夜の学習会

昼も本番ですが、夜も本番です(笑)。
てことで、4時頃から急遽お店を探してもらって、いつもの通り呑み会です。20人ほどでワイワイと話。これがいいんですよね。だって、みんな問題意識は共通していて、しかもバックボーンがぜんぜん違う。にもかかわらず、1日半共通の経験をしているわけです。そんな人たちが一緒に話をするんだから、盛りあがらないわけがないです。
で、わたしの役目は「場を提供すること」です。それから…。席替えの号令くらいかな。あとはひたすらクズになればいいです。途中、共同研究者のT賀さんにも来てもらって、もうひと盛りあがり。
なに?12時閉店?じゃ、2次会に行きましょうか。

とにかく発言するぞ・日教組教研2日目

朝、なんとか目を覚まして、分科会会場へ。午前が本丸「性の教育」なのに、こんな体調でいいんだろうか。
でも、レポーター席に座ると、案外しゃきっとするものですね。で、9時になって、いよいよ分科会のスタート。
「帰ってきたなぁ」
という感じです。
午前のレポートは3本。まずは「WYSH教育」にかかわるレポートです。んー。なんか違和感が…。なんなんだろう。目的はとてもいい。でも、なにかが違うという感じがしてならないのです。考えに考えているうちに、「あぁ、多数者を対象にしているんだ」という気がしてきました。いや、レポーターの方はいわゆるLGBTの存在を念頭においておられることはわかります。が、WYSH教育そのものが多数者に向けてつくられているような感じが伝わってきます。いや、WYSH教育そのものをぜんぜん知らないんですけどね^^;;。で、その疑問が解けたのは、池上千寿子さんの解説でした。なるほど、文科省の公認が得られることで変質しちゃったんだ。
で、2番目のレポートは『タンタンタンゴはパパふたり』の実践です。このレポートがおもしろいのは、「誰が悪いねん」ということに焦点化していることです。なので、『タンタンタンゴ』をそのまま使うのではなく、カスタマイズしておられます。まぁたぶんつくったのはI藤さんだろうけどね。それにしても、クラスの子どもたちがすごくよく語る。なぜなんだろう。たぶん、授業実践に注目してしまいがちなんですけど、それ以前に子どもたちがとてもよく語れるようなクラスづくりをしておられるんですね。そんな気がしました。
で、3番目のレポートは公民の授業の中でLGBTにとりくんだものでした。これはおもしろい。「なるほどなぁ」という感じ。また、レポーターの方のゆるーい感じがいいです。肩に力が入っていないから、子どもたちが反応してくれるのかな。「これから子どもたちは日常生活の中でLGBTという言葉に出会っていく。だから、その前に正しい知識を伝えたい」という発言は、例えば部落や在日とも共通するものです。
そんな話のあとは、討論の時間です。いよいよ出番だなということで、ガンガン発言をしてしまいました。いかんいかん(笑)。
で、池上さんの「助言」。そうか、「モントリオール宣言」ね。英語の勉強がてら読んでみようかな。
昼ごはんはせっかくなので、盛岡冷麺。おいしかったけど、おなかいっぱいになりました。
で、午後は「労働」。まずはレポートです。こちらはあまり得意分野ではないんですよね。なので、レポートもひたすら「すごー」っと思うばかりです。特に2本目の姜尚中の『働くことの意味(だったかな)』を教材にした「綴り方」みたいなレポートはひたすらすごいです。「働く」ことを題材にしながら、家族へのインタビューを通してひたすら子どもたちが自分の生活を見つめ、表現していく。地道でていねいな授業実践を聞かせてもらいました。ちなみに、レポーターの方はお友だちですが、この人の実践はいつ聞いてもすごいです。わたしのようなえー加減な教員はダメですね。
レポートのあとは、またまた討論の時間です。今回も、とにかくすべてのセッションで発言するのが目標なので、苦しいながらも発言し続けました。ちなみに、レポーターの中で高校の教員は3人だけ。話を聞いていると、子どもたちの「層」も似ているみたいです。その3人が、異口同音に「夢を語らせることの怖さ」を主張したのはおもしろかったです。ちなみにこれ、ある種のネタなんですけどね。「夢を語らせる」ことそのものはかまわないっちゃぁかまわないのですが、それをなんのためにするのか、あるいはそのことを通してどういう力をつけたいのかということが大切なんですよね。言い換えるなら、ゴールではないということです。そんな問題提起のつもりだったんですが、なんかみなさん「シーン」となったので
「あの。反論してください。そのためにブッコんだんですから」
と、フォローしたら、少しずつ意見が活発に出はじめたのでよかったよかった。
てことで、盛況のうちに、丸一日の討論が終了。それにしても、9時から5時まで、ずっと考えていたから、かなり疲れました。

ウェルカムドリンク・日教組教研1日目

午前の授業を終えて、さっくりと出発。新幹線に乗って、ひたすら東へ東へ。東京で乗り換えて、さらに東へ東へ。途中「非武装中立地帯」を侵犯するおじさまに悩まされながらも、なんとか目的地へ。到着したのは、今年2回目の盛岡です。今日から3日間、恒例の日教組教研があります。さてと、今年はどんな出会いがあるだろう。
途中、I木さんと連絡をとったら、なぜか同じ新幹線でした。てことで、盛岡駅で合流して、しばし打ちあわせ。打ちあわせの内容は、もちろん「呑み」です。なんでも今晩は「インクルーシブ教育分科会」で呑むそうで、そこに混じらせていただくことにしました。ほどなく、北海道のT村さんや国際連帯分科会共同研究者ののE井さんからも連絡があって、合流。
それにしても、呑み会に参加してふと感じたのは、「インクルーシブ教育分科会」って、ジェンダーバランスがいいような感じがします。なぜだろう…。
などということを考えるまもなく、ビール→ワインとすすんでいきます。なんか、ダラダラと話をしているうちに、2次会に行くとか。じゃぁ行くかと、車いすを押してしばし散歩。「段差は後ろ向きだと越えやすいよ」などと、初歩的なことを教えてもらいながら、呑み屋へ。で、ダラダラ呑んでいるうちに、2時。
これはまずい。今日のお酒は、単なるウェルカムドリンクのはずなのに…。

脳みそ疲れた→先達への敬意

今日はさっくりと職場をあとにして、滝井へ。久しぶりの心理検査です。12月の「まんまるの会」での会話。
Y野さん「心理検査だけでいいですよね?」
いつき「いや、知能検査も(笑)」
Y野さん「(笑)」
みたいな。
てことで、久しぶりにこんなことをやりました。にしても、途中で脳みそが疲れはじめて、しかもやめられない。で、たまにルールを誤解してて脳みそがフリーズしたりして、なかなか脳みそがさびついてる感じがしました。ま、Y野さん
「いえいえ、なかなかですよ」
となぐさめてくださいましたけどね^^;;。
時間があるので宿題は待合室でさっくりすませました。この宿題も「おまえ、性に関する質問、好きやな」と思わずツッコミたくなる設問がたくさんあるのですが、まぁ、変態であることを引き受けていたら、それなりにOKってもんです。

で、O田さんの勧めにしたがって、バスで大阪駅まで移動。ネットカフェに1時間ほどこもって仕事です。まぁ、サテンでもいいんですけど、靴が脱げないというか寝転べないというか。なので、やはりネカフェで仕事なんですね。

で、頃合いよしと福島へ。今日は『にじ色の本棚』の打ち上げです。
とりあえず編集担当のS村さんと合流。やがて原ミナ汰さんと大江さん@LOUDが登場。大江さんがわたしのことを知っておられて、ビビると同時に、かなりうれしかったです。
はじめは本のことについてあーだこーだと話していたのですが、やがて「ぶっこむ質問」が出てきたりして、そのあたりからディープゾーンに突入です。互いが「なぜこういう生き方をしているのか」なんていう交流はなかなかできるもんじゃないです。それを互いにブッコミあい、それをガチで受ける、とても濃いぃ時間を過ごしました。ちなみに、ブッコむ相手は、別にLGBTじゃなくてもいいんですよね。人がつながるのは「属性じゃなくて葛藤の量」って言葉がかの名作(笑)に出てきますが*1、まさにそんな感じの夜でした。

にしても、先達の歩んでみた道は、とてつもなく険しく自由ですね。それをあらためて感じました。そのあとに続くわたしの世代は、やはりそこを知りながら、自分の道を歩まなきゃならんなぁと。

*1:ちなみに、これはRささんの発言です。

ちょいとグチをば

今日はとある新聞社の記者のH房さんという方から取材を受けました。
なんでもH房さんは2007年くらいから「家族」というシリーズでわたしのことは知っておられたとか。恐縮だなぁ。
で、教員の立場からいろいろ聞きたいと言われたので、まぁいろいろと話をしました。
「教職員向けのLGBTのハンドブックを各地がつくっているんですが、どう思われますか?」
みたいな質問。H房さん、よくわかっておられて「マニュアルはいけない」っておっしゃってました。その通りです。最低限踏まえなくちゃならないことを提示してもらえばいい。
でも、一方で各地のハンドブックの意義なぁ…。

例えば、「○○は教育の課題だ。だから学校で」っていう言説がある。そりゃ当たり前です。子どもたちは原則的にはみんな学校に通っている。だから、子どもに関する課題は「学校教育の課題」です。ちなみに「○○」にはトレンドがあります。かつては部落問題。その後、例えば自死者が出たらイジメ問題。スマホの登場でネットリテラシー。そして、特別支援教育の導入で発達障害。障害者差別解消法に伴って合理的配慮。そしてLGBT。最近では主権者教育。
それらの間を縫うようにして、本来の仕事である不登校の子どもの対策や、進路保障や、低学力の子どもの学力保障や、さまざまな生徒指導がある。
学校はパンク寸前で疲弊しています。
そして、カバーする範囲が増えれば増えるほどミスが出る可能性が高くなる。ミスをしたら叩かれる。叩かれると、本能的にガードします。すると、そのガードを理由に「教育委員会制度があかん」とか言って管理強化を進めようとする。
北風政策ですね(笑)。
さらに、LGBTを例にして言うなら、100人の教員がいたとして、その中の一人だけが当事者が傷つく発言をしたとする。他の99人はしていない。でもらその当事者にとっては「教員に傷つけられた」という記憶だけが残る。そしてそれは記憶なんですよね。例えば30歳の当事者であれば12年前。時は2004年。そんなころの「ある教員」の話を持ってきて「今」の「学校」を批判する。
これは割の合わない話です。
じゃ、どうすればいいのか?
ひとつは「教育の課題」という言葉の理解が違うってことです。教育には2種類ある。ひとつは「学校教育」ですが、ほんとは「学校以外で行われるすべてを網羅するもの」としての「社会教育」がある。こちらをあまりにも軽視している。つまり、「子ども」の「教育の課題」を学校に丸投げしないってことです。
それから、現状を正しく認識するということです。過去のある地点での経験を普遍化しない。
さらに、個々の教員がカバーできる範囲には限界があるということも知る必要があると思います。例えばAという教員は在日外国人については詳しいけどBという教員は発達障害について詳しい。その時、Aに発達障害をやらせてBに在日外国人をやらせるのはキツイです。それは、会社組織を考えればすぐわかる。だから、それぞれの教員の得意分野がカバーしあえるような仕組みをつくる。そのためには「できないことを批判しない」という姿勢があらゆるところに必要となる。
きっと、他にもいっぱいあるだろな。

ま、結論を言うなら、学校はいま疲れてるってことです。そして、疲れさせてるのは誰かってことです。
あー、グチったグチった(笑)。

久しぶりにA久○さんと

ほんとに超久しぶりに阿○Zさんとサシ呑みです。
近況報告からはじまって、お互いの関心事や「おべんきょテーマ」を話しはじめると、もうとまりません。重なるところも重ならないところも、お互いに存分に話し合います。楽しい…。
やっぱりこれだなぁと思いながら、なぜか2軒目も行って、最終手前。地下鉄の中では爆睡です。あやうく引き返すところでした。

わたしのための言葉・あなたのための言葉

今日は某人権教育研究会の総会です。午後は講演。講師は東優子さんです。演題は「「性の権利宣言」を読み解く」。
ちなみに、「性」についてこの研究会で扱うのは…。10年くらい前に3回くらいやったかな。池田久美ちゃん、大束さん、平野さん。さて、今回はどんなことになるかな。
東さんに話してほしい内容は、トランスとかLGBTとかではないです。じゃなくて、まさにタイトルの通り「性は人権」だってことを、この研究会の人たちにも知ってほしいと思ったからなんです。てことで、文科省通知とは関係ないってことです(笑)。
でもま、LGBTのことは避けては通れないでしょうから、そのあたりについてどう話されるかも、わくわくしますね。

で、話。
まずは、セクシュアリティの基礎的なあたりをひと通り網羅されて、健康(ウェル・ビーイング)の概念の解説です。当然といえば当然なんですけど、「性」を考える上で社会を排除することはできないわけです。でも、たぶん、一般的には「性」は「自然」と一体として考えられてるんじゃないかな。例えば同性愛について言及するとき、いきなり「種の保存は本能」みたいな話が出てくる。それもたぶん「性は自然」って文脈なんだろうと思うわけです。でも、実際には違う。そんなことを、東さんはさまざまな事例をあげながらていねいに語られます。
そして、いよいよ「性の権利宣言」へ。ひとつひとつの条文を説明されますが、ここで「性の権利を侵されている事例」をあげていかれる。それは女性であり、子どもであり、LGBTなんですよね。そして、「性の権利が侵されている存在」だからこそ、その人たちの権利が保障されなくちゃならないとする。このあたりは、ひとつは「合理的配慮」の発想でもあるし、「世界人権宣言」の発想でもあります。
にしても、なんか、幾度も涙が出てきました。これほどまでに「わたしの権利」について、力強くはっきりと語ってくれた人がいただろうか。たぶん、ほとんど経験がありません。
わたしはずっと「他者の人権」にとりくんできました。そして、「わたしの人権」についてはほったらかしてきました。そして、「まぁそんなもんだろう」と、ある種冷ややかな感覚を持ってきました。だからこその「笑い」なんですよね。そんなわたしが、東さんのひとつひとつの言葉は、まさに「わたしのための言葉」だと感じたんですよね。
もちろん、はじめにも書いたように、それをしてほしいから東さんに来てほしいと思ったわけではないです。でも、「性の権利」を語るうえで、「権利が侵害されている人々」について語ることは不可避だし、その人々のために「性の権利」はある。そして、東さんは「いつきさん、あなたが「その人々」なんだ」と語り、「「性の権利宣言」はあなたのために書かれたんだよ」と語られた。
そんなメッセージを聞いて「わたしは生きていてもいいんだ」という気がしたんです。この時からずっとつながっていたんですよね。

さてと。
「わたしのための言葉」がこれほどまでにわたしを勇気づけてくれるなら、「わたし」は「あなた」を勇気づけるために、これからも「あなたのための言葉」を語り続けよう。あらためてそう感じました。

孤独感

なんか、土日はめっちゃ飲んでたけど、どこか孤独感が漂っていました。なんなんだろう、これ。
そうか…。
たぶん、まわりと「目」があってない。世界の見え方が違う。
いや、もちろん、誰だって他の人とは見え方が違うんだろうとは思います。が、その違いに気づくかどうかは、もしかしたら人による。
世界の見え方が「違う」の思った瞬間に、会話がとてもしんどくなります。言葉が伝わらない感がハンパなくなる。それは孤独感につながっていきます。そしてそれが耐えられないほど大きくなることがたまにある。
たぶん、どうしようもないですね。
とにかく、これが過ぎるのを待つしかないかな…。

ダブルヘッダー(笑)

今日は東京から来ているお友だちとランチです。「何が食べたいですか?」と聞くと「麺類かとろろごはん」という答えが返ってきて、どうするかと。でも、最終的には「わかば」で落ち着きました(笑)。麺類あるからええやろと。
で、京都のお友だちも交えて、おいしい肉をつつきながら、積もる話や近況報告。場所は違えども似たようなことをやってきた人なので、感覚が似るのかな。楽しいひとときを過ごせました。

で、いったん家に帰って、しばし用事。

5時すぎにふたたび京都駅へ。
夜は毎月大阪でお世話になっている居酒屋さんの職員のS井さんと呑み。
この人は、ほんとうにお酒をよく知っておられます。でも、それだけじゃなくて、なにやら奥が深そうです。なので、とりあえず一度呑もうということになりました。
まずは飲む前に「ヘパリーゼ」です(笑)。やる気です。
選んだ飲み屋は「ニューエビスノ」です。まぁいつものところですが、それはわたしのこと。はじめての人にとってはおもしろいお店でしょう。
で、お酒の話からお店のバックヤードの話から、S井のバックヤードのことまでいろんな話を聞けました。
で、もちろん2軒目。おいしいビールで〆ようということになったので、最近たまに行くPUBです。ここでおいしいベルギービールを呑んだあたりで限界かな。
最後は記憶がないぞ(笑)。

ピーンチ!

とりあえず「abu-chan」を提出すべく、サイトにアクセス。ところが…。へ?そんなふうにするの?
わたしはてっきりファイルをアップロードするもんだとばかり思っていたんですが、テキストフィールドにコピペするんですね。それも「目的」「方法」「結果」「結論」にわかれてる。でも、わたしのはそんな構造にしてない。どないすんねん(;_;)。
しかたないから、これの「abu-chan」を流用することにしました。
まぁ、あれやな。通らへんやろな(笑)。