「みなす」「みなされる」

今日は第2のふるさとの人権教育研究会の総会です。記念講演は、「部落問題学習ネタをつくろう会代表の星野勇悟さんです。タイトルは「いま、自分が、ここで −部落問題学習をするということ−」。
実は、星野さんを紹介したのはわたしです。ちなみに、星野さんとはじめて出会ったのは14年前のことです。このお座敷の時に「とにかくいつきを呼びたい」と言ってくださった方です。ちなみにその時の事務局長が、S久間さん、のちのダースベイダー(by Tじさん)で、「そんなに呼びたいから理由を論文形式で提出せよ」と言ったらしく、必死で論文を書かれたとか。なので、今回はその意趣返しですね。てか、「部落問題学習ネタつくろう会」っていい感じですよね。きっと緩い感じを醸しながらガチでやってるんやろな。そんな星野さんと第2のふるさとのみなさんを出会わせたいと思ったんです。
で、会場に到着すると、さっそく呼び出しです。なんでも「講師接待をせよ」とのことです。なので、しばしグダグダ話。
で、時間が来たので、星野さんは演台へ。わたしは部屋の一番後ろの指定席へ。
星野さん、いきなり火起こしの話からスタートです。どこかで聞いたなと思っていたのですが、たぶんこれかなんかかな。でも、おもしろいです。社会の教科書の挿絵ひとつからここまでやるかということと、そこから「別火」へとつながっていく「伏線の張り方」はすごいです。
そして話はご自分の経験の話へ。そしてそこから「部落問題の本質は「みなす」「みなされる」というところにあると思う」と。なるほどね。そもそも「同対審答申」だったかにも、部落の定義として「まわりからそのようにみなされる地域」みたいなことが書いてあった気がします*1。でも、まさにそうですよね。住んでいる/いた場所や、親戚縁者が住んでいた/いる場所、さらには親族関係などで「みなされる」「みなす」わけです。ちなみに、現在部落の人と部落外の人の結婚が増えているので、部落関係者はかつてに比べて格段に増えているはずなんですけどね。
で、星野さんの話はとてもシンプルでした。「みなす人がいなくなればいい」。ただそれだけです。そのために部落問題学習をする。そして、「教員って、部落差別をなくすことができる仕事。とてもすごいことじゃないか」という、ものすごくポジティブなメッセージをわたしたちに伝えてくださいました。
話を聞かれたみなさん、元気をもらえたかなぁ…。

総会が終わったら、車で難波へ。今日は「おべんきょ仲間」と読書会です。テキストはフーコーの『知への意志』です。それぞれが章を分担して、自分の疑問や関心事を出して、それについてみんなで議論するというものです。今回は第1章から第3章まで。わたしが「担当します」と言ったのは第3章「性の科学」です。なんかももう「性」が精神病理化されていく歴史についてのフーコーの怒りみたいなものが奥底から伝わってきて、すごくおもしろい。やはり、こんな感じで深く読まないとダメなんですね。
第4章・第5章は来月です。楽しみですね。

読書会が終わったら、車で雪と氷の世界へ。到着したのは2時過ぎです。少しクールダウンのビールを呑んで、さてと寝ましょうか。今日は1日よく動きまわった。

*1:要、確認