楽観主義者

今日の午前は、第2のふるさとで会議です。内容は、互いのガッコ・園の人権教育(≠人権学習)の状況の報告です。
おもしろいなと思ったのは、保育園や小学校では人権教育のターゲットに保護者が入っているところです。もちろん中学校にも入ってるんだけど、比重は保・小に比べると低くなります。そして高校ではほぼゼロ。おそらくそれとバーターになるのが子どもたちへの比重なんでしょうね。とは言え、高校でそれほどやってるかというと、京都の場合はイマイチですけどね。
で、もうひとつ出たのが「若手教職員への継承」でした。ただこれ、いつも思うんですが、今から30年前を知ってる人は「同和教育の継承は大切」とか「自分もあの時代を知ってるから伝えなきゃならないと思ってる」とか言うんですけど、「本当に知ってるのか?」と小一時間問い詰めたくなる瞬間があるんですよね。「やってへんかったやん」どころか、「どっちかというと反対してたやん」「てか、ジャマしてたやん」みたいな人もおられないわけではない。まぁそれでも、もしかしたらよくも悪しくも影響力はあったし、もしかしたら「やってなかった」って思ってる人もそれなりにやってたのかもしれませんけどね。
ま、それはおいといて。
20代30代の教職員が増える中で、みなさん「若い人は何も知らない」って言っておられます、もちろんそれはブーメランです。だって、わたしたちけ伝えてこなかったってことですけどね。ただ、2002年に法が切れて、それでもまだしばらくはやってたけど、少しずつやりにくくなってきてたのは確かです。その後、2016年のいわゆる「部落差別解消推進法」が成立するまでの10年くらいは、まさに空白の時代でした。なにが空白だったかというと「同和教育から人権教育へ」という流れの中で、部落問題以外にもやらなきゃならんことが増える一方、人権教育そのものに対しても風あたりが強くなって低調になっていった。なので、部落問題については大幅にとりくみが減りました。「同和教育から人権教育へという流れは、部落問題の「薄め」ではない」とは言われてたけど、現実的には薄めでした。その代わりウイングを広げることはできましたけどね。
で、今例えば30歳の教員は中学生くらいからあと、部落問題についての学習はしていない。だから実感もないし、イチから教えないといけない。まぁそういう話が大半を占めてました。
でも、ほんとにそうなんだろうか。なんか違和感があるんですよね。
だって、わたしの勤務校ではずいぶん違う気がします。あるいは若手教員の捉え方なのかもしれませんが。
例えば、ある教員は、高校時代のクラブで在日の友だちがいて、その子が東九条出身でみたいな話をしてくれます。あるいは、自分のクラブがらみの恩人が部落出身で結婚差別を受けたことがあって、そのことが許せないって言ってる教員もいました。宇治市出身の教員なら子ども時代からウトロのことを知ってます。さらにある教員は「母親が部落にルーツを持つ人って教えてくれた」って言ってくれました。
みんな知ってるんです。経験してるんです。でも知らない。教えられてない。だから知りたがっているんです。でも、なかなか「知りたい」と言う機会がない。だから、「知る機会」をつくると、みんな来ます。まぁ、正確には「みんな」じゃないですけどね。でも、さっきあげたような教員は来ます。
大切なのは、そういう機会をどうやってつくるかなんだと思ってます。そして「この世界は、はまるとおもしろい」ってことを伝えることなんだと思うんですよね。
方法はたくさんあります。
ちなみに、わたしは明々後日、数人の若手教員を連れて「おさんぽ」やることになってます。前に「おさんぽ」の話をしたら「やってほしい」って言われたからです。そんなのもいい。
あるいは、ある子どもをめくって「眼差しの違い」を伝えることも大切です。例えば、担任してる子が悪さをしたら、他の教員と一緒になってその子を怒るのか、逆にその子と一緒に怒られるのか。例えば学力の低い子どもを「あの子はアカン」とか「LDなんじゃないか」とか、その子に原因を求めるのではなく、その子の置かれた家庭や家庭をとりまく社会の状況から考えるのか。そんな中から「眼差し」を伝えることもできます。
きっと「いつきさんはなぜそう考えるのか」って不思議に思ってる教員もいると思うのです。その「不思議」のタネ明かしをすること。
それは案外できるんじゃないかと思ってます。
会議の席でそんなことを言ったら「お前はそう思ってるんや」って言われたので「わたしは楽観主義なんです」って答えたら笑われましたけどね。