承認欲求のジェンダー差

毎朝、出勤途中、同僚とダラダラしゃべりながら歩いてます。たいていは「飲み過ぎた」みたいな話ですが、たまに「昨日こんなことを考えて」みたいなことも話します。
で、今朝の話は当然「承認欲求」の話です。「講演やったり起業したりってことを通して他者から依存されるみたいな人、トランス女性よりトランス男性のほうが多くて、これも承認欲求なのかな」みたいなことを話したら、その同僚さん、しばらく考えて答えられました。
同「それ、トランス男性というより男性に多いんじゃないですか?依存されるによって承認欲求を満たす人。かつては「家庭」だったけど、今は無理ですしね」
まさに!
い「で、女性は依存することで承認欲求を満たすわけですね?」
同「(笑)」
い「で、ふたりで幸せアピールをする」
同「幸せなのはいいことじゃないですか」
い「いや、アピールすることができるような幸せなんて、どこかうさんくさいです。幸せなんて、そんなのじゃなくて、「いろいろめんどくさいこともいっぱいあるけと、それでもまぁなんだかんだいって幸せなんだろうな」くらいがちょうどいいんですよ」
同「(笑)」
なんかもう(笑)。

「表」にする

とあるところから「いままでやってきたことや書いたことを表にせよ」というお題が降ってきたのですが、これが案外むずかしいです。
もちろん、やってきたことはやまのようにありますが、これが「表」に入ることなのか。たぶんほとんどが入りません。さらに、入るとしてもどこに入るのか。まぁメインのところじゃなくて、「その他」なんでしょうけどね。
でもこうやって表にすると、いろんなことをやってきたし、いろんなことを書いてきたなと思うのですが、一方で、今いるところはそれらがほとんど評価されないところなんだなと、あらためて考えさせられるわけです。じゃ、これから先の人生で、いままでやってきた「雑事」と同等な量を新たなフィールドでできるかというと、たぶん時間的に無理でしょうね。そう考えると、絶望的ですらあるのですが…。まぁ、質を変えるかないか…。