「おっちゃん」という存在

今日はダメダメ先輩と河原で焼肉(笑)。とはいえ、場所探しに難航。ちょうど日陰になる木を見つけたので「ここにするか」と陣取ったのですが、まもなく小学生ギャルがふたり登場。こちらに敵意むき出しの目線を送ってきます。
はじめのうちは木の向こうにいたのが、少しずつ気に近づき、最後は木登りをはじめました。
うーん、あの子らのテリトリーを侵略したか?
と、そこに「おっちゃん」登場。
すると、ギャルふたりがいきなり元気になりました。
「おっちゃん、ロープ投げて!」
「おっちゃん、ブランコ!」
「おっちゃん、食べ物ないん!」
おっちゃんは「待て待て」とか言いながら、ハンモックをつりはじめておられます。
いったいなんなんだ?
でも、だんだん「これはすごいもん見てるんじゃないか?」と。思わず、焼き鳥が5串あったので、みんなで一本ずつわけわけして、少し仲間に入れてもらったり。

あとで聞くと、ギャルふたりは6年生だとか。他にもいっぱい小学生が「木」で遊ぶんだとか。
おっちゃん曰く。
「中学生になったらふたりとも来んようになるわ」
と。
「でも、また他の小学生が来んねん」
と。
別に寂しそうな感じはないです。
「おっちゃん」は、学童なんかをやってるわけでもなく、単に公園で子どもたちと遊ぶだけ。でも、子どもたちのことを把握しておられるんですね。そして、子どもの姿の向こうに親の姿もまた見てる。たぶん子どもたちも「不思議」とも思わず、単に楽しむだけ。
子どもたちにとっては、おそらくは人生のひとつの時期を一緒に過ごし、やがては離れていく。そして、忘れる。
単にそれだけなんだけど、横で見てると、なんとも不思議で印象深い存在なんですよね。
にしても、あの「おっちゃん」はなんなんだろう。なにが「おっちゃん」を生み出し、なにが「子ども」を生み出すんだろう。
やはり謎は深まります。それをメランコリックに見るのか、時代や状況の分析まで持っていくのか。問われますね。