なんでこうなるんだろ

ヘイトスピーチ対策法案」が、全会一致で参院法務委員会を通りました。ほんの少しだけではあるけどカウンターに参加したりしてきたわたしとしては、やはりうれしい気持ちはあります。が、やはり釈然としない。それは、あまりにも「小出しにしてる感」があるからです。
特例法もそうだけど、とにかく、できるだけハードルをあげることで、その法律の適用範囲を極端に狭めるようにしているとしか考えられない。
今回の対策法案への問題点はすでにあちこちで論議されているけど、ものすごく簡単に言えば、在特会が勢いづいた最初のきっかけとなった、蕨での「カルデロンさん一家」へのヘイトスピーチは対象外です。あるいは、水平社博物館へのヘイトスピーチも対象外です。まぁ、附帯決議をつけることで、そこを少しは回避しようとしてるみたいですけどね。
でも、なぜこうやって、極力適用範囲を狭めようとするのか。
与党は「表現の自由」とか言ってるけど、「「放送」や「教員」への表現の自由は規制している/しようとしているお前らがどの口でそない言うてるねん」と思うのは、きっとわたしだけではないと思うのです。
にもかかわらず、適用範囲を狭める。
たぶん、ほんとうはこんな法律つくりたくないんです。でも、外圧(人種差別撤廃条約)と事実(ヘイトスピーチ)の前でつくらざるを得ない。単にそれだけのことのように思います。
今回の「ヘイトスピーチ対策法案」に、果たしてどれだけの当事者が呼ばれて参考意見を言ったのか。そんな機会をつくったのか。そもそも聞く気があったのか。
ここでも「Nothing About Us Without Us」の精神が無視されている。

で…。
このことで、またまた当事者が悩まなくちゃならなくなる。
その悩みは、法案をつくった与党の悩み、イコール「どのように骨抜きにするか」とは質の異なる、身を切るような、痛みを伴う悩みです。
かつて、その痛みは、わたしたちトランスが味わってきた。そんな痛みに無頓着な「マジョリティ」のありようは、なにも変わっていない。