今日は第2のふるさとで恒例の会議です。なので、駅から山登り。いつも思うけど、こんなところに図書館つくっても子どもは来られないです。ちなみに、今度こちらに役場も来るとか。せめて駅からシャトルバスを出さなきゃ、メッチャ不便ですよ。まぁみんな車で来るんだろうけど、高齢者の免許返納はますます遠のくな。
で、会議。
なんか、みなさん、絶好調ですね。日の丸・君が代のこととか元号のこととか。まぁ、わたしにとっては、あるいはわたしたちにとっては当たり前のことも、仕事で人権教育に入った人には当たり前ではないってことなのかな。でもまぁ、こういうところで知ることは大切なことかもしれません。
そんな話から、議論は部落の「告知問題」へ。
今どきの親は、自分が部落であることを知っているかって話です。高校生の親なら世代的には知ってる可能性が高いかな。でも、小学生になると知らない可能性が高くなるかな。
めんどくさいのは、本人が知っているかどうかは関係なく、差別は平等に降り掛かってくるってことです。知ってない人は差別されてることに気づかないだけなんですよね。ところが知らなかったら差別されないと勘違いしてしまう。これ、たぶん、差別とイジメを同列に扱ってることが問題なんじゃないかな。あとは差別を「心の問題」としてるところか。要は、個人に対して差別する心が向けられるってことです。
ちなみに、仮にそうだとしても、本人が知ってるかどうかは関係なく差別される可能性はあったりします。なぜなら、知らないのは本人だけだったりするからです。
てことで、ぜったいに自分の出自は知ってたほうがいいと思うんだけど、なぜか「伝えない」という信念を持っておられる方がいて、そういう人が子どもに伝えなかったら、孫の世代になると伝えようがなくなってしまう。そういう状況で、伝えられるのは誰かというと、教員だったりします(笑)。まぁ、この時もそうでしたが、なんでやねんというと「そういうことやねん」としか言いようがない。でも、これはなかなか難しい。
で、今日の論議は「それをしなきゃならん」って話です。これを当事者から言われると、そうとうきついです。てか、「お前やれ」って思ってしまう。
そんな中で、ひとつの提案があって、それは「家庭訪問時に、すべての家で「部落問題をどう伝えてるか」と聞く」ってやつでした。つまり、部落の家だけ部落の話をするんじゃなくて、どの家でも部落の話をすればいい。そうすれば突破口ができる。
そこなんですよね。突破口なんです。その突破口は、オイタでもいい。そこをとらえて、とにかく飛び込んでいく。そうすれば、たいがい風通しのいい広い世界が待っている。
あー、でも、その広い世界で話題がないと、これまたきついな。その話題、勉強しただけでは身につかんからなぁ…。