今日はstn21のミーティングでとある居酒屋へ。まぁ、決めなきゃならないことは決めたのですが、このミーディング、基本的には当事者ばかりなのでおもしろいです。で、決めなきゃならないことを決めたあとは雑談になるんですけど…。
それぞれがそれぞれのことを話しているのを聞いていると、不思議な感覚に襲われました。
わたしは、基本的には「誰もがその人の人生における当事者」って思ってます。ただ、マジョリティは「他者との違い」がなかなか感じられないので「自分にはトピックがない」って思いがち。それに対してマイノリティは「他との違い」をより強く感じさせられているから「語る言葉」を持たされる。
なんか、「語る」ということについては、その程度の違いしかないんじゃないかと思うのです。
で、例えば当事者であり非被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「身の上話」と呼ばれるんですよね。それに対して、当事者であり被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「カミングアウト」だったり、時として「講演」だったりするわけです。
でも、当事者の被差別者の話を「身の上話」として捉えると、案外おもしろいかもしれないです。というのは、さまざまなバイアスをはずしていくと、それは他に代えがたい「個の経験」に結びつくはずで、そこに「ステレオタイプ」が紛れ込んているとすると、その語りは「ステレオタイプに取り込まれた語り」であることが明らかになってしまうからです。逆に当事者の非被差別者の話を「ステレオタイプに取り込まれない個の語り」として聞くことができたら、それはその人が自分を見つめる手法なんかも含めて、すごく学ぶことがあるんじゃないかなと。
なんてことを考えていると、酔いがまわりますわ^^;;