無力感

共謀罪反対運動が安保法制のときよりも盛り上がっていないという話が、与党議員からあがってきてるとか。
「お前が言うな!」
って話なんですが、運動が国会内の反対運動を後押しするとかいう話でした。
まぁ、わからんではない。
が、野党もだけど、ここまで国会というものをコケにされて、それでも声を上げない、与党を含めた国会議員全員が情けない。民主主義の根幹を放棄している。てか、職務放棄ですよ。
それが反対運動やってる、手当なんて出ないひとりひとりの市民に無力感を与えていて、それが今の状況をつくっている。
でも、みんな見ている。
たぶん、無力感の中で、当たり前の主張をしてもまったく話を聞こうとしないなら、「もりとかけ」で刑事的に追い込むのが、現実的な方策だと思ってる。まぁそれすら「知らぬ存ぜぬ」なんだけどね。
すべての国会議員さん。反対運動に責任をなすりつけずに、自らの職務をまっとうし、「逃げ勝ち」みたいな低いモラルを許さない社会を、とりあえず国会内につくれよ。

さすがにきつい

今日は生徒総会。もともと勤務しはじめた頃は、みんな体育館について集まってやっていましたが、そのうちいつの間にかそんなこともしなくなり、気がつくと放送でやるようになっていました。それは生徒会選挙の立会演説会も同じでした。
でも、ここ数年、生徒会が活性化し、子どもたちが落ち着くにしたがって、選挙の立会演説会も体育館でやるようになり、今年は生徒総会も体育館でやることになりました。
体育館の前にひな壇をつくり、そこに生徒会役員がずらりと並び、予算案なんかの説明をし、質疑応答では挙手して質問する生徒もおり、応答しようとする人を止める人もおらず(笑)。そりゃ、予定調和といえばそうですが、でも、やっとここまできたんだなという気がしました。

とはいえ、準備は教員がしなきゃなりません。いや、生徒は授業がありますからね。その時間授業がない教員がしなきゃどうしようもないわけで、それは放送もそうなんですよね。
まだ体調はまったくもとにもどってないけど、淡々と荷物運びです。身体が痛い。
てことで、午後はどうしようもなく身体が痛くて、仕事が手につかないどころか、起きてることすらできません。
これはやばい。
放課後は放送部のミーティング。
まぁ、Nコン前と文化祭近辺は、必ずと言っていいほど人間関係がゴタつきます。傍から見れば五十歩百歩のことも、みんな真剣だからこそ気になる。だから、煮詰まる前にクールダウンさせなきゃならないかな。まぁ、そんな話。

にしても、限界だわ(;_;)

久しぶりに本気を見た気がする

朝、やはり眠たいです。かなり限界に近いけど、試験監督が2発あります。とにかく動きまわって眠気覚まし(笑)
その後、採点の残り15%をやりきって、採点終了。息をつく間もなく荷物を背負って殿舎に飛び乗りました。向かうは府の教育センターです。今日は「人権教育部長(主任)会議」とやらがあります。
そういえば、昔は「同和加配会議」が毎年開かれていて、京都府内の全加配教員が集まってましたが、法切れに伴って「支援加配」になって、気がつくとそんな会議もなくなっていました。まぁ、15年ぶりの復活というところでしょうか。
てことで、センターに行くと、いきなりSうかつ指導主事が「ちょいちょい」と合図。「なんですか?」と行くと「あんな、今日は質問せんとってや」とのこと。あのね。あれはサクラやっちゅうねん(笑)。まぁ、しょーもない話がしたかったんでしょうね。
で、会議開始。京都府全域から400人近くの教員が集まっているとか。たしかにホールがほぼ満席です。
まずは教育監のあいさつ。なんか、自分の現役時代の話をしてます。ベタベタの実践です。まぁ、同年代ですから「あの頃やなぁ」と思いながら話を聞いていました。
続いてSうかつ指導主事による「趣旨説明」。なんか、うちのギョーカイでは「3法」というそうですが「部落差別解消推進法」「ヘイトスピーチ解消法」「障害者差別解消法」を指すらしいです。なんか「サンパ」って昔言われたことがあるなぁとか思いながら聞くのですが、話の中には、さらに「子どもの貧困」の話とか「性同一性障害文科省通知」とか出てきて、時代も変わったなと。さらに「LGBT」まで出てきて、なんというか…(笑)。でも、そこここに「長く潜ってきた」人権が息を吹き返した感じが伝わってきました。これは、府教委、本気だなと。
お次は中学校における実践発表。小学校や地域とつながるいい実践です。話を聞きながら「ええなぁ」と。でもまぁ、高校では難しいなと思ったり、いや、本気でやればいけるかもと思ったり。まぁ、一番のネックは、わたしは本気で学校にかかわっていないということでしょうね。いろんなことに手を出しすぎですわ。
で、志水宏吉さんの講演。テーマは学力保障です。もう、専門どストライクです。実は志水さんの話は何度か聞いているし、本も読んでるし、もっと言えば2000年代初頭の「学力低下論争」の頃から学力問題をずっと追いかけてきたし、そんな関係で鍋島さんと呑んだりもあって、わたしにとってもなじみの世界です。今回の話の中では新しい知見はあえて出されなかったのかな。まぁみなさん「へー」「そうかぁ」「なるほど」と聞いておられたから、みなさんにとっては新しい話で、最先端の話をするとエッジが効き過ぎるのかもしれません。でも、わたしにとっても「復習」にもなったし、話がこなれていてすごくわかりやすくて得るものが多い講演でした。質疑応答の中で、「中学校から高校に行ってやめてしまう子がいる」という話が出てきましたが「self esteem・学習習慣・目的意識の3つのハードルが次々やってくる」という話もストンと落ちました。
おわりの室長の話も気合が入ってます。いや、いつも気合の入っている人なんですが、ほんとに気合が入ってました。
とにかく3時間半の短い会議でしたが、メッチャ元気がもらえる半日でした。

そんなふうに思いながらの帰り道。参加者とおぼしき若い教員が携帯で話をしているのが聞こえてきました。
「なんか、難しい話で全然わからなかったからずっと寝てた」
えーと。
わからないからこそ聞くんですよ。それは、わたしたちが子どもたちに常々言っていることです。「お前、寝てる子、怒るなよ!」という気持ちと「子どもの気持ちがわかったか?」という気持ちと「本気で継承しないとアカン」という気持ちが入り混じった帰り道でした。
なんしか、今度、Sうかつ指導主事に「こんな人いましたわ。同和教育の継承、ほんまにやらんとあきません。もっともっとやりましょね」って伝えよう。

遠方より

朝起きると絶不調です。そりゃそうです。時間的には12時間以上たっていて、二日酔いとかそういうのではないです。が、とにかく絶不調です。身体が痛い。しかも、パートナーがいないから駅まで送ってもらえない。いろいろ考えて車出勤にしました。まぁ、それならおべんとつくる時間もできるし、買い出しもできるし。
午前はなぜか試験監督なし。なので、採点の祭典です。きつい。身体が痛い。頭まで痛くなります。
それでも、なんとか85%くらいまで採点をすませての、出張です。出張先でも瀕死の状態でしたが、だんだん体調も回復してきてホッと一息です。
家に帰って車をおいて、再び外出です。今日は福岡の友だちが修学旅行の下見で京都に来ています。なんでも二人で来ていて、友だちは旅費が出ないので、じゃあ、少しは遊びを入れようと、わたしを相手に選んでくださったと(笑)。
てことで、まずはワインのお店へ。ここで、組合運動や同和教育やなんだかんだの話。そうか、大牟田って、すごいところなんだな…。
で、お店を変えて、今度は焼酎のボトルがおいてあるお店へ。今度は、女将さんを交えて三人でよもやま話。が、わたしはなぜか途中からついていたテレビに釘付けです。なにせ、フィンをつくる話で、なんか、工学部系の血が騒ぎます。おかしい、文転したのに(笑)。
ということで、11時くらいに終了。
とっても疲れてるけど、楽しいいいお酒でした。たぶん明日の身体は今日ほどじゃないだろうな(^^)。

久しぶりのおさんぽ

今回、Sぃちゃんがはじめて宿泊してくれるとのことで、それなら朝は「おさんぽ」だなと。
てことで、まだ寝てる人がいるうちに、SぃちゃんのIちさんとふたりに南コースを案内しました。
マダンセンターに帰ると、Iずみちゃんも起きてきたのでさっくりと片づけて、余った食材をかついで、北コースから三条向けて出発です。今日は暑いし、荷物は重いし、なかなかハードなおさんぽになりそうです。ちなみに、かつてIずみちゃんと歩いているシーンは「coming out story」に出てきます。でも、あの頃からコースはさらに長くなっています。
とりあえず「ひかり公園」から「崇仁小学校」を通って石碑を見て、それから「柳原銀行」を経て「靴商工会跡」をまわります。そこから高瀬川をあがって、鴨川を渡って、松原通を散策します。そこからまたまた鴨川を渡って、四条寺町あたりの「御旅所」へ。そして、四条通を東に行って、またまた鴨川を渡ったところが「出雲阿国像」です。そこから祇園の歌舞練場を経て小道を歩いて、たどり着いたのは、やはりおたふくです。
ちょうど今日は大将軍神社のお祭りみたいです。ラッキーです。と、いました。Kっくん!

さてと。いいものを見させてもらったので、あとは飲むだけです。にしても、腰と首がパンパンです。「調子に乗って」歩いたのが、ここに来ましたか。それでもいい調子で飲んでたら、やってきたのはKばやしさん。これは議論酒になりそうだな(笑)。
てことで、5時すぎになっておひらき。子どもの迎えのついでに来られたUりんさんの車に乗せてもらって帰りは爆睡です。
家に帰って、そのままふとんの上に倒れ込んで、1日が終わりました。

やはりコラボは難しいか

今日は「卒業生の会」&「玖伊屋」です。はたして何人来るのか、いつもにも増してさっぱりわかりません。とりあえず19時くらいに会場に着いて準備開始です。というか、メニュー決めですね。まぁ、たこ焼きの鉄板持ってきたから、とりあえずタコパかな。あとはポテサラと、上の子どものオリジナルメニューのおからのカレー味までは決めました。あとの追加は出たとこ勝負でいきましょう。
てことで、上の子どもは買い出し。わたしは留守番です。
やがて初参加の人とかいつもの人とか、ボチボチとみなさん来られました。で、厨房では、ひたすらキャベツのみじん切りです。ちなみに、わたしは頼む役。Uりんさんにキャベツ一玉やってもらいました。ほんと、申し訳ないです。今日はKぁんすも来てくれてるので、いろいろ心強いです。今日釣りたての若鮎も持ってきてくれてうれしいなぁ。
てことで、タコパ開始ですが、これがみなさんややこしい。みなさん一家言あるのですよ。ま、しゃーないです。はじめのうちは、生地がちょっとゆるすぎたみたいで、たこ焼きというより、もんじゃになりました。でも、生地のうまさはバッチリです。何回か試行錯誤しているうちに、なんとかまとまるところまではきて、そこからはうまいうまいと食べました。
一方、今日はIずみちゃん持参の「タンジェリン」の上映会です。いやぁ、ハードだわ。でも、トランス女性のヘテロセクシュアルの世界はこういうところがあるんだろうな。わたしにはわからんのだけどね^^;;。
その後、せっかくなので、「世界人権宣言」と「部落差別」のプレゼンをやってみたり。
そんなこんなで4時くらいまで遊んでましたが、卒業生の会のメンバーはひとりも来ず。ちょいとというか、かなり寂しいけど、これが現実なのかな。やはり、コラボは無理かなぁ。卒業生の会のみんなには悪いことしたなぁ(;_;)。

今年度初

激しくお座敷に行った3月が終わると、まったくお座敷のない4月があって、だいたいこの時期からお座敷の声がかかりはじめます。今年は5月にレジェンドな人たちと話をしましたが、本来ピン芸人なので、まぁイレギュラーだったなと。
ということで、今日は今年度初のグランドメニューなお座敷です。
毎回年度始めのお座敷はすごく緊張します。だって、ネタを忘れてるかもしれませんからね。いちおう会場に向かう電車の中でコチョコチョ中身を見たり、少しだけいじってみたり。
で、少し早く着いたので、一駅歩いてコクリュウに行って、YきみちゃんとかTーますとかを驚かせてみたり。
それにしても、体調が悪いです。どうしたものかなぁ。まぁ、お座敷で適度に運動して、そのあとビール呑んだら治るでしょう。
今日、与えられた時間は1時間半。尺が収まるかどうか、不安です。なので、マクラは「北摂共和国」くらいで少なめに。そこからは快調に飛ばします。
最近困っているのは、openofficeのimpress上で動画が流せないというトラブルが発生していることです。それも、昨日まで大丈夫だったのに、ある日突然流せなくなったので、さっぱり原因がわからない。しかたないので、Alt+tabでVLCに切り替えて流すことにしています。でもこれ、PCが離れていたらめんどくさいんですよねー(;_;)。でも、画像が大きいというメリットがないわけでもないので、とりまよしとしましょう。
今日はパターン2の話ですが、ところどころに出会い頭のネタが仕込んであります。そこでちゃんと反応してくださるのがうれしい。やはり、北摂共和国と京都・神戸は仲がいい(笑)。そんなこんなで快調に飛ばして、5分オーバーで終了。てか、はじまったのが5分遅れなので、まぁオンタイムです。ホッとしました。
終わってからの校長さんのあいさつに「元気の出る話」ってフレーズがあったり、「あの時、キャッチボールができたかもしれなかった」なんていう気づきを話してくださる方がおられたりして、かなりうれしいお座敷でした。

その後、再びコクリュウへ。
近くのお店で、Tーます、Kきぴ、米子の人、Yきみちゃんの軽く呑み。てか、「一杯だけ」とか言いながらどんだけ料理を頼むねんと。
でも、時間的にはほんとうに一杯だけで、外に出たらまだ明るい。ここで
「なんか、朝6時の感じやなー」
「ほんまやなー、夜通し飲んだにしては楽やなー」
としょーもない話で笑いあって、Yきみちゃんとわたしは十三へ。ここでサシのみしながら、少し深い話をしたりして、今日はさっさと帰ることにしましょう。明日は朝が早い。

痛い

考えてみると、XデーXから7年、Yデーからはあと2ヶ月で2年なんですね。そういや、なぜYデーがあったのか書いてませんでした。
実は、Xデーのあと、術式が少し古かったのか、できあがりがだんだん不満になってきたのと、もうひとつ、こちらがより大きかったのですが、ケロイドがものすごく大きくなって、キノコみたいになってました。それを除去したかったんですね。
で、Yデーのあとはいろいろあったけど、まぁ最終的には満足しています。ちなみに、「YデーがあればZデーがあるだろう(笑)」ということもありまして、あのときは「3院制覇!*1」とか言ってたけど、もうイヤです(笑)。まぁ、都合3回やったからいいでしょう。
それはおいといて、満足は満足ですが、ケロイドがなんか気になります。キノコは話になりませんが、大きくなるだけでもイヤな感じです。なので、定期的に「Nグモ大阪」に行ってたのですが、最近忙しくて1年くらい行けてませんでした。なので、今日はなんとしてでも行こうかと。
てことで、午後の出張が終わってすぐに移動。
診察室に入って患部を見せたら…。
い「どないですか?」
Y「うーん、大きくなってますね」
い「どないしましょ」
Y「打ちたい!」
そんな、満面の笑みで言わんでも(笑)。
てことで、注射です。
い「いたたたた!」
Y「硬っ」
い「いたたたた!」
Y「はい、あと1本」
い「えー、マジすか(;_;)」
なんかこの時と会話が似ています。
そんなこんなで終了。
Y「できるだけ来るようにしてくださいねー」
マジっすか^^;;

ビルを出ると、外にはI歩くん&Kんちゃん。3人でゆるゆる歩いて飲み屋へ(笑)。やがてKうさんもやってきて、4人で閉店まで飲み(笑)。
どうやらこんな日々がこれからも続きそうです。

*1:「Fローブ」「Nグモ」「Oかやま」

眠いのはメンタル落ちてるからか?

5月はかなりひどい月でした。
連休初日にカウンターやってる先輩が亡くなりました。この方が亡くなられたのはものすごく悲しいし残念なんだけど、ながくガンと闘いながら、それでもさまざまな発信をされてきたし、それなりに「しかたない」と思うこともできました。
その後、友だちが自殺未遂をし、さらに別の友だちが自殺未遂をしたらしいという情報が流れてきました。でも、このふたりは、無事こちらの世界に帰ってこられた。が、こないだとうとう帰ってこられなかった「後輩」がいたという連絡が入ってきました。
実は、わたしのまわりには自死する人はほとんどいませんでした。もちろん「するんじゃないか」とおもう人はいないわけじゃないけど、「するんじゃないか」と「する」はまったく違います。なぜかはわかりません。もしかしたら、自死する人はわたしに近寄らないだけかもしれません。あるいはその逆かもしれません。でも、いずれにしても、いろんな人と話をしていても、「いないなぁ」と、ずっと思ってきました。でも、いざ目の前で「いる」とわかったとき、いろいろ考えます。

トランスなんていうものは、QOLをあげるためにやってるんだと思います。いつも思いますが「Gender Nonconforming」であることそのものはいいんだけど、「Gender Dysphoria」に気づいた時点で「行くも地獄、とどまるも地獄」だと思ってます。で、トランスという行為は「行くも地獄」を選択するということなんだと思ってます。なぜなら、「とどまる」ことのQOLと「行く」ことのQOLを天秤にかけた選択の結果だと思っているからです。
にもかかわらず、「死を選ぶ」のはなぜなのか。なんのために「トランス」を選んだのか。
もちろん、「高まったQOLであっても、なお死を選ぶほど低いところにとどめられていた」=「トランスしてなかったらもっと早くに死を選んでいた」ということはあるかもしれません。それならそれで、「あとに残された者」としては、少し救われます。でも、トランスしたがゆえに、「Gender Dyspholia」とは異なる要因がQOLを引き下げたとしたら、やはり「なんのためのトランス」って思います。

朝からこんなことをぐるぐる考えていると、どんどんメンタルが落ちていきました。メンタルが落ちると、いろんなことがどうでもよくなって、眠くなります。なので、一日眠い。
かろうじて、質問受付授業では覚醒状態を保てたけど、おべんとを食べると再び眠くなりました。あたりまえか。
てことで、定時にさっさと家に帰って、さっさとおふろに入って、さっさとビールを飲んで寝ることにしましょう。

場違い感

午後の出張中に「共謀罪法案」が衆議院本会議を通ったことが判明。とりあえず、夕方のビールをあきらめてタワー前に行くことにしました。
が…。
到着すると知らない人ばかり。facebookを見ると、知り合いは別のところにいる感じです。今から移動したら…。間に合わんな。しかたない、ここでやるか…。
反応が悪いです。たぶん「どこかの党派がやってるわ」的に見られてるんでしょうね。ちなみに、そこにいたのは「○婦人」と「顕○会」です。解放同盟と仲よしなクリスチャンとしては、居心地悪いのなんのって。
てことで、アピール1発かましといて、終わったらさっさと離脱しました。
でも、たまたま通りかかったら卒業生が「せんせいのなら受けとる」って言ってくれたのはうれしかったなぁ。