朝、通勤電車の中で昨日のディスカッションをきっかけとしたモヤモヤについて考えてました。
なぜ人権教育ってあまり重要視されないんだろう。
もちろんみんな「大切」って言います。でも、一方で「バランス」の対象にされる。つまり「やりすぎ」ってヤツです。なぜそうなるんだろう。
つらつら考えていると、ふと思いました。
基本的に学校でやっていることって、生徒に対して「自分のためにやるんやで」と言っているんじゃないかと。例えば「なぜ勉強するのか?」「自分のためやろ」と。例えば「なぜキャリア教育をするのか?」「自分のためやろ」と。でも、「なぜ人権教育をするのか?」に対する答えはそうはならない。いや、もちろん「自分のため」という側面はあるけど、一般的には「差別されてるかわいそうな人のため」になる。そういう他人のための勉強は優先順位が下がる。
で、わたしが考える人権教育は「よりよい社会をつくるため」です。多様であることを認めず、格差を拡大している、この社会を変え、より人々が幸せに生活できるようになるためには、どのようにすればいいかを学び、考え、実践することです。でも、それもまた優先順位が下がる。
つまり「銀行型」「貯蓄型」の学校である限り、人権教育の優先順位は下がるってことです。
てことで、暗澹たる気持ちになってガッコに到着。やはり生徒に語らずにはおれません。
なのでそんな話をしたあと、「なぜ勉強するのか?」です。それに対するわたしの答えは?それは「社会のため」です。
「だってな、君たち、微分積分をやってなんになるんだろと思うやろ。でも、この社会のほとんどの人が微分積分なんて聞いたことがないってなると、社会がまわらなくなるねん。だから、君たちが学ぶことは社会が成り立つようにするためやねん」
でも、こんなことを口走らなきゃならない時点で、なんかやはり暗澹たる気分ですね。
てことで今日も生徒と走りましょう。なんでも今日はクロカンコースを8周するんだとか。8周だと5.3kmくらいです。要は来週あるロードレース大会の半分の距離を走らせようということですね。
この間わたしは4kmで使い切る走りをしてきたから、今日は5km走るための走りに切り替えましょう。ところが、はじめの1kmがいきなり5分ちょいだったので、これはヤバイなと。最大の難関の階段横のスロープのストライドをあえて短くとることで体力を温存。その代わり、最後までペースを落とさないのが今日の目標です。てことで、5分03秒→5分27秒→5分14秒→5分29秒→5分23秒で、5.3kmを28分39秒。アベレージが5分20秒。まぁこんなもんでしょう。
しかし、なんだかんだと用事が立て込んでいて、ゆっくりとものを考えるヒマがありません。そんな中、1本ゲンコを断ったり、断りきれない報告をとりあえず書いてみたり。そして放課後は2月末のためのzoom会議です。頭がまわりません。ヤバイな。
定時に退勤して、F澤さんと合流。ここでも謀議です。そうか、そういうふうにやればなんとかなるかもしれないんだ。ならばやるしかないな。
でも、これを実現したら、また忙しくなります。ほんとに書籍化をさっさとやらなければ…。