朝鮮人虐殺事件フィールドワーク

朝、7時に目が覚めました。スマホを見ると、どうやら昨日自撮りをしたらしいです。いったいなんのために…。
とりあえず朝食を食べましょう。が、朝食券がない。どうなってるんだろう。とりま1階に行くと本部の方がおられて、おべんとを渡されました。

本当はコーヒーとパンがいいんだけどなぁ。まぁでもせっかくなので電子レンジで温めてから、おいしくいただきました。
人権教育実践交流集会の2日目はフィールドワークです。今回は「関東大震災100年ー関東大震災直後に何が起きたか 朝鮮人虐殺事件フィールドワーク」です。
もちろん多数の朝鮮人が虐殺されたことは、授業でも話します。が、きちんと勉強はしてきませんでした。まぁそんなのでよくしゃべれるなって話ですが、きちんと勉強しようとすると、それはそれでたいへんです。なので、こういうフィールドワークはとても助かります。
ということで、バスに乗って中條さんのレクチャーを聞きます。「天災としての関東大震災」と「人災としての関東大震災」という話は、阪神淡路大震災の話でもします。が、関東大震災における人災は虐殺です。そして、それは今も続いています。もちろん人を殺しているわけではないです。でも、「それを認めない」という形で、今も続いています。
ということで、まずは横網町公園。ここで多数の人が亡くなられました。なので、ここに「東京都慰霊堂」と「東京都復興記念館」があります。そしてもうひとつ、「追悼 関東大震災朝鮮人犠牲者」という碑があります。
ただ、これらを見る前に、隣にある慈光院に行きました。ここは「震災記念」のお寺とのことです。

中で住職さんの話を聞きました。
「みなさん、震災でたくさんの人が亡くなりました。が、その人たちを追悼するだけでいいですか?」
つまり、生きている人間のケアが必要ということです。そのためにこのお寺が建立されました。中にある阿弥陀如来像には多くの震災死者の骨粉を混ぜられているんだとか。

おそらくそこには、生き延びたものと死んでしまったものをつなげる役目があるのかな。
で、東京都慰霊堂。ここには関東大震災と東京大空襲の両方の死者の慰霊をしています。まぁ「死」という意味では同じかもしれないけど、そこに至る経緯が違いますね。それを一緒にするというのは、なんとなくもやるものがあります。それは復興記念館にも通じるものですね。そして、朝鮮人を「犠牲者」としているところにも通じるものがある気がします。

ということで、「公的なモニュメント」へのモヤっと感を持ちながら、浄心寺へ。ここには亀戸事件の犠牲者の碑があります。
亀戸は労働者の街で、労働運動発祥の地と言っておられました。ここで関東大震災直後の9月4日に社会主義者や労働運動家が逮捕され、4日から5日に軍隊によって刺殺されました。浄心寺はいろいろな集会を開いたりしていた関係で、1970年に「亀戸事件犠牲者之碑」が建てられたとのことです。

梅と青空とのコラボ。

次に向かったのは荒川放水路。木根川橋と京成線の鉄橋の間に旧四ツ木橋がかかっていました。ちょうどそのあたりに虐殺された朝鮮人や亀戸事件の犠牲者たちが野焼きされ埋められたんだとか。ただし、事件が発覚するのを恐れて、直後に発掘してどこかに持ち去ったため、遺骨はいまだにどこにあるかわからないとのことです。
今は河川敷で野球チームが練習したりしています。


きっとここで虐殺があったこと、遺体が埋められていた時期があったことは知らないだろうな。でも、それはすごく大きな問題だと思います。
ちなみに、千葉の教員のかたがそのあたりの歴史を発掘されていて、「現場」がこのあたりであることを知って、堤防の下に小さな土地を買い取って「ほうせんかの家」と「追悼」の碑をつくられたんだとか。ということで、堤防の上からパチリ。

これが「碑」です。

唯一、ここだけが「加害者」をはっきりと書いてあリます。それが情けないですね。
なんでも、1923年12月15日の衆議院本会議で、ある議員が政府の責任を追及したところ、当時の総理大臣は「現在取り調べ中なので、そのうち言う時が来るだろうけど、今はその時ではない」という旨の答弁をしたんだとか。ところがそれから現在に至るまで、一度も「その時」が来ていない。どころか、このような歴史を隠蔽しようとすらしています。
なぜ「あったこと」を「あった」と言わないのかな。「ごめん」と言えば済む話です。そこからようやく前へ進める。でも、隠蔽する。戦前の話だし、政治体制は基本的には変わっています。憲法も当時とは違います。なので「過去は誤っていた」と言えば、それで済む話です。でもしない。きっとそれは、戦前から現在に至るまで、「変わっていない」と考えているからなんでしょうね。つまり、関東大震災における虐殺は、今に続いている。そんなことを考えさせられるフィールドワークでした。

ちなみに、木根川という言葉でわかるように、この少し南が木下川なんだとか。そこに皮革資料館があるということなので、行ってみました。が、日曜日なので休み。残念。でも、このあたりの「におい」がかげたのはよかったな。

で、一緒に皮革資料館に向かった熊本の方と一緒にお昼ごはん。偶然入ったお蕎麦屋さんですが、おいしかったです。もちろんビールもおいしかったです。
さぁ、あとは新幹線に乗って帰りましょう。
家に帰って体重計に乗ったら、えらいことになってました。なので、ちょこざっぷ。腹筋とかレッグプレスとかやりまくって、トレッドミルで7kmを43分36秒で走って、本日のトレーニング終了。さぁ、ビールだ!

今年は対面・人権教育実践交流集会

朝イチ、パートナーに乗せてもらって駅まで移動。さらに新幹線に乗って、東へ東へ。新幹線の中で、いきなり来年度の全外教大会へ向けたやりとりがはじまります。さらに、I田さんにおそるおそるメールしたらきっちり返事が返ってきて、こちらもやりとり開始です。そんなことをしながら、到着したのは東京駅です。今年もやってきました「日教組・人権教育実践交流集会」です。ここしばらくはzoomでしたが、今年は久々の対面です。
てことで、神保町まで歩き。2kmもないんだ…。なら、電車で神保町まで行って、朝ちょこざっぷをやってもよかったな。
会場に入ると、いつもの人々がおられます。みんな、対面なのでうれしそうです。
で、午前は分科会の打ち合わせです。打ち合わせが終わったらおべんと。

量が多い。てか、ハンバーグ、食べるのたいへんでした。
で、いよいよ集会スタート。ただ、その間もひっきりなしにメールが入ってきます。まぁええか。
全体会のメインは講演。A井さん@解放同盟全国書記長です。んー…。今の人権教育の流れと逆行する話で、おそらくそれは「今の流れは危険だぞ」という警告ではあるんだろうけど、でも、どうだろ。あと、包括的差別禁止法はインターセクショナリティとからんでくるんだけど、その話が出てこないのは少々不満かなぁ。まぁでもほんとうに活動家だなぁということを感じる力のある話ではありました。
で、分科会。
レポートは2本。1本目は東北ブロックのレポートで、アンコンシャス・バイアスに焦点をあてたものでした。なんか「全然知らない」とかいいながら、いろいろやっておられて、おもしろいなぁ。2本目は東海ブロックのレポート。実はこないだ一度聞いてます。ただ、こないだはわたしはレポーターだったけど、今日は共同研究者なので、役回りが違います。自ずと発言も変わります。しかし、質疑応答の中で
「ジェンダーという言葉をどう教えているか?」
というのがあって、答えが
「SDGsの中にビデオがあって、それを見せた」
で、なるほどなと。
わたしらみたいな人間がやると「偏向教育」とか言われそうだけど、SDGsだったら、誰も文句言えないわな。おそらく無邪気に「これ使えばいい」ってやられたんだろうけど、その結果はすごいなと思ったり。
そしてグループ討議。
今回の討議の柱が「隠れたカリキュラム」なので、少しわたしから説明。盆明け仕事のために勉強しておいてよかった…。
で、グループ討議開始。みんなワイワイ楽しそうに話しておられます。やはり対面がいいよなぁ。
で、最後に、共同研究者からのコメント。
わたしは冒頭
「みなさん、男女って性別を当然のことと考えておられませんか?でも、人を産む能力を持つ可能性があるかないかでわけるってことは、社会的・文化的なことですよね」
と言ってみました。いや、セックスとはことなるジェンダーを強調すればするほど、セックスが絶対的なものとして強化される気がしたんですよね。だから、セックスも疑ってかかることは可能なんだってことは言っておかなきゃならないなと。そのうえで、隠れたカリキュラムのレベルの話をしたりして、10分のところを少し長目に話してしまいました。まぁでも許容範囲だったかな。
そんなこんなで、分科会終了。
夜の部まで少しあるので、ちょこざっぷに行って軽く筋トレ。楽しいなぁ。
その後、ホテルにチェックインして、内部の懇親会会場へ。日本酒どうだろと思ったけど、おいしいやん。これは飲んでしまいます。さらに2軒目では泡盛です。久しぶりの○田です。おいしいな。てか、置いてるんだ。そしてなぜか3軒目。このあたりで記憶があやふやに。ただ、お寿司は食べたな。
そしてホテルに帰って爆睡です。