予想通り→よくぞここまで

案の定、今朝はメッチャしんどいです。なので、少し遅い電車で行くことにしました。でも、やはり眠い。授業中も眠い。会議中も眠い。そんな一日でした。

でも、印象的なことがひとつ。
昨日の飲み会で、「いつきさんの勤務校、ほんとうによくなったね」と言ってもらったのですが、そしてそれはとてもうれしいわけですが、なんとも言えない釈然としないところもあったりするのです。それは、「どこを見て/なにをもって「よくなった」と評価するか」なんです。
通学マナーがよくなった?人の話を聞けるようになった?クラブ加入率があがった?たしかにいずれも評価軸ではあるし、もちろんこれらをもって「よくなった」はありだと思います。でも、わたしの評価軸は違います。わたしの評価軸は「正当な主張ができるようになりつつある」です。
ここにはふたつのハードルがあります。ひとつは「主張ができるかどうか」です。ヘタレの子どもには多いのは、群衆のひとりとしての声は大きいけど、みんなの前ではしゃべれない。つまり「主張ができない」。そしてもうひとつは「文句」や「わがまま」ではなく「正当な主張」であることです。
今日は生徒会選挙の立会演説会だったのですが…。去年の前期までは放送でやってました。でも、後期は体育館でやってみた。すると、できた。数年前では考えられなかったことです。
じゃ、なぜ変わったか。
その遠因は「考える」ことと「決める」こと、そして「実現すること」を生徒会に要求し続けたからだと思っています。そうした態度が先輩から後輩へと伝えられる中で、世代をまたがって成長していった中に、今の姿がある。
そんな生徒会の子どもたちの姿を見るのは、ほんとうにうれしかったです。
たしかに「よくなった」です。
さて。わたしたちは、子どもたちがつきつけてくる「正当な主張」に応えることができるだろうか。これが「よくなった学校」の教員に突きつけられる課題です。