ガッコって、とにかく資料がないです。少しつっこんだところまで調べようと思ったら、なにもない。もちろんないわけじゃないです。でも、あまりにも少ない。
例えば部落史の教材をつくろうと思ったら、やはり資料が必要です。家には『京都の部落史』(全10巻)をはじめ『井手の部落史』『近江八幡の部落史』などガチのがあるし、『近代日本と公衆衛生』みたいなのもあるし。在日朝鮮人にかかわる教材の資料だってガッツリあります。障害についてはないな。そしてジェンダー・セクシュアリティについてはガッコとは比較になりません。
なのに、出勤しなきゃならない。
たぶん、制度設計がおかしいんですね。もともとは高校教員は専門性が高いと考えられていて、自宅研修とかあったけど、35年くらい前から「ガッコにいるのが仕事」ってなりました。もちろん「研修」ってのはあるんだけど、自宅は認められません。もっとも、前のおべんきょ場所の図書館とか行っても、ジェンダー・セクシュアリティ系だとうちのほうが資料はたくさんあったりします(笑)。あ、部落史もうちの勝ちかな。資料なんてのは、そういうものなんですよね。
つまり、高校教員がそういう資料にあたるってことを考えない制度設計になってて、それは高校教員はそれほどの専門性をもたないって考えられてることとつながってる。てか、最近は大学教員ですらそんな感じか。でも、大学だったら研究室があるからな。
さて、休校中におべんきょしようと思うのですが、あまりにも環境が整ってない。どうしたものかと思ったけど、ここで「あるじゃないか!」と。放送室です。電話はあるので連絡はつきます。ネットがないから逃げなくてすむ(笑)。これはいいかも。
てことで、とりま、めぼしい本をキャスターバッグに詰め込んで放送室まで持っていきました。まぁずっとこもるわけにはいかないけど、ここを使っておべんきょしよう。