よくインクルーシブ教育がらみで「困った子は、困っている子」と言われます。これ、教員目線で「この子、困った子だなぁ」=「教員が扱いに困る子」というのは、実は本人が一番困っているんだよということなんですよね。つまり、視点を教員から生徒に移すことでパラダイムの変換が起こる。そのことを通して、「教員の困り感」に疑問を呈するわけです。
これは、とっても大切だよなぁと思います。
が…。
たまに「この人、困ってないんじゃない?」と思うこともあります。いや、たぶん、その人自身は困っておられます。が、困っている感が伝わってこない。
なぜなんだろう…。「困っている子ども」となにが違うんだろう。
よくわからないです。が、ふと思ったのは「右往左往していない」ところにあるのかもしれません。ブレがない。言いかえるなら、「変化する意志」がない。さらに言いかえるなら、「変化をまわりに要求する」ということなのかな。
もちろん、そのことそのものは別に悪いことだとは思いません。が、それは本人がなんとかする以外方法はないです。だって、「この人のために、あなた変わって」なんてことを、他者が言えるはずがない。
まぁなにがどうということもないのですが、なんとなく…。