「わたしは街の♪」じゃないけど…。スペシャリストとジェネラリスト?

今日は午後遅めの時間から小中高の連絡会議があります。迎え撃つ側の小中の人たちは、外国人教育のある種のスペシャリストです。で、迎え撃たれる(笑)側の高校の人たちは「ど」のつく素人です。まぁ、ある学校だけ長くかかわってはこられましたが…。
とりあえずは、いろいろ情報交換をするのですが…。小中、とくに中学校は、ほんとに子どもたちの情報をおもろくほど把握しておられます。ある種当たり前ではあるのですが、でもやっぱりすごいです。なので、高校側はひたすら相談を持ちかけ、話を聞くだけです。
で、もちろんわたしもその一員なのですが、それだけではアレなので、うちの職場の人権学習のフィードバック資料とか「子ども作文コンクール」とか「全外教大会」とか「ゼンコー」とかの情報を提示したりします。まぁ、そんなことはできるのですよ。
結局なにが違うかというと、小中の人たちは、きわめて実践的だし、深い知識も持っておられます。それは、たとえある程度の実践をしていたとしても、とうていかなうものではないし、そもそも対抗するつもりもありません。だって、なんだかんだ言って、高校は学力的なハードルを越えた子どもたちが来るわけで、そんな世界からは、まず小中の世界はわからない。なので、高校は、ひたすら聞くしかない。そんな時に、わたしはなにができるかを、やはり考えます。できることは、わたしの場所からアクセスできる情報を流すことかなと。だからこそ、さきほどの情報を流す。
で、今回はさらに、在留資格が「家族滞在」の高校生が就職時に「定住者」に切り替えられるかもしれない件についての情報をシェアすることにしました。
これは、小中の教員にはわからないし、かといって外国人教育にある程度以上かかわっていないと入ってこない情報です。でも、こういった情報がなぜ入ってくるかというと全外教のおかげなわけです。
ちなみに、在日朝鮮人教育→解放教育とフィールドを広げ、現在はトランスジェンダーの子どもたちがメインのわたしですが、別に在日の子どもや部落の子どもとのかかわりを捨てたわけじゃないです。ひとつひとつのかかわりは、たしかに浅くなります。その代わり、わたしのかかわりは広い。
と考えると、わたしにできることは、スペシャリストではなくジェネラリストであるということなのかな。いろんな世界と触れ合っているからこそ入ってくるさまざまな情報を相互にシェアしていくことかなとか、ふと思いました。
ちなみに、H上さんから
「人権の専門家ー」
ってメールが入ったので
「ちゃうちゃう。よろずやよろずや萬屋錦之介ー」
って返したら、返事はありませんでした(笑)。