今日から2年生は期末試験です。なぜかというと、来週から研修旅行に行くからです。なぜ来週かというと、1・3年生が期末試験だからです。こういう日程にしたら、授業の代講を考えなくていいという。ちなみに、わたしが担当してるクラスは2年生なので、授業はなくなりました。試験カントクだけです。
てことで、まずは解答づくり。50分の試験を30分で解けました。そりゃそうです。見た瞬間に解いてます。計算にしても最小限で終わらせます。そんなもんです。だから間違う(笑)。そして配点。問題数を数えて、1問あたりの配点を計算して、ほんの少し荷重して割り振ります。まぁたいてい98点とか102点くらいになるので、最後に微調整しておしまい。もっとも、たまに100点になってないことがあったりします(笑)。ちなみに、100点になってなければ、その差点を全員にあげればいいと考えられるんだけど、実はそうはいかない。点数の計算のときに、×が多ければ足し算しますが、○が多ければ×の点数を引き算するんですよね。すると、例えば全部で98点しかない場合、加点法で計算した生徒は2点あげれば100点満点になるけど、減点法の生徒はそのままで100点満点になる。
てことで、解答と配点を何度かチェック。まぁでも、それでもミスが出るときは出る(笑)。
その後、試験カントクしたり。
で、事務室に行くと、DVDが来てました。「一人になる」です。さっそく見ましょう。
ちなみに「小笠原登」って人、どこかで見たなと思ったんですが、「不治にあらず」って番組を見たんだな。
で、はじめの方は、はいはいはい。なるほどみたいな感じだったんですが、どんどん引き込まれます。それは小笠原さんというよりは、絶対隔離の政策がどのように進められ、それに医者や「名士」がどのようにかかわったかってあたりです。てか、癩予防協会の初代会長が渋沢栄一ってはじめて知りましたよ。そんな人を紙幣のデザインに使う感覚ってどうよ。もっとも、wikiせんせいを見たら本文ではなく、最後の表の中にちょこっと書いてあるだけですけどね。
で、藤野豊さんの解説がいい。
「あれは政治的なやりとりですね」
みたいにバッサリとやられます。
ただ、この解説がとても大切なのは、ハンセン病対策は病気としてでなく政治的としての課題だったってことです。そこに患者と家族が巻き込まれた。そしてだからこそ、それを病気として見た人が否定された。
まぁ、そのあたりは昔も今も何も変わってないですね。HIVしかり、covid-19しかり。
じゃ、医者がみんな政治に負けてるか、あるいは政治に追随する医者だけかというと、まったくそんなことはない。実はDVDを送ってくださったのは和泉眞蔵さんで、この人も小笠原さんのあとを引き継いだ方です。なんでも国賠訴訟はこの人の証言抜きには勝てなかったとか。てか、そんな人とこの間やりとりしてたんだ。無知って怖いわ。
ちなみに、この人だってこの人だってこの人だって、たぶん政治に負けてない人たちです。もちろん常に正面衝突し続けてるわけではないけど、でも、衝突はしてます。
そうそう。小笠原さんが最後に奄美の和光園に行かれたのもおもしろかったですね。隔離政策を否定し続けてきた人が、最後に国立療養所に行く。なんとなく、それもさっきのお三方と共通するものがある気がします。そこもまた現場ですからね。
映画を見終わったあとはボーとしてました。
ハンセン病をどのように教えるのか。過去のことではなく今のこととして教えるのは、おそらくはこんなのもつくったから、できないことはない。でも、あんなのは誰でもできます。やるなら、もっとハンセン病にこだわってやりたいな。
そんなことを考えながら、結局は1日が終わりました。まぁでも、こんな日があってもいい。