で、反省会。
やはり楽しい(笑)。
何が楽しいのかわからなかったんだけど、帰りの電車でYき姐と話をしていてわかってきたことは「人の悪口がない」「人のうわさ話がない」というあたりかなぁ。そこにいる人の話は、もちろんします。もちろん「指摘」もあるけど、たぶんそんなに悪意は込められない。そして、そんな対話を通して、その人のそれまで知らなかったことがあらわになっていく。そのことを通して、その人との距離が少し縮まる。そういう飲み会なんですね。
そりゃ楽しいに決まってます(笑)。
にしても、みんなしんどそう。まぁ、話をしたあとというのもあるだろうし、この日のダメージが残っている人もいたりするし。
ということで、7時半におひらき。
今日は早く帰れるな。明日のダメージは少ないぞo(^^)o
日: 2016年8月29日
リビングライブラリ・第一弾
今日は職場の研修の日です。
午前は保健部研修会。なかなか「役に立つ」話が展開されます。なかでも、スクールカウンターの話がおもしろかった。「発達に凸凹があることそのものが診断されるのではなく、そこに生きづらさがある時に診断がくだされる」って話は、まんま、DSM-IIIでの同性愛だし、DSM-5のgender dysphoriaです。こうやって脱病理化されていくんだなぁ…。そしてもうひとつ「診断をするのは医者」というひとことです。ともすれば、「あいつ、あてはまる。きっとあいつはそうに違いない」などという、なかばうわさ話的というか悪口的というか、そういうことが起こりかねないことへの牽制球なんでしょうね。
で、午後は教職員対象のリビングライブラリです。今回本になってくださるのは7人。中には、はじめての人もおられます。どんな感じになるんだろ。
第1セッションの様子を見に行くと、ちょいと固さが見られる「本」がおられます。まぁ、「温まってない」ということもあるかもしれないけど、聞く側の姿勢もあるかもしれません。教職員、とくに教員って、自分が話するのは慣れていて、しかもその話の中身は「自分の話」ではない「正しい話(笑)」です。そういう人種が人の話を聞く時の姿勢は何種類かあるだろうけど、もしかしたら「正しさ」のようなものを念頭に置いて話を聞く人がいるのかなとか思いました。言い換えるなら「差別の現実に深く学ぶ」姿勢がないというか。自分の枠組みで相手を「理解」しようとする感じ?こういう人にあたっちゃうと、しかもそれがリビングライブラリのように少人数の場合は目立つのでしんどいだろうな。
ということで、第2セッションの前に、固さの見られた「本」の「読者」に「語ることの困難さ」について、少し話をしておきました。
第2セッションでは、「本」と「読者」の相互行為もあってか、かなり楽になったみたいです。よかった。終わってから「読者」に「どうでした?」と聞くと「あんな話をよくしてくれました」と感動しておられました。
わたしにとっても、しんどさと楽しさが入り混じるリビングライブラリでした。