で、なんとなくテレビを見ているうちに「深いぃ話」にチャンネルをあわせてみたのですが…。
なんか、スポーツ女子の話で、文系&個人スポーツ系のわたしには理解不可能なことがやりとりされてて、なんだこりゃ?と。
そのうち出てきたのが、欽ちゃんがつくった野球チームゴールデンゴールドの片岡監督。女性監督として男性たちを束ねるという話です。話がジェンダーまみれです。なんかもう、イヤになります。もちろん、個人として「すごいな」とは思います。が、片岡さんがすごくならざるを得ない背景にあるジェンダーについてはまったく不問です。まさに「ジェンダーの個人モデル」です。「社会モデル」は一片も出てきません。
そんな話に辟易しながらふと思ったのが「こわいな」ってことです。それは、小学生中学生の頃の片岡さん、今なら多分「トランス男性」にカテゴライズされてるんじゃないかな。そして、そのカテゴライズは、片岡さん自身を束縛する。
番組の結論は「女性監督として辞めたいと思ったこともあったけど、欽ちゃんの「可愛がられる監督になれ」という言葉を思い出して、やり直した。今は女性としてできることがあるということがわかって、女性である自分を好きになった」みたいな話で、これはこれで「なんだかな」なんだけど…。
もしも片岡さんがトランス男性にカテゴライズされ、自分もそうやって生きてたら、この感情はどうなったんだろう。そう思うと、周囲が自分の「普通」を問うことなく勝手にカテゴライズすること、あるいはカテゴリーを安易に提供することの怖さが、しみじみとやってきました。