禁断の話題

かつて、松村智広(まつむらさとひろ)という人が雑誌『解放教育』で「だまってられへん」という連載をしておられました。その中で「禁断の話題」をされて、大笑いしながら深くうなづいたことを、今日、ふと思い出しました。
「禁断の話題」とは「講師謝礼」のことです。
世間では「お金をもらうのはきたない」みたいな価値観がある一方「人権は大切だからお金とはそぐわない」みたいな価値観もあるような気がします。その結果「お金を出したら悪いんじゃないか」とか、逆に「お金なんてなくてもしゃべります」なんていう話が出てきます。
人権以外、例えばスポーツ選手の「ありがたい話」あたりになると「大切なことだからお金をつぎ込む」とか「大切なことだからこそ正当な対価としてお金をもらう」となる。
いったいなんなんだ?と思いますね。

わたしが誰かに講師依頼をするときは、原則的には依頼時点で謝礼の金額を明示します。「もうしわけありませんが、これだけしか出せません。来ていただけますか?」です。そして、相手に判断してもらう。だって、講演の依頼は契約なんですよね。だから、引き受けるかどうかの最初の時点でこれを言わないといかんと思うのです。引き受けるかどうかの大切な要素のうちのひとつですから。
でも、これを言わない人が圧倒的に多い。
その時、考えるわけです。「それなりの金額を出せる自信があるから言わないのか?それともお金がなくて、それを言おうかどうしようか迷っているから言わないのか?」。これは、精神衛生上悪いです。
たぶん講演をする人って、お金もだけど、講演依頼をしてきた人の真剣さとか、そんなのも含めて依頼を受けるかどうするか考えてると思います。逆に言うなら謝礼の確保も真剣さの中に入っています。でも、いかんともしがたいところもある。それはよくわかります。
そんなこんなをトータルして引き受けるかどうかを決めてるんだと思います。

あとですね。
「安い謝礼で講演する」って行為は、講師謝礼の相場を下げてしまうんですよね。現在、公費で出せる謝礼の金額はある程度の相場があります。「それでいいですよ」ってなると、それが相場になってしまう。これはデフレを招きます。これ、よくないと思うんですけどね。

まぁ、そんなこんなを、ふと考えた夜でした。
まぁ、松村さんとは違い、こんなところを読んでる人はほとんどいないから書けるヘタレなんですけどね(笑)。

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