来年度の仕事のための書類の〆切が22日ですが、考えてみると月曜日です。ということは、土日は話にならないので、金曜日にポストに入れなきゃなりません。でも金曜日は米子に行かなきゃなりません。そして18日は朝からお座敷。てことは…。詰んだな。
とか言っていられません。
いや、なんでもっと早くやらないんだと言われそうですが、これが精一杯のスピードです。
まぁそんなことで作文に明け暮れた一日でした。
うがー。
夜はS-とが来て、呑み。クールダウンクールダウン。
年: 2022年
ひたすらこもりんモード
世間は本格的にお盆休みに入ったのかな。もちろん、わたしには「お盆」という感覚はありません。が、世間が休みモードに入ったら、わたしもこもりんモードに入れます。
ということで、まずはお盆明け仕事の準備から。昨日、一歩も動かなくなったので、今日はその続きです。たくさんあるトピックスの中からいくつかは選ばずにおくことにしました。いや、選びたいけどきっと90分を突破してしまいます。まぁええかという気もしますが…。
とりあえずやろうと思っていたところまでやったところで、お次は来年の仕事のための書類づくりです。これもあと1週間ばっかで〆切です。なんかもう、なんでこんなに書かなきゃならないこと、やらなきゃならないことがあるんだろう。一通り書いたところで「モルタル職人さん」に投げてみました。すると、帰省中でのんびりしておられるにもかかわらず、電光石火で返事が返ってくるなど。もうしわけない。
そんなこんなで、気がつくと7時です。今日の営業は終了やな。
夜、「星影のワルツ」が結婚差別を歌ったものという話があって、ちょっと調べてみたら、それは違うという話があって、そんな中で、久しぶりに「架からぬ橋」を見てみたり。その中でもちろん宿毛の結婚差別事件が出てくるわけです。そう言えば、アクセスログを見てみると、なぜか「死のロード5日目」がたまにヒットしているんですね。なぜだろうと思ったんですけど、もしかしたら「宿毛 結婚差別 誠」で検索するとヒットするからか?
不思議だわ。
こんな日もある、と、訃報と
朝、少し早起きしてお出かけしようかと思っていたけど、早起きできず。でも、お出かけはしようかな。
ということで、いただきもののコーヒ-とボトルにお湯を入れてお出かけ。パン屋さんでパンを買って、プチキャンプ気分です。
帰ろうと思ったら、てんとう虫が…。
家に帰ってきたら、仕入れた「イモの蔓」の皮むきをして、エゴマの葉っぱを漬け込んで。少しメールチェックをして、再びお出かけです。
到着したのは角打ち。明日からお盆休みに入るらしいし、そうなると昼間に来る機会はほぼないですからね。昼間の角打ちには数人のお客さん。てか、H田さんとかAーちゃんとかおられます。H田さんは1年半ぶりです。
H「お、久しぶり」
い「うわぁよかった。会えてよかった」
生きてはったんやなぁ。ということで、H田さんと初対面のおじさまがおられるテーブル席で、まずは日本酒です。カウンターを見ると、なんでも金曜日はサービスの日らしく、カレーがあるんだとか。頼んでみました。
これで150円。ちなみにごはんを入れたら200円。どういう計算をしているんだ?
あとはしょーもない話をみんなでグダグダ。と、気がつきました。おじさまの手…。
い「あの、指、どないしはったんですか?」
お「バレたか」
い「そんなんバレるに決まってますやん」
お「小指はたいしたことなかったけど、薬指は心臓につながってるからな、痛かったわ。小指はここで切って、ここで切って、左右で4回やろ。それに薬指で5回や」
い「いろいろ事情があったんですね(笑)」
お「おぉ、あったんやわ(笑)」
H「そんな深刻な話、笑ろたらあかん」
い「いや、H田さんの話も深刻やけど、笑ろてますやん」
H「そやな」
お「こんなん、笑わなどうすんねん」
しかし、この店に来ると、いろんな方がおられて、メッチャ楽しいです。リフレッシュしたところで家に帰ってzoomでミーティング。
ミーティング中に、史朗さんの訃報が飛び込んできました。マジか…。わたしが「この世界」に入ったきっかけは、大学時代の史朗さんとの出会いでした。まぁ、ジェンダー的に問題はメッチャあったし、それ以外にも学歴に対してもすんごい差別的な人だったけど、それでもなお、すごい人でした。メッチャカリスマ的な、ダメな人でした。
少し落ち込みながら、ミーティング終了。
ここでしばしおべんきょ。が、手につきません。そうこうするうちに、次のzoomミーティングの時間が来ました。時は7時半。9時に終わるかなと思っていたら、終わりそうで終わらない。終わりそうになったら「そうそう」とかいって新しい話が出てきて、それが終わりそうになったらまた出てくる。そんな感じで、結局ミーティングが終わったのは9時半です。まぁ大切な話なんですけどね。
ということで、ようやく晩ごはん。まぁお酒の量が少なくなっていいかな。あ、昼間に呑んだんだ。
座椅子にて
ようやく収録した
朝、Aっちゃんに家まで送ってもらって、ひと息ついたら、ガッコに行くことにしました。本来は行かないはずなんですけど、参加費の処理とか、使った機材を持っていったりとか、いろいろいった方がいいかなと。その後、リハビリです。
リハビリが終わったら昼過ぎ。家に帰って昼ごはん。
どうしようかと思ったけど、定番のカップ焼きそばですね。ビールを呑んだら当然眠くなります。なので、しばし昼寝。だけども、こんなことをしているヒマはない。なにしろ、お盆明け仕事の前段にあるオンデマンドの公開開始日があさってに迫っています。にもかかわらず、動画の収録をしていません。
てことで、zoomを使って収録です。うーん、教科書の内容が頭に入っていないな。ヤバイです。それでも、なんとか30分弱の動画を3本収録できました。ということで、角打ちへ(笑)。いや、移転されたので、早く行きたいと思っていたのでした。
お店には初めて会うお客さまがひとり。お酒を買いに来た若者が4人。なんとなく賑わっています。
わたしはいつもの通り、お酒です。アテは…。スジとこんにゃくの炊いたんがあるので、それにしましょう。
うまいな。なのでお酒をもう半分いただいてと。
お店の中の会話は、ひたすら野球の話です。みんな好きなんやなぁ。てことで、閉店時間までいてお勘定。えーと、日本酒1.5杯とすじこんにゃくで690円。やはりおかしいよ、この店。
今年は会場担当者
朝起きると、なんだかもうな感じです。それにしても、脳みそがフラフラです。困ったな。
それでもなんとか起き出して、しばしあたりを散歩。漁港が目の前にあるんですね。
いいなぁ。その後、会場へ。今日は分科会の日です。
そう言えばと思って、前回の大会の記憶を呼び起こすと…。昼ごはんを一緒に食べたS田さんも、晩ごはんを一緒に食べたSんむんさんも、今はこの世におられないんですね。なんだかさびしい…。
それはそれとして…。
通常、わたしは、大会2日目は用事もないので、ボーとしていますが、今回は会場担当者になりました。まぁそれはそれで分科会の集中できるので有意義です。
ということで、会場に行くと、会場担当の仕事をすでに司会者・報告者・レポーターがしておられます。もうしわけない。なのでわたしは受付に集中ですね。
そうこうするうちに、分科会スタート。最初のレポートは1991年から2019年までの全外教大会のレポートを分析したものです。なんでも、博士論文を書かれて、それの超ダイジェスト版なんだとか。話の内容はメッチャおもしろいです。なんか、実践よりもこちらのほうがおもしろいという自分の志向の変化は怖い気もしますが、でもこれはこれで貴重な分析結果です。ちなみに、論文そのものはここにあるんだとか。
2本目のレポートは日本語教室の右往左往する話です。いや、マジで地道なとりくみです。それにしても、評価権がないっていいですね。どちらかというと「評価権からの自由」という感じです。が、なかなか鳥取も厳しい状態なんだなんということが伝わってきます。
てことで、午前の分科会終了。午後のzoomの設定を終えて、昼ごはんをゲット。
セブイレの「銀座デリー監修カシミールカレー」です。分科会場は完全にカレー臭ただよう場所になりました。
午後のレポートは東京の弁護士さんによる在留資格をめぐる話です。これ、ほんとうに大切です。あらためておべんきょさせてもらいました。ちなみにこの分科会には本店の人もいて、こちらもべんきょうされていました。
その後、総括討論。久しぶりに発言をしてみたり。そんなこんなで、分科会終了。後片付けをして、そのまま閉会集会へ。各分科会の報告、長い(笑)。
と、メールチェックをしたら、なにやら昨日の投稿にコメントがついたらしいです。中身を見たら「2009年卒業生」さんです。名前を見ると、かつて追認試験を担当した在日の生徒でした。全外教大会の日に在日の卒業生からコメントがつくというのも、なんかすごいですね。とてもうれしいです。
てことで、今年の全外教大会も終了。Aっちゃんの車で一路京都へ。早く帰りたいからノンストップで帰ってしまいました。で、どうしようかと思ったけど、やはりそのまま帰るのはなんとなく違う気がしたので、Aっちゃんの家で軽く呑み。そのまま泊めてもらいました。まぁいいでしょう。
今年のアピールはすごかった
起床は6時半。にもかかわらず、6時くらいからバタバタしている人がいます。眠いのに…。てか、起床が6時半の場合、6時半までは寝ている人を起こしちゃダメと、小学校の頃にキャンプで教えてもらったんだけどなぁ。
とりま卵スープとおにぎりふたつの朝ごはんを食べて、そこからは子どもたちは話し合いです。わたしは部屋の外でダラダラ。と、中に入っていた教員が外に出てきて
「リストカットの経験を話してるよ」
と報告してくれました。びっくりするほど深いところに話が進んでいるんですね。いい会になったんだなぁ。
で、全体会。リストカットを経験した生徒が
「ずっとガマンしていると、胸が痛た苦しくなる。リストカットすると、その痛みで胸の痛みが楽になる」
と話してくれました。そんな思いをしているのかと思うとともに、そんな思いをさせているんだと、あらためて思いました。
で、米子市の大会の全体会場に移動。恒例の「交流会からのアピール」です。会場に入っていく子どもたちの姿を見たら、交流会をつくってきたもののひとりとして、少し誇らしい気持ちになります。前回の奈良大会ではなんとなく不満があったアピールでしたが、今回はよかった。それだけ深い語りあいがあったんでしょうね。
「常にビデオカメラで写されている気がする」
という、ある外国人生徒の語りを聞いて、なんとなく共感してみたり(笑)。
アピールのあと、控え室で子どもたちは別れを惜しんでいます。たった2日でこういう関係になるのもまたゼンコーです。ただ、今回は最後までいられません。全体会の講演が聞きたい。我ながら珍しいです。
てことで、全体会場へ。講師は御館久里恵さんで、演題は「外国につながる子どものライフコースと当事者による支援の意義-外国につながる「元・子ども」の語りから-」です。
おもしろい。「当事者による支援」に意義があることが、すんごいよくわかります。でもそれは交流会をやっていると、よくわかります。というか、ある種、わたしもそれか。ただ、あまりにも眠くて、なんどか瞬間気を失いました^^;;
てことで、大会1日目、わたしのとっての2日目が修了。と、いきなり声をかけられた相手が、京都府の教員をしているA田さん。なんとなくそのまま
「呑みに行く?」
と誘うと
「行きましょう」
と。ということで、本日の宿泊先であるKうちゃんのおうちへ。ここで呑んでいると、なぜか正規の呑み会で呑み終えられたO谷さんから連絡があって、なぜか合流。
そして、当然のことながら終電を逃されるわけで、ホテルをとっておられるにもかかわらず合宿がはじまったり。話題も部落から在日外国人、そして障害からダルクまで、あまりにも幅広すぎます。楽しい。ということで、明日があるのに、宴会は延々と続きます。
3年越しの開催
今日から3日間、全外教鳥取大会があります。もともとの開催は2年前のはずでした。ところがcovid-19の関係で延期を余儀なくされ、昨年も延期。今年ははるかに感染が拡大しているけど、これ以上の延期は無理ということで、開催を決定しました。ちなみに、あちこちから「開催するのか?」という問い合わせがありましたが、「やる」と決めたら前に進むしか方法がないわけで。だって、すでに資料集の印刷も終わっていて、この時点で中止したら大赤字です。何より、このために準備してくださっているレポーターの方や鳥取の現地の人々に申しわけない。だから、感染対策をしながらの開催ということです。
てことで、今日と明日はゼンコーです。
開催場所はこの間のキャンプと同じ場所です。ただし、今回は牡蠣もサザエも生ビールサーバーもなし。目的が違います。でも、出迎えてくださる職員さんたちは同じです。申しわけない。
到着したら、子どもたちは開会行事。でもわたしは買い出しです。
帰ってきたら調理開始。何やらみんなやってますが、わたしはレスト。というか、おべんきょです。
わたしはフェミニストという自覚はないけど、フェミニズムの歴史を少しかじると、元気が出ますね。何というか、時代とか世界とかを切り拓いていく勢いを感じます。自らを言語化できなかった女性たちが、自らの社会的立場を自覚し、発信していく感じ。もしかしたらそれは、部落や在日、あるいはLGBとかトランスなんかと共通する感覚かもしれません。
やがて食事の時間。今回のアドボは酸味が強いですね。ソゴギムグッはおいしいです。唐辛子を入れるともっとおいしい。コシャリは初めて食べるけど、トマトソースとフライドオニオンの組み合わせが最高です。そして、鉄板の水餃子。ちなみにハラルの関係で、具はエビですが、これがおいしい。
食事の後は子どもたちはグループ討論。なので、ヒマタイムです。かつてはまとめ役としてあちこちのグループをまわっていたけど、まとめ役はT花センセイに譲リました。わたしは…。まぁ卒業生と遊ぶ役ですね。なので、おべんきょの続きです。
最後のリーダーミーティングだけは参加しましょう。理由はひとつ。教員がしゃべらないように牽制するためです。でも、そんな心配は無用でした。リーダーが語り、卒業生がそれに返し、それを聞いているだけでいい。やはり、交流会は子どもたちの場所だなと、あらためて思いました。
その後、卒業生の交流会。参加者は卒業生3人とわたしとT花センセイ。きっとみんな卒業生と飲みたいだろうな。でも、教員と一緒だと卒業生が話せない。なので、この場が必要です。そしてそこにちゃっかりいるわたし。まぁそういう役まわりってことです。
なんだかんだでえらい遅い時間になってしまいました。さて、寝ましょう。
とにかくおべんきょ
8月がはじまって、いきなり大分→某人権教育研究会の夏季研で、明日から某在日外国人教育関係の生徒交流会→全国大会で3日間自由がなくなります。ということで、いよいよ切羽詰まってきました。
そんな中、今日は貴重な日です。とにかく、盆明け仕事のサイトを整備したり、はたまたおべんきょ→スライドづくりをしたり。それにしても、おべんきょをしたら眠くなるのはどうしたことだろう。まぁいいです。夏休みの土曜日です。しばし昼寝をしたらすっきり。
そんなことをしていたら、あっという間に1日が過ぎました。やばいな。
人権教育の今後を考える―「特別な教育的ニーズ』をめぐって―
今日は、某人権教育研究会の夏季研です。
てことで、集合時間は8時45分。マジかと思いながら、会場へ。なんだかんだと準備をしていたら、開会の10時になってしまいました。
午前は分科会。今回の夏季研は、わたしなりに気合いを入れています。
とにかく京都「府」の在日外国人教育は遅れています。とりわけ、日本語指導が必要な生徒へのとりくみは、完全に個々の学校に委ねられていて、それらを共有したり継承したりするしくみが一切ありません。まぁ、全外教京都がそれをやらなきゃならないんですが、全外教京都がイベントをしても「仕事」にはならないから、みんな来てくれません。かと言って、某人権教育研究会のレポートに上がってくるかというと、そういうしくみもない。そんな中で誰がしんどい思いをしているかというと、生徒たちです。なので、わたしの最後の仕事は在日外国人教育と決めました。もっとも、どこまでやれるか知らんけど。
で、今日の分科会では日本語指導を経験した/しているふたつの学校から実践報告をしてもらうよう画策しました。ほんとうはあと2校出してほしかったんだけど、うやむやのままに出してもらえませんでした。でも、この2校が出してきたことは大きかったですね。片方の学校は、いろいろ人的資源をかけながら、支援をしています。ただ、それでもダメだった経験があって、その経験を生かせて新たなとりくみをしておられることがわかりました。まぁ、もともと生徒を大切にする文化のある学校なので、それができるのかな。もっとも、他にもいろいろレアケース的なものはありますがね。もうひとつの学校も、生徒を大切にする文化があるのですが、なにしろ生徒を支援する学校を支援してくれるしくみがない。その中でやってきた、「試行錯誤」を、かなり詳しく報告してくれました。
この2本のレポートに対して、いろいろな質問や意見が出たし、さらに京都府国際センターの堀江さんがさまざまな指摘をして下さって、感謝です。まぁ結論は、「経験の共有と継承をするためにも、外教組織をつくらないとダメ。そしてその保障を府教委がやらないとダメ」という、あたりまえの話なんですけどね。でも、そこへ持っていくためにも、大切な一里塚だったんじゃないかな。
午後は記念講演です。が、その準備がえらいこってす。なにしろサテライトをつくらなきゃならないので、2会場をzoomでつながないといけません。それをひとりでやると、けっこうめんどうです。あれやこれやとやっていたら、講師の方から「もうすぐ着くよ」という連絡が入ったりして、なかなかてんやわんやな昼休みでした。1時間半休みがとってあってよかった。
で、記念講演。講師は原田琢也さん。演題は「人権教育の今後を考える-「特別な教育的ニーズ」をめぐって-」です。
原田さんとはじめてお会いしたのは「関西インクルーシブ教育研究会」という、謎の研究会でした。ここで京都市の中学校教員から大学教員になられたと知って「へー」と思いました。さらに、原田さんの論議がおもしろいんですね。どう考えてもルーツが同和教育にあります。この研究会はインクルーシブ教育がテーマだし、自分は専門外なので、なかなか発言ができませんでしたが、いつだったか発言をしたら、原田さんもわたしの「お里」がわかったようで、それ以来、少し気にかけてくださっているような気がします。そんな、原田さんの論議で教わったのが「特別な教育的ニーズ(SEN)」と「原学級保障」です。特に前者を知って、「在日外国人もSENがあるんだから、インクルーシブ教育で扱えるじゃん」と思ったのは大きかったですね。
ということで、今回の講演では、あたかも「インクルーシブ教育」を扱っているように見せかけて、それを特別支援教育にとどまらないところまでもっていくということを意図したいなと思いました。
で、内容です。トピックスは「同和教育の軌跡」「現在の社会と教育をめぐる状況」「日本のインクルーシブ教育制度の課題」「事例の紹介」「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」の5つです。
まずは「同和教育の軌跡」です。これは新採教員に聞かせたい。「今日も机にあの子がいない」からはじまる同和教育の軌跡、なかでも「差別の現実から深く学ぶ」ことの大切さを、あらためて感じさせられました。うーん、やっぱり「人権教育だより」に連載しようかなぁ。でも、その時間、あるかなぁ。続いて「現在の社会と教育をめぐる状況」。新自由主義の中で「自己責任化」されるシステムが、とてもよくわかりました。そしてそれが「しんどい子ら」の自己責任へとつながっていく。そこに差別と貧困の共通するものがあります。そして「日本のインクルーシブ教育制度の課題」です。
そもそもインクルーシブ教育はサラマンカ宣言で謳われていて、そこには「万人のための教育」と「統合主義」があげられています。ところが、日本のインクルーシブ教育は「障害のある子」に対しておこなわれるため、結果として「分離教育」となります。そしてこれを「インクルーシブ教育」と名づけている。さっぱりわかりません。まぁそんなあたりについてていねいに話していただきました。そして、「事例の紹介」。
まずはイギリスのロンドン・ニューアム区の事例。ここ、なんか『ハマータウンの野郎ども』に出てきそうなところらしいです。そういうところでおこなわれるインクルーシブ教育は、当然障害のある生徒に特化したものにはなりません。というよりも、イギリスは「障害のある生徒」とは捉えず「特別な教育的ニーズのある子」ととらえる。だから、移民の子どもなんかも特別な教育的ニーズを持つわけです。あと、おもしろいなと思ったのがLDです。これ、Learning Disabilityの略と言われますが、イギリスではLearning Difficaltyなんですね。とにかく障害を使わない。次にあげられたのが、オーストラリアのクイーンズランドです。ここはアボリジニの生徒がメッチャいるらしいです。原田さんの話でおもしろいのは、そういう移民の子どもやアボリジニの子どもへのとりくみを話されることで、いわゆる「障害」の話をあまりされません。それは、わたしからのニーズを受けとっていただいたからということもあるでしょうが、もうひとつは、移民の子どもやアボリジニの子どもに相当する子が日本では「発達障害」とされてしまう可能性が高いんですよね。おそらくそのことを念頭に置いてはなしをされたのかなと。で、アボリジニの子どもに対してやってることが、まんま同和教育です。専門のスタッフが、バスに乗って家をまわって子どもをたたき起こして、学校に着いたらスポーツやって朝ごはん食べて、それから教室に送り出す。なにかあったら、専門のスタッフに連絡があって、さまざまな対応をする。クイーンズランドの場合、そういう専門のスタッフを財団がつくっていたりするのがいいですね。まぁでも西成高校の「となりカフェ」みたいなものかな。そして、日本においても大空小学校とか松原高校の事例をほんの少し紹介されました。
最後に「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」です。ここで再び同和教育が出てきます。そして、「特別な教育的ニーズは、本当に障害から来ているのか?」と問いかけられます。まさに「差別の現実から深く学ぶ」ということばは、その子の困難をその子に帰せず、社会の問題へとパラダイムを変換することを意味しています。そのことと、インクルーシブ教育は結びつく。そして、それは「あるべき学校」をめざすものではない。わたしも「理想の社会なんてない」って思っています。それを、原田さんは「人権教育を基盤にした学校づくりも、飽くなき挑戦であり、ゴールのない旅。私たちはその旅の途中にある。これからも楽しみながら旅を続けたい」と締めくくられました。カッコイイ!
とにかくおもしろかったし、若手教員に聞いてほしい内容でした。ありがとうございました!
さぁ、あとは片づけだ。そして帰ってビールだ!