対岸の火事なのか

夜にテレビをつけるとマイケル・ムーアがしゃべってました。「華氏119」のコメントをしながら、トランプ大統領以降のアメリカについて話をしていました。その最後に「日本を尊敬しています」と。「小トランプのような人を総理大臣にはきっと選ばないでしょう」と。そして「これ以上は言えません」と。
すでに選んでんじゃん。
そして「報ステ」。国会は、まさに滑稽です。あまりにもひどい。かつて「ほなお前やってみろよ」とかいう話がよくありましたが、あれは「できるやん」レベルです。いや、恥ずかしくてできんか。
そして中間選挙の話題です。ここでもっととりあげられてたのがLGBTでした。これ、日本でLGBTが話題になってるから報ステがそれをとりあげたのか、それともほんとにアメリカでLGBTが争点になってるのか。前者はうがった見方ですが、たぶん後者でしょうね。殺された人が80%増ってことでしたから。
アメリカにおいて、女性の権利が争点になり、黒人の権利が争点になり、ヒスパニックの権利が争点になり、どれも一定進みながらも解決されず、さらに例えば黒人女性のような複合差別の問題もはらみながら、それでもそれまで「人権があると考えられてこなかった」人々に人権があることを認知させるってことをやってきた歴史の先にあるのがLGBTなんでしょうね。だから「人権があるかないか」のせめぎあいの中にいて、その間を揺れている。
さて、振り返って日本はどうなんだろう。アメリカを「あの国では殺されるんだ」「それに比べて日本は」って考えるんだろうか。それとも「対岸の火事じゃない」って見るのか。
国会議員が「LGBは生産性がない」といい「Tは病気だから」と発言するこの国は、はたして「火事」が起こってないのか?国会議員によるヘイトスピーチを「失言」とし「不快に思われたらすみません」ですますこの国は、はたして「火事」が起こってないのか?
この火事をここでくいとめないと、やがて大火事になる。

長くやるもんだなぁ

今日、廊下である教員に呼びとめられました。
「ぼく、こないだのリビングライブラリであの子を当ててよかったんですかねぇ」
「差別問題の関係者になって気づいたこと」というセッションの質疑応答の時間に、誰も発言しないので、その教員は適当に生徒に当てて感想を言ってもらったんですね。で、その子が「わたしも差別を受ける立場の人間です」って話をしてくれたんです。
その教員は、自分が当てることでその子に「言わせてしまった」って思ったのかな。そして「よかったんでしょうか」って悩んでたんです。もちろんわたしの答えは「当てたことがよかったんです」です。
だって、当てたとしても、その子が「言いたい」と思わなかったらたぶん言わない。その子は「言いたい」って思ったから言ったんです。言うか言わないかはその子が決める。教員ができることは、その場・そのタイミングをつくることくらいです。「その場」はその子本人がつくりました。だって、「その本」を選んだのはその子です。そして「タイミング」は「本」とその教員の共同作業です。そしてその子は自分で「言おう」と決めた。
その子のその決定はいろんな人をつなぎました。
まずはその時そこにいた子。そんなことがあったから、金曜日の昼休みにその子のところに行きました。そしたら、同じセッションにいた別の子が
「びっくりしたわ」
って言ってました。どこか遠いところから来た人じゃなくて、隣で机を並べてる子が話したことのインパクトとリアリティは、きっと忘れないです。
次にわたし。その子のことは前から気にしてたけど、言ってくれたおかげでその子とつながれました。ちなみに東九条マダンに誘ったのはその子ですが、そのおかげでアボジとも出会えました。
次にI野さん(笑)。わたしとアボジがつながったおかげでI野さんもアボジやアボジの兄弟やそのパートナーがさんともつながれました。
そしてなによりその子。同じ小学校出身の別の在日の子と
「あんた、なんでここにいるのん?」
「あんたこそ」
「残り短いけど仲よくしよな」
ってやってました。
最後に最初の教員。「よかったんですかねぇ」って言ったあと
「かつてすごく世話になった恩人が部落差別を受けたことを知って、ほんとにこの問題について知らなきゃならないって思ったんです」
と言ってくれました。そんな話を放課後の廊下でする日が来たんだなぁって、感慨深かったです。
ながくやるもんだなぁ…。