朝、「おべんきょ成果」のことを考えていました。なんかいい「言葉」はないものか。
と、「これ読んだら?」という天の声が…。
『軽度障害の社会学』という本です。
ちょうどKちゅかる子さんからバトンがまわっていたので、これをとりあげようかなと。てことで、facebookに書いたものを掲載。
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ひとことで感想を言うなら、とにかくわかりやすいし、読みやすい。パラパラパラと読むだけなら、半日で読めてしまいます。だからといって、中身が薄いってわけじゃないです。これまでの研究や実践や運動をきちんと整理して、その上でそれらをふまえながら、ものすごく現実的なところをついてこられます。
そういう意味では、もしかしたら障害学の入門書としてもいいのかも。
もうひとつ、わたし固有の問題として…。
ひとつは、とにかく参考になりました。なんの参考かっていうと、「足の裏の米粒」のための参考です。まぁ、これはあまり深入りはしません。
もうひとつ、こちらが大きいんですけど「軽度障害」への着目です。
わたしはもともと「マージナル」にすごく興味があります。だからこそ、パラムの会にも参加したし、例えばTーますやYきみちゃん、あるいはUっじぃなんかの存在にもずいぶんと興味も持ち影響もされました。
日本籍外国人の問題は、生活上の不都合がないようでありながら、でも身もだえするような「なにか」があるってところにあるように思います。そして、もうひとつ、それを共有できないというところにもあると思っています。
このことと、この本が扱う「軽度障害」が、なんとなく重なるんですよね。この本では、軽度障害をインペアメントが低いけどディスアビリティが高いという形で表現されています。これ、日本籍外国人の置かれている状況を説明するのにも使えるじゃんと。
てことで、障害について書かれている本であるにもかかわらず、さまざまなインタビューを、頭の中で「あ、これ、あの人っぽい」みたいに、知っている日本籍外国人の人々とどこかで脳内変換しながら読んでいました。
さらにもうひとつ。トランスジェンダーとも重なるところがあるんですよね。
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「石川准は「差別を繰り返し被った人々は、激しい自尊心の損傷を経験する。損傷した自尊心は修復を要求して存在証明に拍車をかける」(石川 1996: 172)として、存在証明のパターンとして<印象操作><補償努力><他者の価値剥奪><価値の取り戻し>の4つをあげる。
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というのが繰り返し出てくるんですけど、これまた「あるあるある!」と顔が浮かんでくるわけですwww。
タイトルにある「異化&統合」は、こうした「存在証明」の無限ループから脱出する方向として、本書の最後に提示されています。
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彼/彼女は「同化&排除」にいることをよしとしない。異化の状態であるがままの自信が受け容れられ、統合されることをめざす。(中略)ここにいるのは一人である。緊密なネットワークにたった運動という形で迫るものでもない。自身の希望に忠実に、声高にではなく地道に統合を求め続ける。
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これ、「どこかで読んだな」と思ったのですが、福岡安則, 1993, 『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティ』中公新書.でした。この本は、在日韓国・朝鮮人を「朝鮮人の被抑圧の歴史への重視度(強弱)」と「日本社会における自己の生育地への愛着度(強弱)」の2軸で構成される4タイプを「共生志向」「祖国志向」「個人志向」「帰化志向」として、最終的に「共生志向」に可能性を見いだすという話だったという記憶があります。これを読んだ時「それ、民闘連じゃん」と思ったことがありましたが、それと「異化&統合」ってけっこう似ていないかなと。
こんな書き方をするとあれなんですが、本書の結論は「ありきたり」なんです。つまり、1993年の本と共通している。ただ、この「ありきたり」へたどりつくために、著者が自分の人生を振り返るとともに、たくさんのインタビューをおこなった。 そこに価値があるし、そこに普遍性がある。
なんか、そんな気がしました。
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で、facebookに投稿したら、ご本人からコメントがあってビックリしたり。
さらに、北海道のK野さんという方からこのpdfへの書評が送られてきました。ありがたい!で、読ませてもらって、これまたありがたい!
そんな感じで感想文が行ったり来たりする日でした。ただ、それぞれにヒントが含まれていて、なんか前を向けそうな気がしました。