玖伊屋の朝は、完全にクズです。
とりあえず「ほろよい」が飲みたかったけどなかったので、仕方なくモーニングビール。でも、さすがにハードです。そんな時目に入ったのは赤ワイン。アカンと思いながらも、つい飲んじゃいました。
で、11時くらいまでダラダラしてたけど、このままではどうしようもないので、片づけ開始。みんなでバタバタやったら、なんとか1時にはならないくらいの時間には片づけ終了。
その後、おたふくへ。なんだかんだとしゃべっていたけど、気がついたら寝てました(笑)。
なんか、焼酎ばかり飲んでたらしんどいなぁ…。温かいものがほしいなぁ…。ラーメン?と思ったけど、それよりもしんどさが勝ちました。はやくおふとん入りたい。
てことで、バスに乗って…。で、ここでも延々と論議があったりして。さらにバス停でも論議があったりして。30分ほど寒空で話し合って解散。
お風呂に入って身体を温めたところで限界が来ました。もう寝よう。8時か…。けっこう寝られるな(笑)。
月: 2016年1月
玖伊屋だな
今日の昼間は某在日外国人教育関係の会議です。午前の会議と午後の会議を無事終えて、いったん飲み会(笑)。
で、飲み会を中座して、別の場所でサシ呑み。それにしても、まずいビールを呑んだあとのちゃんとしたビールと赤ワインはうれしいな。心が洗われるようです。
で、玖伊屋の会場へ。すでに会場は思いっきり温まってます。とりあえず、あわてて白菜を切るなど。まぁ、今日のメニューはピェンローですから、楽といえば楽です。が、干ししいたけがもどしきれてない。
「軸のところがまだ固い」
って言われたので
「それ、アルデンテ」
とか言ってごまかしておきました。
そんなこんなで、「歴史の重要性」みたいなことを熱く語ったりして、何時まで遊んでいたんだろ。最後はゼンマイが切れたみたいに横になった瞬間に爆睡です。
まぁ、なにがなんということもなく
とにかく仕事がたまっています。それも、けっこう大きめかな。
例えば、2学期にとった「授業アンケート」のまとめ。まぁ、わたしは1クラスだけだから、楽といえば楽です。というか、若い同僚がマークシートリーダー使って集計してくれたから、それを使えば簡単っちゃぁ簡単です。ちなみにその同僚
「すごいですね!めちゃくちゃいい結果ですよ」
って言ってました。そりゃそうだ。こういうものは「子どもたちががんばるといい結果が出てくる」ものなんですよね。だから
「そりゃ、あのクラスだから(笑)」
と言っておきました。まぁあえていうなら、そういう子どもたちとわたしが共鳴したんでしょうね。
てことがあったり、来年度のホームルーム計画を立てたり、はたまたおべんきょ関係の書類をつくったり、英文の「フォーム」に記入しなくちゃならなかったり。
どれからどうやっていいのかわからないので、とにかく順番を考えずに〆切が早いものから着手をして、一日ごそごそやっていました。そしたら、まぁ、それなりのところまでいけたかもしれないような気がしました。
なるほど、こんなものか…。
帰りに明日の玖伊屋の買い出しなんかもして。
大阪では「ヘイトスピーチ抑止条例」が可決されたみたいです。よかった。というか、これを否決するなんていうことがあったら「ヘイトスピーチはかまわない」ということを、市として認めることになるわけだから、アカンやろうとは思いますが、「反対」にまわった自民党がいるわけで、もう、どうしようもない人々だなと思ったり。
はたまた、バルス祭もあったみたいで、それはそれ。
そんな感じで一日終了。
セーフと参加、参加とセーフ
今日は最後のp4cの日です。これまで1年間p4cをリードしてくれたFぁよんさんと、いろいろ打ちあわせ。
F「今回は最後なので、「友だち同士」じゃない2つのグループにして、そのかわりみんなが興味を持つ話題でやってみたいと思っています」
I「でも、みんな「話題」の問題じゃなくて、「メンバー」の問題って言ってるよ」
F「あーそうでしたねぇ。じゃぁ、友だち同士にしてみますか…」
I「うーん、でも最後だしなぁ。どうする?無難に行くか、攻めてみるか…」
F「そうですねぇ…」
I「やっぱ最後だし、攻めてみるか」
F「そうですね。攻めましょう」
てことで、グループはくじ引きで、話題は「最近気になったこと」を出し合うということになりました。やはり、ものすごい緊張です。でも、笑顔(笑)。
はじめにFぁよんさんがこれまで半年やってきた中身を再度説明。そして、わたしからもp4cへの思いを少し語りました。
なぜ、この「考える」って言う授業をしてきたか。それは、「不思議」って思うことを考えてほしいと思ったから。そして、それはひとりでやるものじゃなくて、誰かとやるものだっていうことを知ってほしいと思ったから。
例えば、わたしは数学の授業をやってる時、生徒が「わからない」と言ったとする。そしたら「なぜわからないんだろう」と思う。そして、その「わからない」ということの答を知っているのは「「わからない」と言った生徒」だから、どこがわからないのかを教えてもらう。そうやって、生徒から教えてもらうことで「教え方」を考えてきた。わたしは、ひとりで考えるんじゃなくて、生徒達と考えてきた。君たちに教えてもらったんだ。
確かに「話しやすいメンバー」だと楽だね。だって、「○○だよね」「そうそうそう」で話が通じるから。でも、こんな実験がある。白人ばかりのグループと、白人・黒人・ヒスパニック・アジアといったさまざまな人がいるグループで同じテーマについて論議させたら、さまざまな人がいるグループの方がよりクリエイティブな討論ができたんだよね。つまり、「異なる視点」があることが、より考えを深めることになるんだ。だから、「話しやすいメンバー」ばかりと話していたのではダメなんだ。もちろんしんどいよ。でも、そのしんどさの先に、クリエイティブな論議がある。
だからね。これが最後。あと80分でこの授業は終わる。この80分間、一度「わたしがやりたい」と思ってみたことにつきあってみて。子どもの頃に感じた「なぜだろう」という気持ちを思いだして、子どもに返ったつもりでつきあってほしい。
さてと、どうなるかな。
みんなで出し合った「最近気になること」。「お金はなぜ減るのだろう」「どうせ死ぬのになぜ生きているのだろう」「スマップの解散」「ベッキーの不倫」「なぜぷにゅぷにゅのおなかは人気があるのか」といった「気になること」が出て、多数決。そして、コミュニティボールを使って話しあい。今日はなんかみんな話をしてくれます。誰も「別に」とか「わからん」とか言いません。すると、話が深まっていく。深まっていくと、みんなの表情に変化がでてきます。わからない時は「わからない」という顔。おもしろい時は笑顔。「変だ」と思った時は「変だ」という顔。表情がくるくる変わっていく。
そして、結局80分。話題を変えながらも最後までみんなで話ができました。感想を見たら「今日はおもしろかった」と書いてくれた子がたくさんいました。
きっと、みんな「いつきちゃんがああ言ってるんだから、最後ぐらいつきあってやるか」って思ってくれたんだろうな。そして、つきあってみたら、案外おもしろかった。きっとそんなもんだと思うんです。
でも、そこからわかったこと。
Fぁよんさんもわたしも、「セーフな空間」をつくろうと思ってきた。でも、それは「話しやすいメンバー」としかつくれなかった。だからみんな参加できなかった。でも、そうじゃなかったんだ。「参加すること」を通して「セーフな空間」がつくられるんだ。順番が逆だったんだ。
最後の最後。もうこの授業はありません。が、ひとつ大切なことに気づけた気がしました。また、そのうちやりたいな…。
思考がたりない
夏ごろからこっち、大切だけど、でもそれだけに大きな仕事を入れてしまい、そのために年末までいろんなものごとがストップしていました。年が明けて、ようやく「次」へと向かう時間ができたのですが、そのために必要なペーパーが書けません。
このペーパー、ある程度考えがまとまってないと書けないんです。「AはCなはず。その間を埋めるためにはBが必要で、それをやります」ってペーパーです。でも、たぶんAもCもまとまっていない。いや、漠然とはあるんだけど、すべてがあやふや。なので、いざ文字にしようとするととまってしまう。きっと自分の中でまとまるところまで行ってないんですよね。たぶん、キーワードが見つかっていない。
焦ります。でも、焦るとますます書けなくなる。時間だけが過ぎていきます。マジでヤバいです。
コミュニケーション能力?
今日は午後から出張、会議でした。
そこで考えたこと。
なんか、最近の就職試験ではコミュニケーション能力が重視されるらしいです。なるほど、なんとなくわからないわけでもない。てか、最近なんてことは言わなくても、例えば「気が利く」なーんてことは昔から言われてたし、そんなのも、一種のコミュニケーション能力なのかな。で、たしかに最低限のコミュニケーション能力があったほうが、たぶん楽なんでしょうね。「きちんと受け答えができる」とか「考えたことをきちんと話してくれる」とか。逆に「何を考えてるかわからない」「こちらが言ったことに対してどう反応してくるかわからない」なんていうのはキツイのかな。
でも、そんな話を聞いているうちに、だんだん嫌気がさしてきました。なんか、「住みにくい世の中になってきたなー」と。そりゃ、「診断されないアスペルガー」が増えるわけです。
コミュニケーションなんてとれなくていいじゃん。大切なのは、必要なことが伝わることで、それはコミュニケーション能力の問題じゃなくてコミュニケーション方法の問題なんじゃないか?で、コミュニケーションとりたいと思う人が、相手にふさわしいコミュニケーションの方法を考えればいい。たぶんそれを「合理的配慮」っていうのかな。まぁ、そんなことを言わなくても、
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」
って言いますからね。
例えば、会話のやりとりが苦手な人ならメールやチャットでやりとりすればいい。逆に履歴が残っていいかもしれない。こちらがいうことに的確に答えてもらえないなら、チェックリストを用意すればいい。そしたら、漏れが減ってかえっていいかもしれない。というより、チェックリストをつくる過程で、チェックリストをつくる側がいろんなことを考えられる。
なんか、そんなこんなの工夫をすっぽかして、コミュニケーション能力という、ある種あいまいなところに依拠するのはあかんのとちがうかなぁ。
というか、もっと言うなら、きちんとやりとりができるヤツなんてつまらないです。予想に反する反応が返ってきた時の驚きからものごとが生み出される。こちらが「どうコミュニケーションをとればいい?」と考えるところにこそ発見がある。
根底にあるのは同化主義。それを担保するのは単一民族主義。
なんてことを考えてたんだけど、たぶん、そこにいた人々、けっこうコミュニケーション能力高そうな「いい人」っぽかったので、まぁ、こんな話は通じないだろうなぁとか思ってました(笑)。
これがスキー・雪と氷の世界(3日目)
今日は3日間の最終日。一昨日きのうは個々の技術の習得が目標でした。でも、スキーの目標は技術ではありません。自分の持っている技術を使って、目の前の斜面を安全に楽しく滑るのが目標です。そして、それは誰もができること。でも、技術が増えれば増えるほど選択肢が広がる。まぁ、人権と同じですね(笑)。
てことで、今日のテーマは「いかにしてこの斜面を楽しむか」です。
まずは斜面を読みます。斜度やねじれ、幅や長さ。さらには雪質。これらによって使う技術は変わります。また、選択肢が複数あれば、技術によって楽しみ方は変わります。
最近はどんな斜面でもひとつの技術(カービング)で滑る人が多いように思います。でも、それは楽しみ方のひとつでしかない。スキーの奥の深さは、それとは違うところにもあるはずです。踏みつけ踏みけりを使ったパラレル。伸身・ベンディングのパラレル。ウェーデルン。ジャンプ。ウェーデルンもフォールラインにからむか斜行するか。パラレルも深さを変えると変わります。
てことで「この斜面、3つの技術を使って滑ってください」とか、「次のトレイン、技術を変えながら滑るのでついてきてください」とかやりながら、いろんな滑りをしました。
で、〆。
「ひとつの斜面でも滑り方を変えたら異なる楽しさがあります。だから、その斜面の楽しさをしゃぶりつくしてください」
たぶん、わたしはそういう生き方をしてるんだろな…。
ウェーデルンな1日→まさか?・雪と氷の世界(2日目)
今回のみなさん、うまいんだけど、実は欠点があります。というか、ありがちな欠点ですが、急斜面では暴走するってことです。それが顕著にあらわれるのがウェーデルン。ちなみに、ウェーデルンと小回りは違うみたいです。最近「ウェーデルン」なんて言葉を使う人が少なくなったので両者が同じに思えるようになってるんですけどね。簡単に言うなら、急斜面や不整地でも使いやすいのがウェーデルンですね(笑)。
で、急斜面とそれ以外の斜面の違いは何かというと、エッジングの強さです。でも、この違いが大きい。というのは、強いエッジングをするためには、姿勢はもちろん、それをつくるためのストックワークや、エッジングのための足首の使い方など、いろんなことが関連してきます。それらをどうやって身につけてもらうか。
まずは緩斜面での直滑降をしながらのストックワークです。これが左右均等な人はとても少ない。たいてい突く位置や突き方にバラツキがあります。さらに、適切な長さのストックでないとやりにくい。おそらくストックワークをあまり重視しない今日日の滑り方とはずいぶん違います。
ストックワークが安定すると上体が安定します。そこから「乗る位置」の練習です。一本の棒があったとして、重心位置で支えると回転させるのにほとんど力はいりません。ところが、そこをはずすと、棒を支える力は必要だし、モーメントの関係でまわすための力も余計に必要になります。スキーも同じです。スキーの真ん中に乗ると意外と力はいらない。ところが「スキーの真ん中ってどこやねん?」って話です。たぶん、これ、誤解がある。たぶんスキーの中心は拇指球じゃなくて、拇指球と土踏まずの間にある。で、そこは少し膝を曲げた時の身体の軸と一致している。そこに乗ると、ビックリするほどスキーは自由に動きます。なので、まずは「そこ」を探るところからはじめて、そこに乗ってスキーを操作することの練習です。
そして、最後はエッジングの練習です。みなさん、なかなかエッジングを短時間にバシッと決められない。ダラッとエッジに乗って流れてしまったり、はたまたエッジに乗りすぎて暴走してしまったり。スパッとエッジを決めて速やかに解放して、次のエッジをスパッと決めるのは、これまたたいへんです。そこで、ホッケーストップなんかをやりながらエッジングの練習。
そんなこんなで、1日ウェーデルンの練習をすると、ずいぶんとコントロールされたウェーデルンになりました。
パプニングは夜にありました。
「センセイが主役の映画があるんですね?どんなんですか?」
「へ?どこで…」
「十三で」
なんでも、見ようと思ったけど、バタバタしているうちに上映期間が終わってしまったとか^^;;。
まいったな。ここでカミングアウトすることになるとは。でもま、ええか。
ほんのさわりだけだけど、上映会をしたりして。こうやって、「いつきの世界」は広がっていきます。
曲げ代と伸び代・雪と氷の世界(1日目)
これから3日間、上級者のレッスンです。
はっきり言って、難しいです。だって、初級者とか中級者なら「新たな技術の習得」が目標になるけど、上級者となると、一通りなんでもできるわけで、そんな目標はありません。どちらかというと、技術を洗練させることが目標になります。でも、それをしながら、お客さんが「獲得した」という実感を得てくれないといけない。それが難しい。しかも、3日間。長丁場です。
てことで、今日の目標は「高い姿勢」です。
最近のスキーの流行はカービングです。姿勢は低く見えます。でも、実際は違う。というか、「目に見える高さ」と「姿勢としての高さ」は違います。「姿勢としての高さ」には脚部の「曲げ代」と「伸び代」がある。これが姿勢が低くなってしまうと、一番大切なのな「曲げ代」がなくなってしまいます。そうすると脚部を「伸ばす」以外選択肢がなくなって、それはおそらく後傾へとつながっていく。
姿勢の高さをもたらすのは、腰の位置です。いかにして腰を高く保つか。これを言い換えると、「脚を長く使う」という感じかな。「脚が長い」とてこの原理でスキーに伝わる力が小さい力で大きく伝わります。
てことで、ひたすら高い姿勢を求めて、いろんな練習。さらにはその姿勢のままで脚を左右に振って、エッジを立てる練習。そんなことをする1日でした。
しかし、「曲げ代」とか「伸び代」とか。はたまた「腰の位置」とかなんとか。「ものを考える」時にも使えそうだな…。
大切なことを忘れて、雪と氷の世界へ
いよいよ今日から最後の決戦がはじまります。泣いても笑っても、約2ヶ月。その先には、ヤツらの結果が待っています。
セレモニーを終えて、いきなり授業。ま、わたしは週明けの試験勉強をさせたわけですがね。にしても、みんな、見事に忘れてますねー。数学なんてのは、常に触り続けてナンボです。それを怠ったらえらいことになるのです。だからこその「冬休みの友」なんだけどね。
仕事を終えたら、さて出発。こないだ「来てくれ」って言われたから、まぁ行こうかなと。
ところが、約3時間ほど走って休憩して、メール見ると
「先生、忘れてませんよね」
とのメールが入ってました。
「あ!」
瞬間心臓が止まるかと思いました。今日は放送部の卒業生たちとの新年会です。でも、すでに長野県。平謝りに謝る以外ないな(;_;)。
てことで、10時すぎに到着。
さて、3日間、がんばるか…。