走りはじめたのが、2月26日か。2.26ですね。そこから1ヶ月あまり、ほとんど毎日走ってます。で、気がつくと40分。今日は4kmコースをどれくらいのペースで走れるのか試してみるところまできました。結果は1km5分少し。かつてのジョギングペースまではきました。目標は、ここから35秒ほど早くすることです。まぁ、あと10ヶ月ほどがんばれば、なんとかなるでしょう。
問題はおべんきょですが、こちらもすこし気を散らしながらだけど、少しずつ進みはじめました。と言っても、全く足りてませんが…。
で、こんなことやってられるのは、実は一緒に仕事をしてる人たちのおかげです。
い「こんなやって、走ってばかりいてごめんなさい」
同「走って身体を鍛えるのも仕事です」
とのお返事。
でも、たぶんそういうことなんですね。走って身体を鍛えることが、結果としていい授業につながるというだけじゃなくて、そこそこええ歳したおばはんが身体を鍛えて、それなりのスピードで走れるようになるということが、少なくともグランドでクラブやってる子らとか、冬になって授業で走る子らにとっての「ロールモデル」になるんです。
それは「おべんきょ」も同じです。目の前で数学教えてる教員が「身も心も文系」とか言いながら「おべんきょ」してるということが、子どもたちへの刺激になる。より上のレベルの世界を子どもたちの前に展開することができる。単に「教師力の向上」なんていう即物的ではない世界と触れることもまた、実は教員がやる仕事のうちのひとつなんですよね。
そして、そのことを、うちの同僚は知ってくれてる。だから「仕事」と言ってくれるのです。
こういう世界は、現在、学校を覆いつくしてる「文書主義」の対局にある世界なんじゃないかと思います。でも、そういう「反文書主義」の世界が好きで、この仕事をしようとしたんです。そしてそれを肯定してくれる同僚がいる。
「廃棄」や「改竄」や「隠蔽」にまみれた現在の文書主義よりも、こちらのほうがはるかに健全だし、廃棄も改竄も隠蔽もできない世界だと、わたしは個人的には思うんだけどなぁ。