ずっと一緒にゼンコーをやってきた人です。当時は長吉高校におられましたが、今や大阪府南部の中高一貫の進学校におられて、そこに今回呼ばれました。
「実はね」
ということで、この間のできごとをT草さんに話すと、メッチャ心配してくだって
「早めに終わってもらっていいですよ」
との優しい言葉をもらいました。でも、スライドは一度はじまったら変更できないので、目一杯話をしますとも。
やがて生徒さんが入ってこられます。「制服か?」と思いきや、思いっきり私服の子もいます。なるほど、標準服形式なんですね。うーん、私服はいい。ひとりひとりのキャラが立ってます。そしてお座敷開始。
はじめの反応がイマイチでしたが、ここからがすごいです。ドッカンドッカン笑ってくださいます。しかも、入り方がハンパない。ひとつひとつの言葉が染み渡っていく感じです。めっちゃいい生徒さん達です。
途中休憩を入れようかと思ったけど、そういう感じじゃないです。なんか集中してくださっているので、そのまま一気に最後まで突っ走りました。
話の最中の質問コーナーでも質問が出たし、話が終わったあとも何人かの生徒さんが質問に来られました。
「LGBTの法律ができたけど、不十分だと思っています。いつきさんはどう考えられますか?」
その通りです。ただ、そこからはじめないといけないということです。
ということで、やはり100分くらいしゃべりきりました。しゃべりきったあとは、けっこう元気になりました。なので、T草さんに
「アドレナリンが出ますね」
と、しょーもないことを口走ってしまいました。
学校を出て、駅まで歩くと、タワーが…。
さて、ここからまた2時間かけて帰りましょう。旅路そのものは楽しいのですが、やはりまたまた疲れてきました。
ということで、京都駅で移動を中断。友だちを呼び出して、立ち飲みで1杯だけ飲みましょう。ここでクールダウンしないと、ずっと「非日常」が続いているので、なんかきついです。
そしてお家へ。
晩ごはんを食べていると、F田さんから電話。
「今日、大阪府南部に来られたんですね。うちの子どもが「こんな話を聞いた」って教えてくれました」
マジか。うれしいなぁ。なので
「とっても元気をもらえました。ありがとうって伝えてください」
と返事。うん、行ってよかった。
月: 2024年1月
葬儀式では修正した
葬儀式は11時からです。いちおう10時集合だけど、起きたのは9時前です。とにかく身体が動きません。すんごいきついです。それでも、とにかく起き上がって朝ごはんを食べて、スタートです。
教会に着いたら、遺族代表あいさつを考えるために別室へ。元ネタは『ありのまま〜』にして、そこにいろいろ付け加えましょうか。
しかし、この作業はきついです。なにかを話すためには思い出さなきゃなりません。それも子どもの頃の事を思い出さなきゃなりません。まぁなんだかんだ言っていい子ども時代を過ごさせてもらったんだろうなということ、そしてそこからずいぶんと遠くまできたってことを思うたびに涙が出てきます。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
10時59分になったので、タイムアップ。
牧師さん、昨日とは聖書を変えてこられました。ちなみに、昨日は「フィリピの信徒への手紙 3章12-14節でした。てか、これは父親が好きだった箇所です。今日は「ローマの信徒への手紙5章1-5節」でした。たぶんこちらが母親が好きなところなんだろうけど、思わず「これかよ!」とは思いました。
そんなこんなで式も滞りなく終了。わたしのターンです。
今日は母・淳子のためにわざわざお越しいただいてありがとうございます。
最近の若い人はスピーチの時にスマホを見ながらしゃべるので、わたしもタブレットを見ながら話すことにします。
母・淳子は、戦前生まれとしては珍しく国立の教育大学で数学を研究していました。小さな頃、手回し計算機の話をしてくれたことを思い出します。根っからの理系で、ずっとNEWTONという雑誌を購読していました。数学を好み、音楽を好み、文学を好み、星を好み、山を好み、植物を好む、そんな天真爛漫な人でした。
わたしは一番目の子どもとしてとても大切に育てられました。家には中古の白黒テレビはありましたが、テレビの思い出はほとんどありません。実は、わたしが仮性近視ということで、テレビを見るなと言われていました。仮面ライダーを見たいというわたしのために、両親は一緒にトランプやダイヤモンドゲームやチェスを一緒にしてくれました。両親はとてもたくさんの時間をわたしに割いてくれたんだなぁと思います。 わたしはそんな両親の影響を強く受けながら育ちました。星が好きで、音楽が好きで、文学が好きなわたしは、紛れもなく母親の影響を受け、今は数学の教員をしています。
わたしが物心ついた頃から、家には父親のゼミ生がよくきていました。そこでは激しい議論をする学生たちに混じって、本気でその議論に参加している父親の姿がありました。でも、その激しい議論が終わると、母親の得意料理のミートローフをみんなで食べました。きっと、議論することもさることながら、みなさん、ミートローフを食べるのを楽しみにしておられたんじゃないかと思います。
母はとても不思議な才能を持っていました。家の庭にはたくさんの植物がありましたが、ほとんどが山歩きで摘んできたものでした。それらを不思議なほどに上手く育てていました。ある時「家でできたコゴミだから天ぷらにしてくれ」と持ってきたことがありました。どんなふうにしたら家でコゴミができるのか、いまだに不思議でなりません。
とにかく母はフリーダムな人で、束縛をとても嫌いました。例えば骨折をしても人工関節は絶対に拒否をしました。今から5年前、心臓の弁膜症で救急搬送されたことがありました。実はその時、気管挿管をするかどうかを決めなければならなりませんでした。その時も、弟と話し合って「しない」という決定をしました。医者はびっくりしていましたが、「もしも一命を取り留めた時、「この管は何?誰がこんなものを入れると決めたの。こんなのを入れたまま生きるのは嫌だ!」というに決まっている」と説明しました。
そういう人なので、きっと皆さんにもご迷惑をおかけしたことがあったかと思います。でも、皆さんのおかげで、母はフリーダムな人生を送ることができたんだと思います。本当にお世話になりました。
きっと今頃、父・昭夫と天国で再会をしているんだろうなと思います。 母親は、もしかしたら父親の窮地を助けたかもしれません。が、この社会はまだまだ窮地にある気がします。その窮地をなんとかするのが、残された私たちに与えられたことかもしれないと思います。
最後に、残された妹さん、そして弟家族や私たち家族をこれからもよろしくお願いいたします。
そして献花→最後のお別れです。職場から供花があったおかげで母親は花で埋まりました。ありがとうございます。この4年間飲めなかったワインも入れました。
そして出棺。わたしは喪主ということで、牧師さんとハイヤーに乗りました。中では牧師さんといろいろ話。
んー、やはりたいへんやったんやろなぁ。とにかくフリーダムだし、ガンコだしなぁ。まぁまわりは困ったかもしれないけど、本人も「いろいろたいへん」だったんだろうなぁ。そうやってたいへんなまま生きられたのも、まわりの人たちのおかげですね。
やがて京都斎場に到着。簡単な式をして、やがて母親はバーナー室へ。待ち時間の間に昼ごはん。おなかが減ったので、明太子釜玉うどんにしました。
うまいなぁ。おなかいっぱいです。
やがて骨になった母親と対面。お骨を拾って骨壷へ。これで「式」関連はすべて終わりました。あとは母親を家に連れて帰るだけです。
実家に帰って、父親と仲良く写真を並べて、山のような花を飾って、おしまい。
晩ごはんは弟家族とサイゼです。白ワインのマグナムボトルを頼んだけど、1本あけてしまいました。もしかしたら、母親がへつったのかもしれません。
さて、家に帰ってお風呂に入って寝ましょうか。
前夜式はグダグダ
今日は母親の施設に1時半に集合らしいです。なので、午前はちょこちょこと雑事。昼ごはんをさくっと食べて、母親の部屋に行きました。今日はまずは湯灌なるものをするとのことです。簡単に言うと、入浴です。うまいことしはるなぁ。その後、納棺。
そして、教会に向かいます。わたしは母親と一緒に行くことになりました。途中、実家に寄ってもらいました。
「おかえり。そしたら行くで」
と声をかけて、教会へ。
ここで一段落です。とりま、一度家にもどります。次に教会に行くまで少し時間があるので、ヘッドライトのチューブを交換しましょう。暗くなる前に交換できてよかった。
そして再び教会へ。パタパタしていたら、あっという間に前夜式の時間です。今井牧師の司式で無事礼拝も終了。式のあとは「喪主」のあいさつです。
えーと。
話そうと思っていたことはあったのですが、グダグダです。明日はもう少しきちんと話しましょう。
それにしても、父親の時とは打って変わって参列者は少ないです。でも、少ない中で来られた方は、ほんとうに「来たい」と思って来てくださった方です。そんな方々と、少し話。そして終了。
父親の時は宴会したけど、今日はやめておきましょう。とにかく家に帰って晩ごはんを食べてクールダウンです。
自分で完結させる・日教組教研3日目
起床は6時半。もう少しゆっくりしようかと思ったけど、さっさと朝ごはんを食べることにしました。今日は「健美定食」です。ネバネバが入ってます。
さば、うまい。が、おなかがあまり減ってないので残してしまいました。すんません。
部屋にもどったら、学校関係への連絡です。いろいろ迷惑をかけるなぁ。8時になったら荷造りです。しかし、おとついのワインが半分残ってます。どうする?
そんなこんなを袋に詰め込んで、会場へ。今日は総括討論です。
会場に着くと、いろんな人が「一緒に写真を撮ろう」と(笑)。なにかがおかしい。なんでも画面越しで見るのとリアルで見るのは違うらしいです。いや、そーゆーことではなくて…。
今日は「ジェンダー平等教育の実践をしてよかったこと」「今回の教研で得た気づき」「ジェンダー平等教育を伝え広げるために」の3つの柱で話しあいです。
ただ、その前に多賀さんから言葉の整理です。やはりジェンダーという言葉の使い方がバラバラってことです。「社会的文化的性別」としてのジェンダーと「性差」という意味でのジェンダーが混在している。まぁたぶん、混在しているのはわたしのせいなんだと思うのですが、逆に言うと、それを持ち込んだほうがいいと思ったんですよね。
てことで、大第1ターンは「気づき」です。
もともとわたしはジェンダーを「社会的文化的性別」としか認識できていませんでした。なので、例えばデートDVの教材もそういう切り口でつくっていました。ただ、そういうふうにすると、男と女の対立の構図をつくってしまう。でも、その対立の構図はなぜできるかというと、構造としてのジェンダーがあるからなんですよね。そういうふうにジェンダーを捉えると、デートDVの教材も違った扱い方ができるんじゃないかと。まぁそんな話。
第2ターンは「伝え広げるために」です。
まずはさっきの話を引き継いで、「構造で捉えると「敵」をつくらなくてすむ」ということです。その例としてアファーマティブアクションを通して考えたこと。つまり「政治的なことは個人的なこと」にしないということ。そうすることによって、共通の地盤でものごとを捉えることができるようになる。それが広げることにつながらないかってことです。
そして第3ターンは「よかったこと」です。
かつてゲイのAさんとの出会いを人権教育の分科会でレポートした時に言われたことを、まずは紹介。みなさん、口を開いてビックリされていました。そんなわたしがたどり着いたところが「両性」だったんですよね。そして、「両性」を通じていろんな出会いを与えられました。その出会いは、その先にあちこちで孤立しているセクマイ教員とのつながりをつくってくれました。stn21も、そんな中にあります。そしておそらく今回も新たな出会いや出会い直しがある。もちろん、こわがられたり敬遠されたりもあるでしょうが、それはしかたなし。
そんな話をして、わたしのターンはすべて終了。ちなみに、総括討論では誰かのレポートにかかわる話としてではなく、自分のこととして完結させた話であることを心がけました。
そうそう。オブザーバーのみなさんの話もよかったなぁ。丸2日ぶんの論議のあとの話ですからね。もっとも、ひとりだけ、ここで話をするために来た人がいてビックリしたけどね(笑)。
さてと。これで今年度の教研もおしまいです。また来年!来られるかなぁ…。
とりま、S渡さんとTまちゃんと3人で新千歳まで移動。フライトは17時台なので、特には急ぎませんが、まぁ早めに行っておきましょう。昼ごはんはフードコートです。
なにせボトル半分残ってるワインを飲みきらないと帰れません。しかし、ここでジンギスカンか。でも、おいしかった。
あとはお土産買って、セキュリティを通って、荷物の重さを計測して…。7.15kgだったけど、パスしてくれました。
予定をかなり過ぎて離陸したけど、予定より少し早く関空に到着。ここからはランです。発車直前のリムジンバスに乗れました。これで少し早く帰れるな。
帰ったら、一杯飲んで寝ましょう。明日から忙しい。
またまた甘噛み・日教組教研2日目
目覚ましをかけたのは6時半。起きたくないけど起きましょう。まずは朝ごはん。なんでもやよい軒に行くみたいです。
ロボットが持ってきてくれました。
しかし、洋定食は失敗でした。
さて、ここからは連絡しまくりです。なにせ今回はPCは持ってこずipadだけでやろうと思ってたので、なかなかハードです。それでも母親のPCからサルベージしたメールからアドレスを引っ張り出して、とにかく連絡メールを出しまくりました。10本ばっか送ったところでタイムアップ。会場に行きましょう。
で、分科会開始。
午前は「意識・慣習の見直し」です。どのレポートもおもしろい。おもしろいけど、なにかが引っかかります。それはジェンダーの捉え方です。
もしかしたら、みなさん、ジェンダーそのものを「悪いもの」あるいは「なくすべきもの」と捉えてないか?
例えば、みなさん、ジェンダーと結びついた色を問題にされたりします。ただ、例えば小さな子どもに自分の所属すべき性別カテゴリーを教える時、なんらかの性別カテゴリーと結びついた「装置」を使わざるを得ません。まぁつまりMCDってやつだってことです。そして、それそのものは、本来は「悪」ではない。それが「悪」になるのは不平等と結び付いた時です。てか、そもそもジェンダーがなくなったら、えらいことになります。もちろん、わたし個人としてはジェンダーがなくなってもまったく困りませんがね。
例えば「はじめてズボンを履いた女の子」の絵本を教材にした実践が話されました。なんでも迫害される女の子に対しておじいさんは
「あたりまえが壊れるのがみんなこわいんだ」
と言ったという話が出されたので、思わず
「それは「あたりまえ」ではなく「秩序」なんだと思います」
つまり
「女の子はスカートを履かなければならない」
ではなく
「スカートを履く子が女の子」
なんだと思います。そういう秩序があって、例外ができると、その秩序が乱れる。だから、迫害する。
もしかしたら、
みなさん、固定的で絶対的なセックスの上に社会的文化的なジェンダーが乗ってるって思ってないか?そうではなくて、ジェンダーは構造と捉えるべきなんじゃないのか?
そんな話を、ついしてしまいました。
てことで、TまちゃんとS渡さんと3人で近くのラーメン屋さんへ。案の定I藤さんたちも来ていました。そういや、19年前、I藤さんとラーメン屋に行った[1]このページの1月9日の記事なぁ。なつかしい。その後、「正論」にほめられたんだ(笑)。
さてと、何を食べよう。味噌ラーメンにしようかと思ったけど、つけ麺にしてみました。ちなみに、辛さはLv.3なんだとか。
辛くないな。そして味が濃い。でも、麺がおいしいし、全体的には満足ですね。
で、午後の分科会。テーマは「性の教育」です。「生命の安全教育」をどのように使うかってあたりの論議がされました。が、それとは違うレポートで、またまた細かいところが気になりました。
「トランスジェンダーが「いない」と考えるのではなく「いる」ことを前提にする」
って書いてありました。それそのものは、もちろん極めて正しいです。部落も在日も障害者も「いる」のを前提にしなきゃなりません。が、「トランスジェンダー生徒がいることを前提にする」とはどういうことかわかっておられるのか?って思ってしまったので、質問をしてみたした。
が、たぶん質問の意図がわかっておられない感じです。
「常にいるつもりで」
と返されるので
「いや、具体的にどういう学校づくりをするのかということです」
とかぶせてしまいました。たぶんこわかったやろなぁ。すんません。甘噛みしてしまいました。
なので、その後の討論の中で解題。
「トランスジェンダー生徒がいることが前提の学校というのは、性自認でものを考えるということです。書類上の性別でなく、本人が言う性別を信じるということです。逆に言うと、トランスの子に制服とか体育の授業とかトイレとか更衣室とかを聞くなら、シスジェンダーの生徒にもそれらを聞くということです」
言ってること、わかったかなぁ。
そんなこんなで分科会終了。と、担当のN嶋さんから「かぶせたらダメ」と、イエローカードをもらってしまいました。反省やな。
今日は両性の仲間の飲み会です。が、15人入れるところがない。Tまちゃんが半日電話をかけまくってくれて、ようやくお店を見つけてくれました。
ここでえっきーと久しぶりの再開。おじさんになったなぁ。まぁお互いさまか。M浦さんとかI島さんとか、ほんとに久しぶりです。まぁそれだけ北海道に来ていなかったということです。
ワイワイ飲んでいたらK同通信の記者さんが乱入。なんか、メッチャ飲むな。そうこうするうちに、共同研究者の3人も来られて、うれしいなぁ。古田さんの隣に座るのははじめてで緊張します。ここで労働運動の話とか法律の話とか、さまざまな話を聞かせてもらいました。
そうこうするうちに、みなさんどやどやと帰られて、残り5人くらいに。取り残された多賀さん
「みんな、ずるいなぁ」
とか言いながらつきあってくださって、ほんとにいい人です。
で、11時くらいにおひらき。
「もう少し飲もうか」
ど言ったけど、全員から却下されて、おとなしくホテルへ。大浴場でクールダウンして、補水をして、さて寝ましょう。明日は総括討論だ。
footnotes
↑1 | このページの1月9日の記事 |
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行くか、もどるか・日教組教研1日目
今日から毎年恒例の日教組教研です。場所は北の大地です。なので、今日は労働者の権利を行使しましょう。
とは言え、昼に着こうと思ったら、京都発はけっこう早い時間になります。とりま、京都駅からバスに乗ります。けっこう混んでますね。
そんなこんなで関空まで移動です。が、ここで突然連絡が。なんでもヘルパーさんが母親を起こしに行ったら意識がなかったんだとか。とりまそのまま救急搬送されたらしいです。
マジか。GID学会岡山大会の時と状況が似てますね。ただ、あの時は前日だったけど、今回は動きはじめてます。困った。ただ、弟がいろいろ動いてくれてます。
てことで、弟と相談。
「どうしよう。帰ろうか?」
「大切な用事なんやろ」
「まぁそれはそうや」
「そしたらこっちはまかせといて。責任をまっとうしてきて」
たいした弟です。というか、わたしたちふたりはそうやって育てられたんやな。なので、北の大地に行くことにしました。
やがて弟から連絡。
「意識はないけど、できることがないので、そのまま帰すことになった。あと2〜3日らしい」
えーと、それはもって2〜3日ってことか?帰るまでもってくれたらいいなぁ。と
「意識はないけど、酸素ボンベははずせた」
少しホッとして、jetstarに搭乗。
ここでトラブル発生。コーヒーがこぼれて海になってしまいました。ヤバイ。でも、なんとか対処してもらって、無事飛行機も飛びました。
飛行場からすみやかに札幌に向かいます。しかし荒天です。快速エアポートのダイヤも乱れまくりです。それでもなんとか札幌に着いて、そのまま会場に向かいます。リュックがコーヒーくさい(;_;)。
会場に着いたら、受付の方が
「いつきさんですね」
とチェックしてくださいました。てか、なんでやねん。
分科会はちょうどはじまったところです。それでもおべんとをいただいて、分科会に参加。
と、弟から連絡です。
「入浴介護をしに行ったら息がなかった」
その8分後の13時48分に再び連絡
「死亡が確認されました」
とのこと。そうか。亡くなりましたか。あと少しで90歳だったから、まぁしかたないです。父親が亡くなってから16年、両親ともに亡くなってしまいました。まぁでもそういう歳だってことです。
その後、ひたすらラインでやりとりしながら、分科会に参加。今日のテーマは「労働・家族」です。
今日引っかかったポイントは「性別にかかわらず能力で」というフレーズ。いや、能力をどのように測るかって、メッチャむずかしいし。そしてそれは能力主義につながるし、さらには新自由主義とも親和性が高い。基本的にはヤバイ方向につながりかねません。が、学校の教職員は、基本的に能力が高い。だから、そのヤバさに気がつきにくい。なので、ついついそのあたりに絡んでしまいました。
休憩の時に、常連の友だちに
「実はな、さっき母親が死んだんやわ」
と言うと、みなさん
「えっ!ここにおってええの?」
と心配してくださいました。まぁそりゃそうか。
後半の論議の中で、ふと気になったのは、共同研究者の寺町さんが話されたアファーマティブアクションに対する学生さんの反応でした。学生さんたち、アファーマティブアクションを逆差別と捉えがちなんだとか。まぁそれゃそう思うかもしれません。が、そこでそう思うのはなぜかってことです。
人権教育の中で「被差別者の立場に立って」みたいなフレーズを出すケースがあったりします。そういうのがめぐりめぐって、逆差別みたいなところに行くんじゃないかなぁ。つまり、アファーマティブアクションは社会的な文脈で考えなきゃならないんだけど、それを個人のこととしてとらえてしまう。そうなると、フェミニズムが喝破した
「個人的なことは政治的なこと」
の逆
「政治的なことは個人的なこと」
になってしまう。
なんかこのあたりから、今回の教研で話したい方向が定まってきた気がします。
そんなこんなで5時半まで濃いぃディスカッションをして、1日目終了。
一度ホテルにチェックインして、リュックを洗いましょう。まぁこれだけ部屋が乾燥してたら一晩で乾くでしょう。
そして飲み会です。今日はインクル分科会の人たちの飲み会に乱入することにしました。もちろんY和くんがいるわけで、またケンカになるかと思いきや、数学の授業の考え方ややってることをほめられてしまってビックリするなど。
10時過ぎにお開きになって、S渡さんと
「もう少し飲もうか」
ということになったけど、お店は閉店間際です。しかたないのでセイコーマートでワインとアテを仕入れて、部屋飲みです。が、0時あたりでほとんど反応できなくなって、こちらもおひらき。ただ、S渡さんが帰られたところで、なぜか少し復活して、大浴場に行きました。
湯船に浸かって、少し身体を伸ばしたら身体もほぐれました。よし、寝よう。
過分なお言葉
昨日も書いたように、今日は本来は午後から出張だったけど、大雪の関係で中止になりました。なので、比較的のんびりです。
とりま、朝イチの2時間連続授業から。今日は声が出るのでつまらなさそうです(笑)。
わたしの脳みそは、少しずつ「おべんきょ」に向かってます。具体的には1をどうするかです。それによって7の書き方は変わってきます。というか、もともとの7はメチャクチャやったな。そのあたり、失敗しないとわかりませんね。ますます封印しなきゃならなくなってきました。まぁでも、封印すべきものがあるから、次があると考えることにしましょう。
そんなこんなで、質問に答えながらのおべんきょタイムでした。
3・4時間目に「走り」の授業がありますが、喉の調子が悪いからやめておきましょう。下手したら気管支をやられます。体育の教員に
「やめときます」
と言いに行ったら
「明日のビルドアップに出てもらえたらうれしいです。ペースつくってもらえるし」
とかいう過分なお言葉をいただいてしまいました。うれしいけど、残念です。
「明日、休むんですよ」
さてと。11時から17時をどう過ごすかですね。まぁ、こちゃこちゃとやらなきゃならないことがあるから、ひとつずつつぶしていきましょう。
そんなうちのひとつである人権教育アンケートの集計をしてみると…。
3年生のアンケート結果、クラスごとの集計もしています。わたしは2年生で進学系クラスの文系をもってます。てことは、数学苦手な子が山のようにいるということです。さらにここはほぼ同じメンバーで3年生にもちあがります。ここがどういう結果になるか。
部落問題について「よく知っている」「だいたい知っている」を合計した値がぶっちぎりに高いです(笑)。
せっかくなので、そのクラスの子に結果を見せたら
「当然やで」
とのお言葉。さらに
「うちのクラス、どひちゃん大好きやしな」
との過分なお言葉までいただいてしまいました。
そんなこんなで、1日が終わりました。さてと、今日は筋トレしなくちゃ。
組版開始
朝、体調はそれほど悪くありません。が、声が完全につぶれました。まったく出ません。まぁいいか。これはこれでネタになる。
てことで、出勤。朝イチとりま書類をまとめたり、昨日の復命書を書いたり。
で、立番。寒いなぁ。明らか風邪をひいてるけど、まぁ免除にはならんわな。たぶん免除になるためには休まなきゃダメでしょう。まぁ出勤できる体調ってことです。
職員室にもどったら、組版開始です。とにかくできるものからやっていきましょう。幸い講演録はふたり返ってきてます。こいつをやっつけるところから。
で、授業。やはり笑われました。ほんとは笑っちゃいけないんだよ。でも、まぁ、わたしの場合はネタです。てか、声が出なくなった状態で声を出すと、ヘリウムガスを吸ったような声になるので、それがおもしろいらしいです。しかし、笑いがとまらんヤツがいるな(笑)。
水曜日は本来は午後は授業がないのですが、明日の出張のために授業変更してもらってるので、午後も出陣。しかし、こちらのクラスはだらけきってます。まぁ1週間以上プリント学習やしな。こういう時がこわいんですよね。でも、声が出ないのでカツが入れられない^^;。
振替授業から帰ってきたら、明日の出張が中止になったとの連絡が入ってきました。去年も中止だったから、呪われとるな(笑)。しかし、久保敬さんの話、聞きたかったな。
さてと。このあと、もうひとつ組版をやっつけましょう。こいつはネットから引っ張ってきたpdfです。なんで府の職員がネットにあるpdfを探さなきゃならんのだとは思います。まぁでもpdfが手に入ったら、それをwordに変換して、テキストデータを抜き出したら完成も同然です。
えーと。これ、画像かよ!てことは、OCRが必要ってわけですね。なんでそんなややこしいことをするねん。まぁでもこないだのスキルが役に立ちました。とりま、word→txtで秀丸に一度食わせます。これでいらない空白とか改行をマクロで処理して、あとは元データとつきあわせましょう。で、最後まで行ったら、あとはindesignに流し込んで、書式をそろえたら完成です。
あー、めんどくさかった。でも、このあたりをやっておくと、あとが大幅に楽になるはずです。
しかし、まだひとつ文字起こしがきてません。終わったな。
さて、帰ってお風呂からのビールですね。
明日は声が出るかなぁ。
つぶれた
今日は午前も午後も出張です。なので、朝はほんの少しゆっくり。
午前の出張先は第2のふるさとです。ここでいろいろ情報交換をします。
この町、かつてはヤンチャな子らが生き生きと生活していました。なので、小学校も中学校もとてもファンキーな感じでした。でも、子どもたちは学校のことがめっちゃ好きで、遅刻はしても欠席はしないという感じでした。ところが最近は不登校の子どもが増えているようです。
そんな情報を聞かせてもらっているうちに、今の不登校って、かつての「荒れ」が姿を変えただけなんじゃないかという気がしてきました。同和教育は「非行は教育の宝」って言ってきました。であるならば、「不登校は教育の宝」と読み替えることはできないのかなということです。つまり、不登校という現象は、その背後にある「生活」「地域」「社会」を顕在化させるものであるという考え方です。
なんでも、不登校の子どもたちは「めんどくさい」と言うんだとか。それを「めんどくさがりの子」というふうに個人の問題で考えない。例えば、「めんどくさい」の背後には「勉強へのモチベーションの低さ」があると考えてみる。すると、その「モチベーションの低さ」は、何に起因するかというふうに問いが立てられる。例えばその理由として、「勉強と進路が結びついていない」ということがあるかもしれない。なぜ結びついていないか。例えば、親の姿を見た時に、特に高校を卒業していなくてもなんとか生活できているという現実があるかもしれない。そういう親であれば、「子どもを学校に行かせよう」という気持ちが希薄になるかもしれない。すると、教員からすると、「親の学校に押し出す力が少ない」と感じてしまうことになる。で、なぜ親が「高校を卒業していなくてもなんとか生活できている」のかと考えると、そこに地域社会のありようがある可能性がある。
こう考えると、不登校の問題を社会の問題として捉えることができるようになる。まさに先週の夜の仕事のテーマです。
なので、そんなことをつぶやいてみたり。
その後、授業参観。やはり少人数はいいなぁ。まぁ少人数なのは生徒数が少ないからなんですどね。ちなみに、クラスに書いてあった人権スローガンに「他人が嫌だと思う言葉を言わない」みたいなのがあって、ついつい近くにいた人に話。
「人権って、つい「〇〇してはいけない」という言葉になってしまうけど、そういうのって、子どもたちに「人権は自分を縛るもの」というメッセージを与えてしまう気がするんですよね。そうじゃなくて「〇〇しよう」という言葉であらわした方がいいと思うんですよね」
まぁ、この間ずっと考えていることです。
午後の会議は恒例の会議。会場は支援学校です。まずは授業参観。だんだんしんどくなってきました。と、ふと思った疑問が…。なので、参観の後で聞いてみました。
「あの、ビルメンテナンスの授業をしている人の免許ってなんですか?」
「あの人は体育ですね。その隣のクラスの人は国語かな」
マジか…。専門外じゃん。授業のために、わざわざビルメンテナンスのスキルを獲得しはるんや。なんかもう、たいへんやなぁと思うと同時に、何かが違う気がしてきます。まぁ知らんけど。
そうそう。今日は前回できなかった「部落問題学習」のプレゼンをすることになっているのでした。まぁ皆さんがどう思われるかはわからないけど、とりあえずやりますか。まぁでもあまり時間がないはずなので、ハイスピードで40分くらいしゃべりまくりました。
が、これが悪かった。プレゼンの後、だんだん声が出なくなってきて、会議が終わる頃には完全に出なくなりました。
そう言えば、昨日の夜の仕事の最中に、喉にほんの少し違和感があったのでした。そのまま放っておいたのが悪かった。まぁでも、体調そのものはそんなに悪くありません。喉だけなら「笑い」もとれるし、なんとかなるか。
さてと、実家に寄って電気工事をして、その後ビールだな。
体調が絶不調なのに…
朝起きると、体調がメッチャ悪いです。とにかく頭痛です。まぁでも金曜日と土曜日にメッチャ飲んだしなぁ。てことで出勤。いつものように立番だけど、寒くないのが救いです。
職員室にもどったら、まずは印刷屋さんに連絡です。続いてチェックです。組んだものを画面で見るのと紙に印刷して見るのとでは、まったく違います。案の定、細かなミスが山のようにありました。しかし、縦書きで句点が左にいくパターン、なんとかならんか?あれ、たぶんwordの組みか禁則かの関係で、勝手に半角にされてるんでしょうね。縦組みと半角は相性が悪いから、マジで困ります。通信、来年度から横組みにしようかなぁ。
3時間目はプリント学習。ピリッとしてる子とそうではない子の乖離が激しいです。まぁでも、危機感持ちはじめてる子が少しずつ出てきたのはいいことかな。
で、4時間目。本来は走りの時間です。が、体調は絶不調です。あきらめようかな。と思ってセクションのリーダーに
「どうしましょう?」
と相談すると
「わたしは体調が悪い時は走って治すタイプです」
とのこと。さらに
「一般的には休むほうがいいですけどね」
とつけ加えられます。うーんと思案してると
「背中、押してほしいんですか?」
とのお言葉。ここまでくると、決断するしかないですね。走りましょう(笑)。
今日もクロカンコースです。一緒に走ったのは1年生。少しグッチョなところがあったけど、まぁ走れました。トップの子ははじめから飛ばして離されて、単独2番手で走ることになりました。が、3周目にひとり抜かれて、最後の直線でもうひとりに先行を許してしまって、順位は4位でした。それでも6周のタイムは19分47秒で自己ベストが出ました。
4kmのタイムは20分34秒でアベレージは5分08秒です。ただ、なんとなく4km以上走った気がしますね。スプリットは4分59秒→5分06秒→5分13秒→5分15秒です。でも、これもなんかおかしい気がします。GPSがおかしいのかな。
走り終えて職員室にもどってしばし待つと印刷屋さんが来られました。ここで簡単に打ち合わせしたあと、もうひとつの本についての相談をするなど。
「3月はじめに完成させようと思ったら、いつまでに入稿ですか?」
「2月第2週の間にはほしいですね」
「ですよねー。ところが6月の講演録がまだあがってなくてですね」
絶句しておられました。まぁ、最後の手段は考えてます。
午後の授業もプリント学習。と、M田さんが登場。子どもたちは拍手喝采で迎え入れます。好かれてるなぁ。
でも、こうやって子どもたちとガチでプリントやってくださると、クラス全体が勉強に向かいます。ほんとにいい刺激になりますね。
そして、ノートを見ると、きれい!
なので、子どもたちに「こんなふうに答案は書くんだよ」とお手本にしてしまいました。
ちなみにM田さんに
「数学、楽しいですか?」
って聞いたら
「楽しいですよ!」
って答えてくれて、メッチャうれしかったです。
そんな感じで、昼の仕事は終了。お次は夜の仕事です。
しかし体調が悪い。今回も手を出してしまいました。
夜の仕事は今日が最終回です。なので、絶不調でも来なけりゃなりません。今日のテーマは「「現場」のために教師が社会調査を学ぶ」です。
学校って、実は生徒向きや保護者向きのアンケートを山のように実施しています。が、社会調査についての基礎知識を持っている人は、ほとんどいません。てか、わたしもあまり知らない^^;;。なので、答えにくい設問がけっこうあったりします。さらに、分析の過程でも「因果関係」と「相関関係」をごちゃごちゃにしている人がいたりします。てか、因果関係を導き出すのはめっちゃ難しいし。さらに、調査倫理についてはまったく無頓着だったりします。さらに、適切な調査方法を考えずに、「とりあえずアンケートとるか」「とりあえず自由記述だな」みたいな設計をしたりもします。
ということで「さらに」を連発しましたが、まぁそういうのが「現場」ってことです。なので、教員の卵の人たちが「調査方法っていうのがあるんだ」ということを知ることって、とっても大切なんですよね。
今回の発表者の学生さんは、ちょうど実習先の学校でアンケートを取ろうとしておられて、ご自分のアンケート用紙をサンプルに、いろいろコメントされました。極めて実践的でいいですね。やはり、サンプルって大切です。
で、いつものホワイトボード書き書きもやって、最後にひとことだけコメントさせてもらいました。
今日の学生さんたち、2年前の4月にはじめて出会って、それから2年間のつきあいなんですよね。そして何より、自分が半年なり一年なりを通して担当したはじめての学生さんでもあります。それだけにいろいろ思い出深いみなさんです。
そもそも、わたしがなぜ大学の非常勤をしたいと思ったかというあたりから、ほんの少しだけ話をしました。そして、やはりこの一言ですね。
「自分が発した言葉が誰かを排除していないか、常に考えること」
これを考えるためには、社会の構造を常に頭に入れている必要があります。なぜなら、「排除」は「構造」の問題だからです。つまり、心掛けの問題ではなく、社会構造の問題だということです。そして、その社会構造を意識化すれば、自ずと人権へとつながっていく。だから、学生さんたちに、この一言を意識化してほしかった。
最後にコメントを書いてもらいましたが、わたしが伝えたかったことが、じんわり伝わっているみたいで、とてもうれしかったです。
来年度、新しい学生さんたちと出会う予定です。きっと、新しい関係の中で楽しいひと時を過ごせるだろうと思います。でも、この2年間は、格別でした。ありがと!
しかし、O園さんが心配だ…。
ということで、今年度の夜の仕事は終了。いろんなことを思い出しながらビールを飲みますか。
と思って、ビールを飲んだけど、味が鈍い。嫌な予感しかしませんね。