今日は研修日です。ちなみにかつての研修日は「自己研修」ってやつで、好きなことができたらしいですが、今はそんなご時世ではありません。午前が保健部研修で、午後が人権研修です。あえて同じ日にしました。そうすることで、みんなが「この日は研修の日」ということで用事を入れないだろうというのがひとつ。もうひとつは、障害を「特別「支援」」という形でアプローチする保健部と、「障害者差別」という社会モデルでとらえる人権のふたつの観点で考えてほしいという意図がありました。
てことで、保健部研修。
まずはスクールカウンセラーのお話。子どもは背景まで考えてとらえないといけないという話は示唆に富んでますね。子どもって、縦の広がり(人生)と横の広がり(生活)の中で生きてます。なので、それらを総合的にとらえる中で「今」のその子がいるんですよね。
で、hyper-QUの話。なるほど、今のガッコは転換点ですか。まぁそうやろな。てか、常に既に転換点って話はありますけどね。
で、ワークです。ワーク、キライなんだけど、しかたないですね。午後のこともあるから参加しましょう。
保健部研修が終わったら、午後の研修の準備です。
機材をセットして、お昼ごはんをかきこんで。で、仲よしの教員に車を出してもらってお迎えです。
今日の講師は松永真純さん。タイトルは「社会と自分に向きあう障害者問題学習のために」です。
とにかく京都のというか日本のというか、教育はexclusiveですね。だって、障害者差別解消法にかかわって、障害のある子を担当する部署が、さっきも書いたけど保健部で「特別「支援」」ですからね。社会構造そのものを変えようとしてない。ちなみに身体障害については「建物の構造」を変えたらすむからinclusionが進みます。まぁ言ってみれば、同和対策で住宅つくるみたいなもんです。でも、例えば知的障害のある子が高校に入ったらどうするかって話は論議にすらならない。つまり「学力」とか「評価」ってもののあり方を変えようとしないからです。そんなもん、なんぼでもあると思うんですけどね。
これ、ほんとうに根源的な問いかけです。だからこそ、みんなに聞いてほしいって思いました。
いやぁ、すごかったです。みんな寝てない(笑)。まぁ、あたりまえのことなんですけど、あたりまえがあたりまえでないのが教員です。
とにかく、徹底的に、視線を障害ではなく社会に向ける。そしてなにより自分に向ける。健常を問う。このことを繰り返し繰り返し語られます。さらに「聞くこと」です。耳を研ぎ澄ませて聞くこと。そのことを通して聞こえるんですね。そのことを森修さんの姿から伝えられます。
そして、障害者運動の開き直りとも言える価値観の転換。能力主義の否定とかって、おそらく「高校教員にとってのあたりまえ」をひっくり返してくれる価値感の転換です。てか、高校教員なんて「能力主義」で生きてますからね。
そのことは、最初に言われた「人権」とつながります。未だ会ってない、そしてこれからも会わないであろう誰かに心をはせて、その人を支える。そして同時にその人に支えられている。それが「制度」であるということ。「制度」がなければつくること。そんなことを地下鉄エレベーター設置運動から伝えられます。
終わってからの感想を読んだら、とにかく「よかった」の嵐です。
終わってから、しばし職員室で話しあいながら時間つぶし。提示に退勤して、結局崇仁新町へ。でも、この間もずっと話しあいです。内容は「やまゆり園」と「京アニ」です。そのふたつの事例を通して「名前」のことを話しあいます。
そう言えば、名前を出すか出さないかは、在日の本名宣言や、トランスの「名のり直し」ともつながることですよね。「名前なんて記号だ」って思いながらも、そこにあるポリティクスは否定できません。
崇仁新町でもずっと人権の話。
考えてみると、1時前に会ってからずっと人権の話です。でも、実はこれがわたし(たち)にとってのあたりまえの生活です。常に人権をベースにものごとをとらえ、物事を考え、判断し、行動しています。でも、転機はあります。わたしにとってはピアスクールでのできごとでした。ちなみに、松永さんだって、森さんとの出会いだそうです。あるんだよなぁ。
そんなこんなでKちゅかるさんのお家へ。今日はホームパーリーやっておられます。こちらでチラリと顔を出して、ひとりワインを飲みながら、自己紹介を含めいろいろ話。と、あっという間に10時過ぎです。いかんいかん、あしたも仕事だ。てか、松永さん、大阪だわ。