わたしは今も特例法には反対しています。そのことは、それをつくったゼロ島さんにもずっと言い続けてきました。と言うよりも、月一回ある会議では毎回のように特例法批判がわたしだけではない人から出され、そこにゼロ島さんもおられました。
だから、ゼロ島さんとわたしとは対立する立場でした。
じゃゼロ島さんが敵かというと、それは違います。
少なくとも、ゼロ島さんは「枠組みが変えられる」ということを提案し、とても大きな制限はあるものの、それを実現しました。つまり、それは「枠組みは変えられる」ということを提示した人でもあったということです。それは「枠組みを変えたい」と考えるわたしにとっては、変える現場や手法の違いはあるものの、希望でもあるのです。
そして、もしかしたら、ゼロ島さんへの批判はわたしへの批判ともなりうる。わたしも「わたしの枠組みの変化」の手法の違いやその中身の不十分さゆえに批判を受けるかもしれない。いや、すでに批判されている。でも、だからと言って、わたしはやめない。わたしの基本的な発想はゼロトレランスではないからです。もしかしたら、そのことで人を傷つけることがあるかもしれない。そしたら、真摯に謝り、よりよい場所を模索する。「より現実的で、それでもよりマシな解」を探しながら、右往左往するしかないというのが、わたしの基本的な発想です。
ゼロ島さんとわたしの対立は、しょせんはコップの中の対立でしかありません。当事者であるわたしと当事者ではないゼロ島さんが同じコップにいるかということへの疑問があるかもしれません。でも、わたしは「同じコップ」と考えています。なぜなら、わたしは「当事者性に依拠しない」という立場をとっているし、だからこそカウンターの仲間と一緒にやることが可能なんです。
じゃ、コップの外にあるのは何か?本当の敵は何か?
そりゃ、天皇制に決まってるでしょ(笑)。
(追記)
とは言え、特例法は天皇制の枠内だしなぁ。
あと、「差別の解消ではなく理解の促進」とか言ってる人もいるしなぁ。
いくらわたしの線はブレるとはいえ、そのブレる線ですら引くのが難しい。
まぁ、結局あれか。枠組みをそのままにしてその中に取り込むか、枠組みを広げてそこに居場所をつくるか、それとも枠組みそのものを壊すかなんだよなぁ。