今日は東北学院大学のK坂さん・I川さんと学生さんや、I川さんの教え子さんとかと一緒に久しぶりのおさんぽです。この人たちこないだの10月にすんごくお世話になったので、わたしとしても思いっきりもてなさなきゃなということで、M木ちゃんとふたりで迎撃作戦敢行です。
朝、いつものようにグダグダとして、やがておさんぽ出発。今回は南コースと北コースの間にインターバルを入れて、少し映像を見てもらうことにしました。
にしても、さすがは専門家です。ものすごく真剣&積極的です。そしてなにより、ものすごい好奇心。ほんの少しも見逃すまいというか、なんなら「新たな発見はないか」という感じです。
途中から少しずつ合流する人も出てきたりしながら、結局フルコースを歩いておたふくへ。
ちなみに、事前に電話したら「いっぱいやし入れへんで」と言われたけど「とりあえず行きますわ」と言ってしまうのは、昨日と同じです。そして、やっぱり詰めてもらって入れるのも昨日と一緒です(笑)。
そんなこんなで、楽しいおたふくのあとは、京都駅まで移動して、フレスコへ。さらに途中帰る人もいたけど、最後まで呑んでるK坂さんはすごすぎます。てか、急遽ホテルをとってたし。
ということで、ものすごくめまぐるしくも楽しい3日間も無事終了。
さてと。明日は日常…。じゃないな^^;;。
年: 2016年
すごいな
今日は今年度最後のトランスジェンダー生徒交流会です。さてと、どんな話し合いになるかな。
でも、まずはお昼ごはんづくりから。今日のメニューは「チーズフォンデュ」と「チョコフォンデュ」です。ちょいと豪華です。参加者の子ら、はじめは少し緊張もあるけど、だんだん緊張が緩んでくるのがわかります。
と、ある参加者が「これ」と紙を持ってきてくれました。来年度からの「特別な配慮」の一覧表でした。みんな「なになに?」と集まってきます。で、口々に「すごい!」とか「自分はこれなかった」とか言いはじめます。わたしも見ながら「ここ、イマイチやなぁ。ここ、闘お」とハッパをかけます(笑)。
で、話し合いの時間。
はじめは和やかですが、少しずつツッコミが入りはじめます。わたしもだんだんヒートアップしてきて、畳の上によじ登って、ガンガンツッコミはじめました。そうこうするうちに、泣く子も出てきたりして。それでも、最後まで語り切るのはすごいです。わたしも先輩たちに「自分の経験を返したれや」といろんな人に振ります。するの、みんなが口々に自分の経験を話してくれる。そんなヤツらもほんとうにすごいです。
しかし、追求するのはとてもしんどい。たぶん、ワインなしではとてもじゃないけど神経がもちません(笑)。
てことで、ものすごくしんどい話し合いの時間も終了。いろんか緊張が一気にほどけてしまいました。
てことで、打ち上げ。
今回は東北からのお客さんや、その関係の人、さらには大阪教育大学のお客さんなんかもいるので、あちこちでおしゃべり。
さらに、数人は十三に移動して「あらい商店」へ。電話したら「あかんで、いっぱいやで」と断られたけど「とりあえず行きますわ」と押しかけてみると、カウンターにはカウンター界のVIPがおられるわ、座敷におられるのはSゃ納さんだったりするわで、完全に身内ばかりです。なので、席を譲ってもらえて、無事カレーにありつけたわけですが、わたしはM木ちゃんに腰をもんでもらっているうちに記憶が飛んでました。ちなみに、なんでも、Mニョンさんもマッサージしてくれたとか。ビックリしますわ。
てことで、終電で京都へ。向かうは東九条です。
変わるんだな
今日は北摂地域のとある学校でお座敷です。
学校のお座敷で、ちょいとしんどいのが、校長室に通されること。
もちろん、迎えてくださるみなさんはそれなりの敬意をということで校長室に通されるんでしょうけど、慣れないですね。できれば職員室の片隅とか、保健室とかのほうがはるかにいごこちがいいです。
校長室のしんどさは「ちゃんと話をしなきゃならん」ってところです。で、この「ちゃんと話」ってのはしんどい。おそらく校長さんはわたしがどんな話をするかとか、どんな人間かとか何も知らない。なので、それに探りを入れるような会話になります。で、わたしはというと、これまたいろいろ考えなきゃならないことがあるから、「はい」「ええ」「そうですね」くらいしか話せない。あるいは時として知識をある程度持っておられる校長さんだと、「理解があるよアピール」をしてくださって、それはそれでうれしいんだけど、「そこ、ちゃうし
」っていうところがあったりするんだけど、それも言えないから「あー、ですよね…」みたいな会話になります。
で、終わってから再び校長室に通されると、今度はかなり楽です。わたしがどんな人間なのかとか、どんな話をするのかとか、なにを考えてるのかとかがわかったうえでの会話になるので、警戒心みたいなものがなくなるんですね。
今日のお座敷でも、なんか、そんな「ビフォー・アフター」みたいなのが感じられて、なかなかおもしろかったです。
それからもうひとつの変化は、ほんの少しだけリスペクト感が出ることかな。
たぶん、単なる平の高校教員だから、「まぁたいした話もでけんやろう」みたいな感覚が伝わってくることもなきにしもあらずな時もありますが、話のあとにはそういうのはなくなります。まぁでも、「たいした話」はもちろんでけんのですが、それなりにものを考えてきたし、それなりの経験も積んできたし、その中身は、単なる年数とは違うものなんですけど、それはなかなかわからないんですよね。
もっとも、同じことは、「迎える側」としてのわたしにもありうることなんで、そこは「自戒の念を込めて」ってことになりますか…。
あー、でもわたしは好奇心旺盛だから、ちょいと違うかなo(^^)o
伝えなきゃならないこと
まんまるの会まで1時間ほどあったので、散歩と買い出し。
で、5時半くらいからボチボチ第一部のスタートです。
まんまるの会の第一部は、単なる自己紹介です。とは言え、常連メンバーがほとんどなので、普通の自己紹介ではダメです。なので、「近況報告とその日のお題でひとネタ」にしています。これが苦しい。まずは「近況報告といっても、なにもないなー」ってなります。
でも、それが大切なんだと思います。だって、2ヶ月も間があいていて、なにもないはずがない。いや、なにもなくてもいいんです。なにかひとつはものを考える。それを振り返り、思い出し、掘り起こし、言葉化し、伝えるという作業が、トランスをするためには必要なんだと思うのです。そして「お題」は、それを「自分の人生」という、さらに長いスパンで行う。
たいていの人は「なにもないなー」って言ったあとに「あー、そう言えば」って語りはじめられます。それがおもしろい。そして、みんなでその話に集中する。
教員してると、自分の話にみんなが集中するなんてことは日常のことですが、そうでない仕事をしている人にとっては、もしかしたら日常あまりないことなんじゃないかと思います。ましてや、こもり気味のトランスなんかだと、ほとんどふだん経験できない。それを経験することもまた大切なんじゃないかな。
そんなことを考えています。
で、話を聞いていると「あー、それそれ!」ってことに突き当たることがよくあります。
今日の「それそれ!」は「伝える」ってことでした。簡単に言うとこんなことでした。
いま、巷で「カミングアウト、イェーイ!」っていう感じがある。でも、実はとても少数です。トランスをほんとうに成功させている人間は、基本的にはカミングアウトしない。カミングアウトしないから顕在化しない。だから、後輩トランスからは、たとえそこにいたとしても、出会えない存在になる。ということはロールモデルにならなくなってしまう。すると、「トランスを成功させるためのノウハウ」が伝わらなくなってしまう。
じゃ、なにが伝わるか。
それは、例えば「カミングアウト、イェーイ!」的なキラキラ感。あるいは、「顕在化せざるを得ない」「同じような人」。いやもう、某所で「クラブの先輩に同じような人がいて」なんてことをどれほどよく聞くことか。たぶん、パンデミック状態です。しかも、社会の中に最近「トランス枠」みたいなのができつつあって、そこで受け入れてもらえるもんだから、それを「成功」としてしまう。で、それが顕在化しているから、「トランス枠」に入ることが成功なんだとなってしまう。
で、その人が言っていたのは
「なんかあかん気がする」
ってことです。
「伝えなきゃならないものがあったのに、それを伝えてこなかった自分が、最近伝えなきゃならないんじゃないかと思いはじめた」
ってことです。
クローゼットで生きながら伝えるという難しさ。でも、たぶんわたしはそれを可能にする「場」をつくってきたのかな。もしもそうなら、やってきてよかったな。
ちなみにわたしは…。
完パスでもないし、カミングアウトもしてないけど、たぶんクローゼットでもないし。やはり一周まわって「不完全フルタイムトランスジェンダー」なのかな(笑)。
で、こんな生き方もまたあるということは、伝えなきゃならないことなのかもしれません。
ロールシャッハ、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
こないだ脳みその疲れる作業をしたのですが、今日はその第二弾、ロールシャッハテストです。
部屋に入った瞬間に、「あぁ、ロールシャッハ」です。こないだは机の配置が対面式なんですが、ロールシャッハの時は隣同士で座るんですよね。
ちなみに、13年前にやった時は、なんか、延々としゃべってしまったので、今回は軽くやろうかなと。なので、10枚のカードを全部やっても30分ほどしかかかりませんでした。実は、臨床心理士のY野さん、かなり覚悟しておられたみたいですが、あまりにもさっくり終えたので拍子抜けみたいでした。
で、しばし振り返り。てか、こっちが時間がかかります。だいたい1時間くらいかけて、あれこれと話をしました。にしても、Y野さん、話を聞きながらスコアをつけておられます。
「その場でつけるんですね」
と言うと
「はい、あとでつけようとすると思い出さなきゃならないことがいっぱいあるんで、できるだけその場でつけることにしてるんです」
とのこと。すごいなぁ…。
で、O田さんの診察室へ。とりあえず
「最近いかがですか」
と聞かれたものの、ふたりとも苦笑です。いや、おとつい会ったし(笑)。
てことで、少しだけ作戦会議をして、お勘定。
わさわさしてるうちに
今日は昨日に引き続き校正作業です。
基本的にはテープ起こしをしたものを、一度「読める形」にして*1、その後講演者に2次校正をお願いしているので大丈夫なはずなんですが、現実にはそうはいきません。というのは、講演者による校正にもいろいろあって、ざっと読んで「ここはオフレコ」ってところを削除するだけの人から、講演の原型をとどめないというか、一から書き起こしというか、そこまで筆を入れる人まで、さまざまな人がいます。なので、読まないとわからない。というか、どのタイプの人であってもミスはあるわけで、校正ってのはそれを見つけて訂正するものです。
で、講演を読むわけですが、おもしろい!とにかくおもしろい。講演を聞いた時にわからなかったことも、文字として読んだ時に「こういうことだったんだ」ってわかることがあります。なので、つい中身に引き込まれてしまいそうになりますが、それがまたあぶない。中身を読んでしまうと文脈で文字を理解するから、ミスが見つからなくなるんですよね。
てことで、放課後には校正終了。そこから訂正を入れていって、ホイホイホイとやると…。できた?できた!
デッドラインには間に合いましたo(^^)o
*1:上の子どもにバイトで外注
特殊業務とか
今日は毎年恒例の特殊業務の日です。で、わたしの役割は、これまた恒例の放送担当。なかでも、今日はチャイム役もしなくちゃならないので、かなり緊張です。
にしても、かつてはチャンスは一度きりだったのが、今は2度3度あるっての、どうなのかなぁ。まぁ、意味があるならいいんだけど…。
てことで、1日特殊業務に従事して、電車に乗って、移動中に校正をしたりして。うわ、訂正箇所を見つけてしまった。これはきちんと校正しなきゃ。明日までにできるかなぁ。
で、夜は大阪で会議。
まぁこちらもいつもの感じで終わりました。それにしても、相変わらずジェンダーバランスが悪い…。
で、呑み会。これもまた、いつもの感じです。「いつきさん、そろそろ帰るぞ」と言ってもらうのも、これまたいつもの感じ。
まぁ、そんなこんなの1日でした。
一周まわる
ある分野のマイノリティとされる人をどう呼ぶかというのは、「呼ぶ人(当事者自身を含む)」の立ち位置でずいぶんと変わるような気がします。
例えば、トランス女性ひとつとっても「オカマ」「ヲカマ」「ニューハーフ」「女装者」「女装家」「GID」「性同一性障害者」「トランスジェンダー」などなど、さまざまな呼び方があります。で、知れば知るほど選択肢が増えるし、さらに「存在そのもの」を知ることで新たな選択肢をつくることができるようになる。また、当事者ではない人にとっては、知識の獲得によってポリティカルコレクトってヤツが出てきて、逆に選択肢に制限がかかる。でも、時としてその制限をあえてはずす人も出てくる。
なんでこんなことを考えたかというと、facebookで見たこの記事なんですね。
この記事そのものは「外国にルーツを持つ子どもたち」という呼称の是非を問うものです。
わたしは個人的には「よりフィットする言葉をどんどんつくればいい」と思ってます。例えば、在日にしても「在日韓国人」「在日韓国・朝鮮人」「在日韓国朝鮮人」「在日朝鮮人」「在日コリアン」「在日」のそれぞれに、その呼称がつくられた歴史や経緯、こめられた意味があります。で、それぞれの時代にフィットした言葉が、おそらくは「もっとも敏感な人」によってつくられ使われ、それを広めていこうという運動があったりする。で、さらにその言葉への当事者からの反応があったりして、言葉についての論議が起こる。そうしてその言葉への意味が深まっていく。わたしはそのことを、特に悪いとは思いません。
で、記事の中にあるこのマトリックスについて、なんか、とても興味深いものを感じました。
ここで「一般の人」と「当事者」が同じところに位置づいています。この「当事者」って誰のことだろうってことです。
たぶんこの記事の中の「当事者」は「一般の当事者(笑)」なんだろなと推測されます。というのは、記事の中で「現場にいる外国にルーツを持つ子どもたち」って書いてあるからです。
最初にも書いたように、たとえ当事者であっても、その人の立ち位置で呼称は変わる。その時に大切なのは「選択肢」なんですよね。で、何が問題かというと、実は「当事者」の中には「一般の当事者」と「一周まわってきた当事者」がいる。もう少し簡単に言うなら、「選択肢の少ない当事者」と「選択肢の多い当事者」がいる。で、このマトリックスの「当事者」はその両者が軸上の同じところにあるんです。で、これがおもしろい。
なぜなら、おそらくは「関係者が使用する呼び方」は、そこにポリティカルコレクトが含意されている。てことは、「当事者/一般の人」にはポリティカルコレクトがないってことなんですよね。しかも、「当事者」の中にはポリティカルコレクトがない人と、ポリティカルコレクトを知ったうえでアイデンティティポリティクスとして、あえてその言葉を選択している人間が混在している。
ちなみに、「当事者」の中にも「関係者」がいて、きっとその人は「当事者枠」には入らない。というか、人によっては「ポリティカルコレクトの番人」になる人もいたりする。でも、「脱ポリティカルコレクト」になった時、再び「当事者」になる(笑)。
おもしろい。
変化する
昨日のお座敷の記事がとある新聞に載ったことをfacebookで知ったのですが…。なんか、複雑な気持ちになりました。その記事はこれです。
もちろん記事にしてもらえるのはありがたいです。でも、わたしが一番伝えたかったことが、この記事では伝わらない。
わたしは「理解」なんて求めてないです。また「一番の話し相手」とは言ってないです。「一番最初の話し相手」とは言いましたけどね。
タイトルだけでも違います。
中身も、もちろんしんどい状況におかれている子どもの姿は伝えました。でも、それは交流会の必要性や、そもそもこういう学習会をするのはなぜかという前提としてでしかありません。で、それをどう分析するかって話なんです。で、わたしが一番伝えたかったのは「社会の枠組みが子どもたちをしんどくさせている。だから、社会の枠組みを変えなきゃならない」だったのです。でも、そこのところが見事に抜けている。
これ、何が困るかというと、ひとつはこの記事を読んだ人が「ああ、理解してあげなきゃならないかわいそうな子どもたちなんだ」っていうふうになってしまうこと。そしてもうひとつは、「いつきの主張はそういうことなんだ」って誤解されてしまうこと。
それからもうひとつ。記事の中に「性別転換手術を受けた経験を踏まえて」って書いてあるけど、わたしは自分のことはまったく話してない。それは、当事者性に依拠しないことが必要だと思っているからです。しかも、用語も間違ってるし。で、これを書かれてしまうと、まるでわたしがGID的な立ち位置で話したように思われてしまう。
とにかく、これほどまでに話の内容が変化するんだなと。なんか、伝言ゲームみたいだな…。
バレンタインうどん!
朝、目は覚めたものの身体が動きません。なので、9時すぎまでおふとんの中でダラダラ。そこからやっと起き出して、コーヒーなどいただきながら、しばしおしゃべり。ちなみに、K野さんは朝早く仕事に行かれたみたいです。えらいなぁ…。
で、今日の昼ごはんは大島屋です。このお店は無塩のわかめうどんがウリらしいですが、今日はなんと「バレンタインうどん」を食べさせてくれるとか。練りこんであるものはカカオとシナモンらしいです。
で、出てきたのはこれ。
ハート型のものは、なんとクッキーです。ちなみに、上の子どもは「葛根湯を食べてるみたい」って言ってましたが、なんか、慣れてくると「これはこれでアリだな」と思えてしまうんですね。でも、このお店、春になると桜の花びらを練り込んだうどんが食べられるそうな。それは食べたいなぁ…。
てことで、駅まで送ってもらって、あとはバスに乗って、家に着いたら6時過ぎ。
ハードな3日間が終わりました。でもま、なかなか楽しかったな(^^)。