朝、6時過ぎに目が覚めて、ウトウトしながらも考えているのは「おべんきょ成果」です。たぶん、「青木ヶ原の樹海で五里霧中」なのは、全体を通す「型枠」が見つかっていないからです。それがないから、レンガが積めません。てか、これまで2本のおべんきょ成果があるのにって話なんですが、実は両方とも「型枠はどんな感じなのなぁ」と思っていながら書いてたという。ほんとによく書けたもんです。
ただ、今回はさすがにそういうわけにはいきません。で、レンガが積めないということは、レンガの上には何も載せられないということです。まぁ、ツケがきたわけです。
てことで、この間苦しんできたのですが、朝ウトウト朦朧としてたら、突然「あり?」ってなりました。
もしかして、見えた?
新しいことはなにもないです。すでにやってきたところに「型枠」はありました。ただ、それが「型枠」ってわたしが気づいてなかっただけなんです。
てことで、あわててメモ。
で、リハビリです。リハビリは気分転換になるのかなぁ。今日のリハビリは新たなチャレンジをされたとか。なんでもそのためにいろんな文献をあさって勉強されたとか。すごいなぁ。
午後は再びおべんきょです。出口がわかったので、そこへ向けてレンガを積む。ただ、それが難しい。うんうんうなってたら、肩が痛くなってきて、思わずロキソニンに手を出してしまいました。
やはりリハビリ、ハードだったな。
年: 2020年
ゴリ夢中
今日も朝からこもりんです。
てか、8日から16日はこもるって決めてました。もっとも、8日は研究発表会があって、9日はバイクの修理をしてもらって、昨日は病院に行ってということで、本格的にこもったのは10日と11日しかなかったりはするわけですが。しかも夜ふかしをして朝寝坊してるから、ほんとにダメです。
なんでダメな日を送ってしまうかというと、「青木ヶ原の霧の中」にいるからです。五里霧中です。ちなみに、かつて持ってたW31Kに入ってたWnnがタコで、きちんと変換できるのは「私の名前は中野です」で、あとは例えば「ごりむちゅう」を「ゴリ夢中」と変換したのでした。その次に買ったW41CAは神機だったなぁ…。
まぁそれはおいといて…。
とにかく青木ヶ原をさまよいながら、ひたすら「作業」をするしかありません。1300くらいの中からいろいろ探して、それを分類した中から意味を見つけて。でも、この作業に意味があるかどうかはわかりません。わからないけど、やるしかない。まぁ、前のセンセが「あれ、密かに好評だったよ」って言ってくれたからやってるんですが、今のおべんきょ場所の人たちにウケるかどうかはわかりません。
さらに問題は、順番です。わたしが何をしたいのか。それがはっきりしないと順番は決まりません。いや、はっきりはしてます。が、迷いがある。その迷いは、もう断ち切らなきゃならない時期です。えいやと決めました。
そんなこんなで、とにかく7時までがんばって、ようやく前に書いたところと接続できました。なにをやってるんだろ…。
リフレッシュのために近くに飲みに行こうかと思ったけど、やんぺ。夜ふかしやめて、明日こそ早起きしなくちゃ。
少し書く
朝、目が覚めると…。7時過ぎです。こんなのではダメです。5年半前のことを思い出すと、ほんとにダメです。でも、つい夜ふかしをしてしまうので、朝寝坊してしまいます。
とにかく今日は昨日の続きです。とりま6月に書いたところがあるけど、今回新たにやり直したので、それに沿って書こうかなと。
でも、なんだかノリが悪い。なんなんだろ…。
昼前に病院へ。今日はリハビリと診察です。肩が痛いとメンタルが落ちます。すると書く気も起きなくなる。ほんとにヤバイです。リハビリは相変わらずです。診察は…。
医「やはり癒着してますね」
い「受動術ですか…」
医「やりましょう(ふっ)」
せっかくなので、記念写真をば。
家に帰って昼ごはん。少しビールを飲んで、気合を入れてみたり。その後、とにかく書きはじめました。書かなきゃ前には進めません。のつこつしながら、7時頃までがんばって、ダウン。
アカン…。
曇のち薄晴れ
「おべんきょ成果」の今書いてるところは、実は6月くらいにも書いてはいたんですよね。でも、ダメ出しされたりしてて頓挫してたところなのでした。
で、今何をやっているかというと、原点回帰を試みています。前のセンセにこないだ言われたけど、案外「原点」はうまく書けてるなと思います。なので、それにならうというか、バージョンアップしようというか。
で、おとついから作業をしてましたが、どうも出てくるデータがおもしろくない。まぁそれが現実だというとそれまでなんですが、なんかイマイチです。簡単に言うと、2日かけた作業がムダになるってことです。これが1年前なら「まぁええか」となるんですが、この時期だとそうはいきません。困った。
ちなみに、おもしろくないデータしかないと、筆も進まないというものです。どんどん時間だけが過ぎていきます。困った。
そんなこんなで夕方まで悩んでいました。ちなみに、こんなところで悩んでいることがセンセにバレたら「なにやってるねん」と怒られそうです(笑)。
で、のたのたとやっていたのですが、最後にやろうと思っていた分類を試みると、なかなかおもしろい結果が出てきました。おもしろいというか、思い通りの結果といったほうがいいかな。このデータは使えそうです。そう思うと、とたんに気が軽くなりました。これで明日から文章にとりかかれそうやな。
1日こもりん
今日から基本的には、こもっておべんきょ成果を書きます。
今日は昨日分類したものを数え上げなきゃなりません。とりあえず手書きの表に「正ちゃんマーク」をかきはじめたのですが、なにかが違う気がしました。どうやったらいいかな。
EXCELだ!
とは思ったものの、「正ちゃんマーク」を書く機能なんてあるはずもないです。使えるのはcountifくらいなもんです。えーと…。
ドロップダウンリストだ!
てことで、ドロップダウンのつくり方を検索(笑)。んなもん使うことないからね。ついでにalt+↓でリストが出てくるのがわかったから、これでキーボードだけで選べます。
それにしても、何年たっても同じことやってるんだなぁと、あらためて実感します。それだけに、医療現場においてすら一般的じゃないってこなんですね。そうそう、看護系の動きがおもしろいってことがわかりました。あと、やはり2015年はターニングポイントだったんだな。
そんなこんなでいくつか特徴的なところがわかったところで、さらにマニアックな集計を試みました。が、なんだかおかしい。昔とずいぶんと傾向が変わってます。ありり?うーん。
夕方6時半くらいに肩の痛みがピークに達して、やんぺ。しかし、ヤバイな。
こもろうと思ったけど
昨日は研究発表会でしたが、実はデータの打ち出しはしておきました。なので、今日のタスクは、そのデータの分類というか整理というか。
あらためてやると、いろんな傾向もわかるし、自分がチェックしてなかったペーパーがあることもわかります。たまに中身がわからないのがあったら、とりまアクセスします。便利なもんだ。
そうこうするうちに、来ました。これはええわ。人間が怠惰になります。
それにしても、分類に困るのがめっちゃたくさんあります。あらためていろんな人がいろんなかかわりをしてるんだなぁということと、やたら出てる人がいるなぁということがわかりました(笑)。
昼過ぎにいったんストップ。かなりどうしようか迷ったけど、やはりバイク屋さんに行くことにしました。なにせ、この間キャブレターは直してもらったけど、ウィンカーがつかない。
バイク屋さんに行って、原因探し。リレーかなぁ。だったら、部品交換すれば終わりです。が、電気は通じてます。
と、そこになにやらバイクが。大将、「また2stが来た」と、淡々とうれしそうです。やってきたのは…。これ(笑)。なんちゅう店や。
で、ウィンカーの原因はスイッチボックスのハンダがはずれてたとういう(笑)。「古いのにはよくあるな」と、淡々とうれしそうです。大将、ガストーチ型のハンダゴテでハンダ付け。が、右フロントのウィンカーがつかない。電球も切れてません。と、大将、ウィンカーをグリグリ。つきました(笑)。「アース不良やな」と、淡々とうれしそうです。
帰り道、久しぶりに6000回転でクラッチミートしたら、フロントが軽く持ち上がりながら発進しました。これですよ、これ。これが250cc2stですよ。
てことで、家に帰ってゆらゆらしながら作業の続き。暑い。けど、きっと外界よりはマシなんだろうな。それにしても、やっているうちにだんだん疲れてきます。しかも、ふたつめのデータの処理がものすごく難しい。うんうん、えいや!とやって終了。
さぁ、あとは筋トレ→ビールだ。てか、こればっかやな。
なぜにその相関か?とか固いなぁとか
今日は午後から前のおべんきょ場所で「伊藤悦子門下生研究発表会」です。ちなみに、去年は「中の人」に脅しをかけて、最後はひと吠えして飲みに行きましたが、ことしはどうなるかな。
今年の発表は「情報と人権」です。問題意識としては、どうやら子どもたちがどのように情報に触れ、その情報とどのように向き合い、疑問があったり間違いかもしれないと思ったときにどのように対処するのかってことを明らかにしたいという感じでした。まぁそれを基礎資料として、「情報」にかかわる人権教育を組んで生きたいという思いがあるようです。
発表そのものはおもしろかったのですが、なんかひっかかることが。それは「性別との相関」を調べられたってところです。ちなみに質問用紙の性別欄には「男・女・その他」があり、「その他」を選択した子が複数人いたのはおもしろかったですけどね。
データを見ると、情報の入口としては「会話」と「本」が優位に女子が高いんですよね。そして、インターネットの使用の仕方も「コミュニケーション」「音楽視聴」が高い。これをどう見るかですね。
わたしの頭の中にとっさに浮かんだのはこの時のおべんきょでした。レジュメをつくったのは、そのちょっと前かな。
つまり、女の子の特性として会話とか本とかコミュニケーションなんかをすると考えるのか、会話とか本とかコミュニケーションをMCDとして使用して、女の子カテゴリーをその場で構築してるのかってことなんです。もしも前者であれば、会話とか本とかコミュニケーションのしかたに危険性があるならそれを指摘してしかたを変えればいい。でも、後者だと、そのしかたを変更するということはカテゴリーの構築のしかたをかえることになるし、女の子カテゴリーのありようが変わってしまう。問題は、後者の可能性があることを理解した上で前者の立場をとるのか、その理解なしにとるのかってところかな。
まぁそんなことを考えたので発言したのですが、まぁわからんやろな。すんません。伊藤さんにも軽く流されてしまいました。
後半の発表はおとついもあった「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。まぁいろいろ考えたことがあったけど、やはり気になるのが「人権学習をする上での課題」として「間違ったことを教えるのではないか」という不安があるってところですね。「中の人」は「だからきちんとした知識を得るために研修をして、安心して教えられるように」って結論してたけど、なんでそんなに固いんだろ。あえて間違ったことを教えるのはアカンけど、間違ってしまうのはかまわないと思うのですよね。で、間違ってたことに気づいたら、それを修正することをきっかけにして子どもたちとさらに話しこめばいい。つまり「間違っちゃってもいいよ」っていう安心感があるほうが大切なんじゃないかなと思うんですが、伝わったかなぁ。
てなことで、3時からはじまった研究発表会、4時半に終わるかと思ってたけど、6時までやってました。疲れたけど楽しかったな。吠えずにすんだし、それもよし。今年は飲み会がないから帰りましょう。
この夏最後のお座敷・滋賀3連発
今日は午後からまたまた滋賀県でお座敷です。ただ、午後からなので、朝は少し時間の余裕があります。なので、久しぶりに猫の額で朝ごはん。
で、ゆっくりして、またまた新快速に乗って、今日は少し手前で下車。昨年度末にもここに来たな。そう考えてみると、ほんとに滋賀県にはよく越させていただいています。
今日は昨年度来たとき連れて行ってもらったムラ中の会館でお座敷です。なんでも人権啓発のリーダー研みたいな感じらしいです。例年は50人くらいの参加があるとのことですが、今日は20人くらい。ソーシャルディスタンスを意識したイスの配置です。
今日もらってる時間は2時間です。ようやくノンカットで話ができそうですが、今日も「普通の人の早口」レベルで話をするつもりなので、油断禁物です。
で、お座敷スタート。
なんかしゃべりにくい。なんでだろ。あー、リズムだわ。マシンガントークは、あれはあれでひとつのリズムで、そのリズムにしたがってセリフが出てくるんですね。そのリズムがゆっくりになると、たまに次に何を話すのかわからなくなったりします。これはヤバイな。それでもなんとかかんとか、つまりつまり話をしてたら、みなさんそれなりにウケておられてホッとしたり。ただ、やっぱりマスクの下の口元の動きがわからないから、どれくらいのウケなのかという反応がわかりにくいです。それでも、ところどころで笑いがあるので、まぁそれなりになんとかなってるのかな。
で、最後からふたつめのネタで、終了5分前。んー、ネタひとつが5分として、5分伸びるな。えい、頼んでしまえということで、5分オーバーで終了。まぁ開会行事で5分かかったからよしてしてください。
終わってから、なんとなくお客さんと話をしたら「部落解放運動を普遍化できないか」みたいな話になって、そこからディープな話になりました。
とても簡単に言うと、部落解放運動は「同じ」であるにもかかわらず「違う」処遇をされることに依拠して組まれた。でもこれは「違う」カテゴリーに対しては「違う」処遇をしてもかまわないというスキを与えてしまう可能性がある。もちろん水平社ができた1920年代に「違いますが何か?」とかいう開き直りはできなかっただろうけど、少なくとも「反差別国際連帯」という話になったときには、論理の修正は行わなきゃなかったんじゃないかって思うんですよね。そんな話をしたら「おもしろい!」と言っていただいて恐縮です。
で、最後に「楽しかったです」と言われて、これはうれしかったなぁ。
なんか、とても充実した気持ちで夏休み最後のお座敷、滋賀3連発も終了。さぁ、帰ってビールを飲もう。
機は熟したか
今日は某人権教育研究会の夏季研究大会です。例年ならば京都府中部の会館を借りて、午前はレポート発表、午後が記念講演となります。が、今年はこんなご時世なので、京都府北部のホールを借りて午後の記念講演のみとなりました。もっとも、そもそも、やるかやらないかを論議するところからスタートしたので、やれただけでもたいしたものかなと。まぁそれも会長(某支店長)も含めて、全員が「やらなきゃならん」と思ってるから実現できるわけですけどね。
てことで、会場の最寄りの駅で講師の浜田麻里さんと合流。わたしの服を見るなり「どこで川遊びをするんですか」と言われてしまいました(笑)。まぁサンダルやしな。
てことで、会場のホールへ。
ガッコから「まともなプロジェクタ」を持っていって設置したら、「まともなスクリーン」とあいまって、めっちゃきれいな映像です。さすがはホールです。安心したところでおべんと食べてたら、いろんな人からあいさつされたり。あらためて「このギョーカイに長くいてるんやなぁ」と再認識しました。
で、夏季研開始。まずはあいさつ。みなさん、なかなか気合が入っておられます。まぁそれもそうか。なにせこのご時世やしな。
で、昨年度実施された「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。話を聞きながら「これ聞いてる「若い人」はきついやろなぁ」と思いました。まぁ統計結果ですから、あくまでも傾向でしかないです。若い人が豊富な人権学習実践の経験があったら、よほどの好き者というか、偏った人事をしてるというか、そういうことです。ただ、そういう「若い人」が経験を積む中で人権教育の経験もまた積む機会をどうつくるかってことが問われてるわけです。ついでにいうと、そんなことは一人権教育担当者にできるはずがないです。それを可能とするシステムをつくらないと無理です。てことで、人権教育室の結果報告はブーメランとして自分に刺さるはずなんだけどね(笑)。
あと、「接触仮説」は大切かな。この言葉は使わなかったけど、被差別当事者との出会いや差別と闘っている人との出会いが大切って話です。はたしてわたしは「差別と闘っている人」なんだろか。仮にそうだとして、出会えてるんだろうかと、ふと思ったり。
で、次は本日のメインイベント。記念講演です。演題は「外国にルーツをもつ高校生の現状と指導の在り方ー京都府立高校で何が求められているかー」です。
毎年「高校入試特別措置調査」の窓口をやって「ひぃー」ってなってますが、結果を見るたびに「ほんとに京都は外国人生徒に冷たいな」って思います。まずは、特別枠は中国帰国者3世までで、しかも小学校4年まで中国にいたことが条件です。これ、すでに該当者なしで何年もたってます。外国人の特例措置はあるけど、ルビ打ちと10分の延長だけ。んなもん、ロシア語にルビを打って10分延長されてもわかるはずもないです。てことは、この程度の特例措置で入れる子どもは、もともとよほど学力が高いか、あるいはそもそもその学校が日本語がわかる子にとってもとても入りやすいかってことです。で、前者の子はほとんどいないので、後者ってことになります。とても簡単に言うと、T高校定時制にみんな入る。そうすると、すべての歪はT高校定時制に集中するから、他の学校には歪がなくなる。なので無関心になる。
これ、実はインクルーシブ教育が京都で広がらないのと、かなり状況が似ています。まぁ、京都は発達保障論の牙城ですからね。
ただ、当然そんなのはダメに決まってます。なので、ここ数年、外国人教育のことをずっと提起してきました。で、ようやく浜田さんを呼ぶところまできたんです。もちろん、呼ぶだけだったらいつでも呼べるけど、呼ぶことに意味があるところまで、やっときたということです。
で、話の内容ですね。
大きくは「在日外国人をとりまく大きな流れ」「「断絶」と「繰り返し」」「京都府立高校に求めること」という感じでした。
2019年から2020年って、在日外国人をめぐる法的状況が大きく変わったんですね。端的に言うなら「特定技能1号」「特定技能2号」ができたことです。政府は否定しているけど移民社会に舵を切ったし、そうしないとこれからの日本は立ち行かないってことです。で、こういう方向に舵を切ったということは、入管法を変えたり在留資格を新設したりというだけではまったく不足で、それにともなってさまざまなところで方向転換をしなきゃならない。そのうちのひとつが教育、とりわけ日本語指導です。ただ、日本語指導だけすればいいかというと、そうはいかない。というのは子どもは学校で学び生活をするからです。端的に言うと、学校生活が送れるように環境を整備しなきゃならんということです。かつては「同化」を強いたけど、それが可能な状況では、もはやない。だからこそ、文部科学省が「多文化」といい「ともに日本社会をつくる一員」と言わざるを得ないところまできたし、不就学へのとりくみをしろと言わなくちゃならないところまできた。
という状況が、京都府にいると、特に高校にいると、さらに特に全日制にいるとわからない。
ただ、外国人教育はこれまでもなされてきました。ところが、その「外国人」は在日コリアンだった。そこでは日本語指導は必要なかったし、もうひとつは「戦争責任」というのが頭の中にあった。で、そうやって培ってきた在日外国人教育と、日本語指導を必要とする子どもたちへの在日外国人教育は「違う」としてきたのが「断絶」ってことです。このあたりは、某在日外国人教育関係の集まりで散々論議してきたことです。ただ、現在その「分断」があるかというと、たぶんないです。というのは、ニューカマーの子どもたちが大きくなり2世・3世が出てきたとき、在日コリアンと同じことが起こっているからです。まさに「繰り返し」です。
では、そういう状況を踏まえて、京都府立高校はなにをしなきゃならないかってことです。浜田さんは「進路の現状把握とキャリア教育」「外国人教育、多文化共生教育の再定義」「支援体制の構築」「教員養成」の4つをあげられました。なんといっても、こういう内容を個々の教員のとりくみに頼るのではなく、システムをつくっていくこと、これが大切ですよね。
全体を通して感じたのは「特別扱いすること」こそが必要であるということを繰り返し言われたなと。でもこれ、すでにモデルがあります。それは「合理的配慮」です。つまり多文化共生教育はインクルーシブ教育だってことです。
ちなみにこれ、わたしが言ってるんじゃなくて、すでに日教組が言ってます。はじめてこれを聞いたときに「やられた!」と思いました(笑)。
てことで、夏季研終了。おもしろかった。
帰りは浜田さんと一緒です。今日の振り返りから、ふだんのグチから、いろいろ話。浜田さん、よく笑われるから話をしてて楽しいな。あっという間に京都に着いて、さあ帰って筋トレからのビールだな。
今日も滋賀→ちょぼやき会
朝はリハビリです。とにかく夜のうちに筋肉がこわばってしまうみたいで、朝は不調です。が、順番を待っている時に、試しに腕を上げてみたら、上がらないものの「上げ方」を少し思い出した気がしました。いや、実は腕の上げ方を身体が忘れてるんですよね。やっかいだな。
で、40分伸ばしてもらって、いったんお家へ。出発準備をして、おにぎり持って、昨日と同じ電車に乗りました。向かうは昨日と同じ駅です。で、迎えに来てもらって、隣町の中学校へ。今日は中学校区の夏季研です。ちなみに近隣の中学校区は中止だけど、ここはやるんだとか。ただし「密集」を避けるために3会場にわけて、放送室から各教室に配信するんだとか。すごいわ。
今日も与えられた時間は1時間40分です。ネタはミッション3。2時間かかります。かつ、今日も目標は普通の人の早口レベルで話すことです。どうしようか、かなり悩んだけど、動画をひとつカットすることにしました。これで7分くらいかせげます。
で、お座敷スタート。みなさん、マスクをしておられるので口の動きがわかりません。なんか、笑ってる気もするけど笑ってない気もする。ビミョーです。でも、そのうち明らかに反応しはじめた方がチラホラ出てきて、ホッとしました。あとはゆっくりを心がけながら話していって、なんとか1時間42分で終了。よかったよかった。
帰り道、駅まで送ってもらいながらいろいろ話。この方、若い中学校教員で、今は教育委員会に出向しておられます。今の仕事の中で、いろんな気づきがあるんだとか。いいですね。それがきっと子どもたちの前にもどった時に役立ちますよ。
で、家に帰って筋トレやって、再び出発です。久しぶりに「かっちゃん」に寄って、生ビールを1杯。うまいわ。
で、「ちょぼやき会」です。
今日のスピーカーは岡山さんです。
話の内容は、ご自分が自立生活をするまでのことや、自立生活をしたりJCILで仕事をする中で考えられたことでした。
わたしは、絶対に介助の世界には入らないと決めてます。のめり込むに決まってるからです。ただ、障害者解放運動というか自立生活運動というか、そのあたりの影響はものすごく受けています。なので、メッチャおもしろかったです。
そもそも、たぶん岡山さん、束縛されるのがキライな方なんですね。自立生活には運動から入るのではなく、そういう性格ゆえに入られたのかな。それだけに、運動の原則論にとらわれるのではなく、どちらかというとよりよい生活を送るためにどうしたらいいかってあたりを考えておられる気がします。そういうやり方に、プラスJCILの運動が加わって、今の岡山さんがおられるのかな。
例えば「だいたい指示介助」とか書いておられて、この「だいたい」ってのがおもしろい。
あと、やはりインクルーシブ教育の大切さですね。実は前からずっと「特別支援学校との交流」とかいう話に違和感があって、それをどう表現したらいいかと思っていて、岡山さんに質問したら「非日常ですね」とひとこと。それかぁ。なんか、健常者側の自己満足なのかな。
そんなこんなのいろんな話がおもしろかったなぁ。
最後に「命の大切さをどう伝えるか」ってことを質問したら「難しいですね」と。やはり悩んでおられる。ただ「価値がある生き方」ではなく「生きていることに価値がある」へと転換することが大切なんじゃないかっていう提起をされました。これ、言うのは簡単なんだけど、伝えるのは難しい気もします。それは、どこまでそれを自分が血肉化した生き方をしてるかってところが問われるからです。
まぁ、そんなこんなで充実した2時間を終え、solへ。ここで、おいしい料理とお酒をいただきながら、またまたいろいろ話。でも、10時には解散です。
長い1日だったなぁ。でも、充実してた。やってないのはおべんきょだけだな。