伝えかた

先日、お友だちのI岡さんから「啓発パネルをつくりたいので、なんか書いてほしい」というメールがありました。まぁ、書くのは書かせてもらうのですが、なにをどんなふうにどれくらい書くのかがさっぱりわからないのと、なにより全体像がつかめない中で書くのは無理なので、「もう少し詳しく教えてぽしいので、会いましょう」ってなりました。
てことで、京都駅で合流して居酒屋へ(笑)。
で、いろいろ話を聞いていたのですが…。
「伝えること」って、ほんとにむずかしいなと。中学生をメインターゲットにしなけがらも、地域の高齢の方にも興味を持ってもらえるようにしたいとのことです。そのためには、ある程度のわかりやすさと、なにより入り口に入ってもらえる工夫が必要になります。
うーん、むずかしい。
基本的にわたしは「興味を持ってくれてる人」相手に話をするから、そのあたりは経験がないんですよね。ただ、いつも思ってるのは、説得力を持たせるための工夫をどこでやるかってことです。
「当事者噺」でよくあるのは、「困難を乗り越えて回復したわたし!」ってやつです。この時困難が大きければ大きいぽど、そして乗り越える苦労がわかりやすければわかりやすいほど、よくウケます。まぁ「回復の物語」ってヤツです。わたしは個人的にはこの手の噺をさんざん聞いてきたので、直感的にいかにそこから距離をとるかっていうふうにしてきました。ただ、「語る」時にどうしても例えば「変わり目」みたいなのは必要になるし、実際に「変わり目」がなかったら変わらない(笑)。なので、いかに「困難」を少なく語るかってところに走ったんですよね。
で、これは「当事者噺」だからできることです。啓発パネルとなると、なかなかこうはなりにくい。なので、「当事者の抱える困難」を使いたくなってしまう。で、これは事実だからいいんです。が、アプローチをそこにするのは、個人的にはイヤなんですよね。なぜなら、それって「病理モデル」へと走るきっかけになってしまいがちだからです。
じゃ、説得力をどうやってもたせるか。現在のわたしのアプローチは、社会がどのようにできているかってことを明らかにすることと、そこから脱出することで得られる「自由さ」を伝えることなんですよね。その際、ひとつの基準として「国際標準」との距離を使う。そうすることによって「病理モデル」から「社会モデル」へとずらす。
わたし個人の問題にするなら、それこそが「トランスジェンダー」なんだと思っています。

まぁ、そんな話をしながら、いつしか話は部落問題の伝え方とか、多様性の伝え方とかへと流れていったり。
そういやI岡さんとじっくり話をするのは久しぶりです。なので、いっぱい話をしてしまいました。あかんあかん。しゃべりすぎ(笑)。