両側から壁を越える ー歌でたどる平和と人権の日本近現代史ー

今日は午後から第2のふるさとに出張です。中身は総会、わたしのターゲットは記念講演です。講師は古川正博さん
古川さんをはじめて見たのは、たぶん香川の全同教の時ですね。あの時ははっきり言って「なんだ?この人」って思ってました。ただ、その時は「この人」が古川さんとは知らず、古川さんを古川さんと認識したのは、クロスベイスの呑み会の時でした。それ以来、なんとなくいろんなところで会って、そのたびにあいさつ+しょーもない話をする仲になりました。で、全同教の「この人」と「古川さん」が同一人物であることがわかったのは日教組教研の時です。この時山口の人と飲んでて、そこにあの分科会の司会の方がおられて、なにかのはずみで「あれ、古川さんでな。とにかく歌おうとするからとめるの必死やったんやで」と言われて「あー、なるほどな」と。
まぁそんなこんなで「今日は絶対に行くぞ」と決めてました。
駅からの長い上り坂を歩いて会場に到着すると、総会開始前なのにすでに古川さんがギターを抱えておられました。
「ども」
ってあいさつしたら、別に驚いたふうもなく
「ここが地元ですか」
と返されたのですが、実は驚いてたらしいです(笑)。
で、総会もだいたいつつがなく終了。いよいよ記念講演です。タイトルは「両側から壁を越える」。これ、藤田敬一さんがよく引用する金時鐘さんの言葉じゃんと思いながら、まぁそのツッコミは入れないことにしました。
講演内容は、さまざまな人権問題を書き連ねた近現代史の年表に自分史と歌を重ねるものなんです。ただ「〜らしいです」という言い方をされるのが謙虚というかなんというか。もちろん、はじめに「自分は研究者じゃないなら」って前置きされていて、それを受けての話なんでしょうが。ところがそんな古川さんの語り口は、自分史がはじまるとガラリと変わります。特に中学校教員になってからのエピソードは熱い!まぁ、鶴見橋→我孫子南→大池と渡り歩いておられるし、教員になったのが1970年代ですから、生徒も教員も熱いですわな。それを笑顔で笑い話のようにされます。でも、聞いてる人間は圧倒されてます。
ずっと聞きながら、なるほどなーって思ったのは、ほんとにテーマは一貫してるんですよね。それは「視点を変えて見てみよう」ってことです。あるひとつの出来事を、自分(教員and/or加差別者)の側からだけ考えるのではなく、他者(生徒and/or被差別者)の側からも考えよう。考えられなくても想像しようってことです。でも、その「想像」はそう簡単にできるものじゃありません。そこで「出会い」が必要になる。
そういう話のところどころに「歌」が入ります。これがちょうどいい気分転換です。それにしても「里の秋」ってそんな歌だったんだ…。
終わってから、そこにいた高校教員が
「圧倒されるわ」
って言ってたので
「まぁそれは70年代の大阪の中学校やからしゃーないですわ。なので、圧倒されても、自分の経験や出会いの中でやればいいよ」
って答えておきました。
まぁでも、古川さんがみんなに好かれるの、なんとなくわかりました。

で、夕方から懇親会があるのでしばし時間つぶしをしながら、いろいろ裏話。そうかぁ、あの出来事の裏側にはそういう話があるのかぁ。

で、懇親会。参加者は基本的には支店長・副支店長・本部あたりのえらいさんですが、第2のふるさとではそのあたりは関係なしです。
おいしい中華料理をいっぱい食べて、ビール→紹興酒→日本酒→焼酎というダメダメなコースをたどって、9時におひらきです。
引っ越ししなけりゃここから5分で帰れたのに、これから1時間半かけて帰らなきゃならんのがきついな(笑)。