変化

今日は夕方から用事があるけど、そこまではなにもなし。なので、読書でもしようかと、かつて修理したデッキチェアを持ち出して、『フーコー』なんぞを読んだりしました。たぶん、原作は難しいだろうけど、解説本はとてもおもしろい!なので、このおもしろさをもとに、原作を読もうかなと。
で、夕方の用事へ。今日の用事はとある新聞の取材です。基本的にはstn21についての取材でしたが、セクシュアルマイノリティ全般にわたる内容、それも、子どもたちについてだけではなく、教職員当事者の処遇にまでわたる内容について話しをすることになってしまいました。
てか、そんなん、わからんがな(笑)。
それでも、可能な範囲で話をしていたのですが、結局どこに行くかというと「シスジェンダーの人間が保障されている権利をトランスジェンダーにも」「異性愛者が保障されている権利を同性愛者にも」という、ごく当たり前の、でもドラスティックは話しか出てこないわけです。つまり、小手先の「対応」なんて、いくら積み重ねてもアカンということです。
なぜ自分がこんな発想をするようになったのかなぁと、あらためて考えてみると、このシンポジウムに至るさまざまな思考かなぁ。で、その原点は「「国際障害者年」連続シンポジウム 「当事者」って何だろう!」だったんじゃないかなぁ。そう考えると、やはり運動の蓄積と継承ってすごく大切だなあと思うのです。
てことで、言いたい放題話をして、最後に「写真を撮っていいですか?」と言われたのですが、記者さん「そのTシャツ…」って言われます。「何がアカンのですか?」と答えたのですが、どうやら「Anti Facist」があかんらしいです。「でも、ファシストは民主主義の敵だし、この社会が民主主義であるなら当然の主張だと思うのですが(笑)」と答えてみたり。まぁ、苦労して写真のフレームを考えておられました。
その後、いろいろ迷った末、角打ちに行って、軽く総括。

それにしても、ただひとつ不安要素が。あの「とある新聞」ですが、文科省教育委員会も愛読しているはずで、そうなると、あの記事、デスクの方がボツにする可能性があるんだよなぁ(笑)。