人のことは言えないけど

今日は散々な一日でした。なんか、いろんなところから「あれはまだか」「これはどうした」「これやって」「あれやって」とせっつかれまくり。しかも、別にそれ、わたしの本来の仕事とちゃうし。わたしも、日によってはほとんど限界のところで生活してるから、そこにほんの小さなものでも積み重なった時、あっけなくひっくり返ってしまいます。

なんか、たぶん、人にものを頼むって、簡単なんです。例えば「これ、調べて」「これ、翻訳して」「こんなの、できない?」。すべてワンセンテンスです。でも、それにこたえるためには「考え」「調べ」「整理し」「返す」といった、いくつものステップを踏まねばなりません。考えたり整理したりするためには脳みそのリソースを使います。調べたり返したりするためには時間のリソースを使います。つまり、それなりの労力を使います。そして、それがいくつか集まると、それなりに大きなリソースを必要とします。
ところが、「気軽に頼む人」は、たぶんそれを簡単なことと思っている。まぁ「できるだろう」と思っているんでしょうね。そして、たぶんさらに、その人にものを頼んでいるのは「自分だけ」と思ってる。だから「これくらいできるだろう」と思っている。だから、気軽に頼める。
ところが、そんな依頼がいくつか集まると、「なんなんだ!これは!」となってしまう。わたしにはわたしのやらなきゃならないことがあって、そのリソースを割いてそれをしなきゃならないのに、そこへの「申し訳なさ」がないと、ほんとうにイヤになってきます。

ちなみに、頼まれてもイヤな気持ちにならないこともあります。それはどんな時かというと、人にものを頼んだ時、相手がそれに対してどれほどのリソースを使っているかがわかっている人からの依頼です。
たぶんそういう人は、ものを頼む前にずいぶんと考え、調べ、整理をしている。つまり、リソースを使っている。そのうえで、やはりどうしようもないから頼む。すると、こちらのリソースの使い方はずいぶんと軽減されます。そしてなにより、「頼まれる側」のリソースを使わせることへの申し訳なさがにじみ出ています。例えばそれは言葉の選択であったり、文章の構成であったり、その他さまざまなところに出てきます。そういうものを受けとると「あー、こたえよう」という気になる。

もちろん、わたしもずいぶんと人にものを頼む人です。なぜなら、わたしひとりでできることはたかが知れているからです。人に頼まないと動かない。そんなことをたくさんしているからです。
せめて、頼まれた人が「いいよ」と快く引き受けてくれる頼み方をしなきゃなと、あらためて思います。