もっかい在日朝鮮人教育を

今日は朝から山口へ。組合の女性部長会議です。会議そのものは明日で、今日は研修会です。内容はは完全に在日朝鮮人のことです。楽しみです。
てことで、下関に到着。と、T部さんが!まぁ、あまりにも当たり前といえば当たり前なんですけど、でも会うんですよね。
と、いきなり「釜山門」の文字が。

そりゃそうですね。下関は釜関フェリーの乗り場があります。まぁそんな気持ちで集合場所へ行って、フィールドワーク開始。案内してくださるのは厳さん@2世と金さん@3世です。
まずは波止場跡。そうか、釜関フェリーじゃなくて、もともとは関釜連絡船だったんだ。強制連行・強制徴用の場所なんだ。

現在の港のところにもともと山陽本線が通ってたとのこと。なので線路がまだ残ってたり。

さらに特高警察とか水上警察とかがかつてあった場所とか。

で、タクシーで移動した先は関門トンネルの殉職碑。

ヤード内にあるので行けませんが、供えられた花がきれいなので、職員さんがお参りしてるのかな。ちなみに、これ、朝鮮人だけじゃなくて…。というより、朝鮮人も含めた殉職者の碑です。が、問題は、刻まれてる朝鮮人の数はあまりにも少ない。たぶん「一般の死者」はノーカウントなんでしょうね。
と、電車が来た!

続いて、友好の植樹跡。

なんで植樹が「跡」やねんと。
そんなもやもやを抱えながら、朝鮮初級中級学校へ。と、向こうにおられるのは、なんと山本崇記さんではないですか!てことで、ご一緒しながらあたりを散策(笑)。ちなみに、山本さんからお聞きしたところ、金さんってこの金さんのお姉さんだとか。
この公園、かつては焼き場だったそうな。

そして、この道路の先には刑務所があったとか。

下関は、もちろん拉致された朝鮮人が日本に到着した土地のうちのひとつです。が、逆に解放のあと朝鮮へ向けて帰るための出発点でもありました。が、敗戦当時、米軍が港に機雷を沈めて出港できなくした。そのために、朝鮮に帰ろうとしたたくさんの人々はやむを得ずに下関にとどまった。そこでとどまったのが「神田」の山だったとか。もともとは何もない山、町名もない山だったとか。
そうして朝鮮人の集住地ができました。

なんか、かつてのウトロを思い出します。いや、現在の紙屋川か…。
向こうの方には十字架が見えます。きっと大韓教会やな。

で、朝鮮学校の中で講演。
もちろん中身は「いつか聞いた気がする話」です。でも、それをあらためて聞いた時、自分が何もやってないことを、あらためて突きつけられます。たしかにやらなきゃならない課題は山のようにあります。その中で、在日朝鮮人はつい薄くなる。でも、それではアカンなぁと、あらためて思いました。なので、そんな思いとこないだあったできごとを返しました。

フィールドワークのあとは、ホテルにチェックインして、しばし休憩ののち、懇親会です。向かうは「焼肉 ソウル」です。

タン塩。うまいわ。これはあきません。ビールがすすむ。ワインもすすむ。
なんか、ほんとに久しぶりに「焼肉」を食べた気がします。
そのあとは部屋飲み。会場は、やはりわたしの部屋(笑)。そんなこんなで12時くらいまでダベって、さぁ寝ましょう。