1月のおわりに、Fぁよんさんが
「「倫」って「なかま」っていう意味があるんですよね」
としみじみ言っておられました。つまり「倫理」とは「なかまのことわり」なわけです。てことは、「不倫」とは「なかまにあらず」あるいは「なかまのことわりをやぶっている」ってことになるのかな。
でも、「なかまのことわり」っていったいなんだろうと思うのです。どこかに明文化してあるのか?たぶんしてないですよね。たぶん、空気のようにそこにあるし、「なかまのことわり」の中で生きている人はそれを自由に改変しながら使えるし、そこに生きていない人にとってはそれは脅威でしかない。
ここ半年ぐらいで、その「なかまのことわり」で断罪された人がたくさんいます。なぜこんなに断罪されるんだろう。というか、明文化された「規則(例えば憲法ね)」に明らかに違反している人がいるのに、マスコミはそれを叩かず、明文化されていない「なかまのことわり」に乗っかって人を叩く。
でもね。「なかまのことわり」の中にいない人/いられない人は、たぶんいるんです。そして、その人のものの考え方は「なかまのことわり」の中にいる人にはわからない。
まぁ、でも、「叩く」行為によって、「なかまのことわり」を明確化し、「なかま」であることを確認する。それって、構造として差別と同じじゃん。