「こもる」こと

昼前、パートナーが「背中が痛い。口の中が血の味がする。頭がグアングアンする」と言いはじめたので、これは救急外来だなと。
病院に着くと、やはりものものしいです。まぁしかたないですけどね。玄関で「熱、測ります」と、非接触型の体温計を頭に向けられて、思わず「やられた!」と倒れるギャグをしようかと思ったけど、まぁそれはやめておきました。
で、結果は特になにもなく。前の肺炎が治るのに時間がかかってるのかもということでした。ちなみに、帰りの車の中で「グアングアンは偏頭痛かもね」とのこと。なるほど。

で、夜はちょぼやき会@Zoomです。みんなそれぞれこの1ヶ月の気づきを語りあいました。
わたしは…。
学校関係のことはこの間と同じことなんですが、それよりも個人的な気づきがおもしろい。
基本的に、わたしはバタバタと走りまわる毎日なので、おそらく誰もが、そして自分もが「動くのが好き」と思っているんですけど、案外そうではないのかも。別に昼間にテレビを見るわけでもなく、文章考えたり本を読んだり、そして少し筋トレしたり。ご飯時にはごはんをつくり、食べる。その繰り返しなんですけど、退屈しないです。というか、充実感すらあります。もちろん焦りもありますが。
緊急事態宣言が終了すると、こういう日常がなくなると思うと、ちょっと困るかも。
「こもる」ことが好きな自分に変化したのか、あるいはもとから好きだったんだけど、それを忘れていたのか。あるいは、家族がいるわたしの「こもり」は適度な「こもり」でしかなくて、例えばひとりきりの「こもり」こそが「真の「こもり」(笑)」だったりするのか。
そんなことを考えたりしました。
ただ、そういうことを考えていたら、「障害者と「こもり」」みたいな話が出てきて、なるほどなと。
わたしの場合、なんだかんだ言っても「選択としての「こもり」」です。障害者の場合、例えば施設での生活をしている場合「おしつけられた/る「こもり」」だったりする。そういう人の「こもり」は、わたしとはずいぶんと違うんだろうな。そういう人にとって、今の「強制された自粛(笑)」はどんなふうに感じられるんだろう。あるいは自立生活をしている人にとってはどうなんだろう。
なんか、いろいろ考えるちょぼやき会でした。おかげさまで、お酒もおいしかったな^^;;。