家に帰って新聞を見たら、こんな記事が…。
「(世界発2016)体と心の性不一致、米で高まる関心 「トランスジェンダー」著名人ら公表」
なるほどなぁ。かの国では、そういう感じなんだ…。翻って、日本は…。どうも同じような感じってのがない。なんでだろ…。
歴史に求めるのもひとつの解でしょう。あるいは、「病理化することによって」というのも、またひとつの解かな。人権教育の広まり?あるいはマスコミの影響?
でも、「フツーの人」にとっては、もしかして「関係ない」からなのかも…。つまり、トランスジェンダーの存在によって、どの程度自分の日常がおびやかされるか。
それが端的にあらわれるのが、もしかしたら更衣室・トイレ・公衆浴場問題なのかな。日常がおびやかされると感じる。
逆におびやかされない範囲であれば「どうぞ、お好きに。みんな違ってみんないい」となる。冷たい優しさ?