今日もいろいろあったけど…。ふと思ったこと。
今の若い教員、ほんとうに優秀です。みんな仕事を積極的にやるし、きちんとこなす。生徒に対してもきちんと話をして指導ができる。わたしの新採の頃とは大違いです。てか、今も指導できないか(笑)。
でも、ふと思いました。この人たち、失敗経験してないのかもしれない。
わたしはかつていっぱい失敗をしました。それは、例えば生徒とのつながりをつくりきれずに、生徒がいうことを聞かなくなって、結局やめてしまうみたいなことも含めてです。そういう生徒たちとの「わかれ」の上に、今の自分のやり方があるような気がします。それに対して、今の若い教員って、そういう失敗をしているだろうか。例えば、今って、生徒とのつながりをつくりきれずに、生徒がいうことを聞かなくなった時、「進路変更」というものをちらつかせてしまう。でもそうすると、例えばやめちゃったとしても、それは失敗にカウントされなくなってしまう。
これ、失敗にカウントしない時とカウントする時では、どう違いが出てくるのか。
例えば、わたしはいままで担任したクラスで、何人かやめていった子らがいます。「いうことを聞かなかった」からです。だから、「いう」のをやめて「聞く」ことにした。「傾聴」ってヤツです。それをしはじめてからは、生徒はやめなくなったし、おとなしくなった。「失敗」は、たしかに「その生徒」に対しては取り返しのつかないことではあります。でも、「その生徒」は、わたしを育ててくれた。そして、「次の生徒」を救ったのかもしれない。でも、あの時あれを失敗にカウントしてなかったら…。たぶん「いうことを聞かなかった」から、次はもっと「いうことを聞くようにする」としか考えなかっただろうな。もしかしたらそのことで「説諭」の力は上がったかもしれない。でも、「説諭」ではどうしようもない子どももいます。そうした子どもに対応できる力は、きっと育たなかった。
ひとつの力を強めていくのも成長かもしれない。でも、少なくとも教員をやっている限り「手数を増やす」ことが成長だと思うのですが…。
> 「失敗」は、たしかに「その生徒」に対しては取り返しのつかないことではあります。
> でも、「その生徒」は、わたしを育ててくれた。
> そして、「次の生徒」を救ったのかもしれない。
「教員」を「外科医」
「生徒」を「患者」に置き換えると
昔のS玉をうまく表現できるかも知れません。
良くも悪くも牧歌的な時代でした。
「良くも悪くも」…。
元の文章も含めて、本当にその通りですね。