唯一の休み

昨日は「どうやったら痛みがなくなるだろう」と苦心惨憺していましたが、今朝は目が覚めると痛みが見事に引いてました。これはラッキー。
ということで、やらなきゃならないパソコン仕事がいっぱいあるので、そいつをこなすことにしました。法務省のサイトに行ってデータを引っ張ってきて、パチパチうって…?あれ?順番が違う…。そうか、多いもの順で入れ替えてるのか。めんどくさい…。
と、ボチボチと張ってきました。痛い…。とりあえず横になろう。そんなのの繰り返し。
5時になったところで、もうやるのが嫌になったのでやんぺやんぺ。
あとは身体を休めよう。
って、ぜんぜん休みじゃないじゃん^^;;

日常へ

朝起きて、さてどうするか。別室に移るか、先に朝ごはんが。思案のしどころだけど、常に「攻め」で行くためには、まずは移動ですな。
よろよろ起きあがって移動開始。ちょいとブラックアウトしかかったけど、無事移動終了。そのあと朝ごはん。豪華ー*1

おいしくいただいて、しばし休憩。
で、ガンガン管を抜きまくってお外へ。
今回はA久○さんは来ないけど、これまたひとりで帰ろうかと。
新幹線→地下鉄と乗り継いで、子どもが迎えに来てくれて、無事おうちへ。
家に帰ってメールを見たら、山のように来てます。まいったな(;_;)。

あ!今日は七夕かぁ(^^)。

*1:当方経験比

で、Yデー

朝ごはんは5時半まで。しっかり食べておきましょう。水分は7時半まで、あまり飲めんな(笑)。
今日は「のぞみ」に乗りました。
で、名古屋で降りて、決戦の時です。
今回はハンコは前についたのでOK。クレカが使えるので楽かな。
服を着替えてマスクをしたらすぐに寝ちゃいました。
昼過ぎに目が覚めて、あとは時間つぶしに本など読んで…。
今回はUさんはいないけど、ひとりにはしないお店なので、退屈もしないし。
夜からは一本管を抜いて、よかったよかった(^^)。

久しぶりは…→ちょっと呑み

朝起きて、窓の外を見ると、川べりです。その風景を見て「あー、ここ、前に泊まったことあるわ」って気づきました。10年以上前のことだけど。
で、朝ごはんを食べに行こうと思ったら、ドアをノックする音が。一緒に泊まった人が誘いに来たのかなと思ったら、ルームサービスでした。うわ、VIP待遇やんけ!

しかし、多いわ^^;;
ごはんを食べたら、しばしベッドに寝転んで仕事をしたりして。
チェックアウトのあとは、散歩兼お買いものです。

午後からはメインイベントのお座敷です。
えーと。こっちのネタは4ヶ月ぶりか…。ヤバイな。覚えてるだろか…。ま、セリフが飛んだ時は飛んだ時のことです。
今日聞いて下さる方々は、仲間の方々なんですよね。だから、どこか安心感がある。安心感があると、ついしゃべりすぎてしまいます。しゃべりすぎてしまうと、笑いの場所は増えるけど、そのぶん時間が長くなって、聞いておられる方も疲れてくる。その塩梅が、久しぶりだとコントロールできません。
それでもみなさん、最後までついてきてくださいました。いや、ほんとにありがたい。今年度最初の「こっちネタ」が、この人たちでよかった…。
ちなみに「あっちネタ」は、なぜか1時間半でおさまるんだよなぁ…。

で、終わってから「外国人教育関係」のお友だちふたりと、軽く総括。去年の夏の大会の話とか、今度の1月に向けた話とか。実は、今日は「呑むな」と言われている日なんですが、まだ時間も早いからちょっとだけ呑むことにしましょうか。
てことで、ビールと日本酒を軽く。せっかくの広島なんで、ここは牡蠣!

いやぁ、おいしいです!
ま、そんなこんなで、6時半には広島を出て、9時前には家に帰っていました。
品行方正や(笑)。

前夜祭

で、新幹線に乗って西へ西へ。到着したのは広島です。
あしたお座敷があるので、今日は前夜祭。連れて行ってもらったお店は、なんか、すごくいいお店です。とにかく素材は新鮮。その素材の味を引き出すべきものは引き出す。手をかけるべきものは手をかける。そういう姿勢が伝わってくるお店です。そして、お酒がおいしい!
もちろんビールはヱビスを含め、各種そろっています。日本酒も地元広島のお酒をきちんと厳選しておいておられます。そしてワイン。
そんなお店で、とにかくあれやこれやと楽しい話や深い話。
楽しい時間があっという間に終わって、宿についたら9時半。うーん、もう少し飲もうかな…。いや、やめとこう。今日はあの店でみなさんと過ごした時間の余韻を楽しむことにしましょう。

ゆるいなぁ

今日は下の子どもの学校の体育祭があるとかで、見物に行くことにしました。
とにかくゆるい。
とにかく「うちの学校は一番自由」ということを自他ともに認める学校です。まぁ、もともと誰かと競ったりする学校じゃないんです。例えば、「○○部の○○君、インターハイ出場!」みたいな垂れ幕はありません。てか、そもそも体育系のクラブはあるのか?かといって
「○○大学○○人合格!」みたいなのもありません。そういうところにはない学校です。でも、とても魅力のある、ある分野に特化した学校なんで、たくさんの生徒が希望をします。そもそも「特色ある学校」なんていわなくても、学校の成り立ちそのものが特色なんです。
街なかにある学校なんで、グラウンドの広さは小学校サイズというか、下手したら幼稚園サイズです。体育祭で描かれてるトラックなんて、スケートのショートトラックくらいのRです。でも、それでいいみたいです。だって、そのトラックをフルスピードで走れる運動神経を持ってるらしい生徒はきっといません(笑)。
でも、例えば「開会式をはじめるよ」というと自然と並ぶ。前で人が話しはじめたら聞く。そんな当たり前のことを当たり前にやるので、「並べ!」「早くしろ!」みたいな注意は一切ありません。体育祭の運営は、すべて生徒です。教員は何をしてるのかと思ったら、写真とってるだけでした(笑)。
うーん。なんか、定年前に最後にこんなところで教員やりたいなぁと、ぼんやりと考えちゃいました。まぁ、いろいろ無理ですが…。

講堂がほしい

今日は数学科の飲み会。お店はみんなの手というカフェです。
ここは、福島からの避難者の人たちのコミュニティで、その活動の一環でカフェをしておられます。
ちなみに、食事はとても安くてしかもおいしい!さらに、8人で行ったけど、飲み放題にするかどうかは個人単位で選べるという、もう、普通では考えられないお店です。
てのはおいときまして…。
当然のことながら、わたしの暴言癖が出てくるわけで、今日の暴言は「体育館を講堂にしよう」です。
うちの職場は体育館が都合3つありまして、それはそれでとても充実しているのですが、全校で落ち着いて座って集まれる場所がない。例えば椅子に座ろうと思うと自分たちで並べなくてはなりません。これ、かなりの労力なので、結局やらないんです。
でも、全校で集まるときに「椅子に座る」ってとても大切なんです。
もちろん、床に直接は非人権的ってのもありますが、それだけでなく、おしゃべりとかもしなくなるし、それに伴って怒られることもなくなって、したがって大きな声で話す必要がなくなって、だから静かな環境を保障できる。すると、すごく落ち着いた雰囲気になる。
ところが、みなさん「そんな、全校で集まる機会って、何回あるねん。それよりは体育館として使ったほうが効率がいい。講堂はムダ」と言われるんですね。
ま、もっともな意見です。でも、そのムダがとても大切なんだと思うのです。キチキチの遊びのない効率的なところと、多少のムダが保障された余裕のあるところ。どちらが子どもたちにとってよりよい環境か。
そう考えると、例えばクラブ指導で土日もすべて詰まってしまっている状態は、子どもたちや教員にとっていいのか?あるいは土曜活用の掛け声のもと、土曜日も授業するって、果たしていいことなのか?
ここで、子どもの権利条約にある「余暇を過ごす権利」を思い出します。

児童の権利に関する条約
第31条
1 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。
2 締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

「余暇」。つまり「余った」「ヒマな時間」を過ごす。いまの学校って、その対極にあるような気がします。「余った」「ヒマ」な時間はムダ。そして、ムダな時間を「有効」に使うべく、クラブや授業を放り込んでいく。
しかし、なぜ「児童の権利に関する条約」では、「余暇を過ごす権利」が必要としたのか。おそらくは、長い人類の歴史の中で、世界中の人の叡智を集める中で「必要」と考えられた。だからこそ、この条文がある。
そう考えた時に、世界の叡智の結集を知らず、自分(たち)の限定された価値観でものごとを考え、判断することの危険性を、強く感じます。

例えば、吹奏楽部が「今度の水曜日の昼休みに講堂で演奏会をしまーす。聞きに来てください!」。そして、講堂からお昼に吹奏楽部の音が漏れてくる。例えば、書道部が「今度の木曜日の昼休み、書道ライブをやりまーす!見に来てください!」。例えば将棋部が「今度の火曜日の放課後、公開で対戦しまーす!対局の解説つきです!」こんなことが、どこかのホールを借りて学校の外であるのではなく、日常的にあることの豊かさ。
「スポーツにしか使えない」体育館よりも、実はるかに豊かなことができると思うんだけどなぁ…。

Tクさんを受け入れてる職場

今日は古くからの友だちのTクさんから頼まれてのお座敷です。ちなみに、試験日程がいきなり動いて真っ青になったのですが、まぁなんとか行くことができた次第で…。ただ、時間的にタイトだったので、車で移動。昼ごはんは学校の近くの「はなまるうどん」で「とろ玉納豆ぶっかけ温」をかきこむと、口の中がネバネバです(笑)。
学校についてTクさんと合流。準備もあるので、会場に入ると、とっても受容的な感じです。
会場の空気ってわかります。例えば、職員同士はとても仲がいいけど話への期待はあまりないとか、会場ではあまり仲がよさそうな感じを見せてくれないとか、いろんな空気があるのですが、今日の人たちは仲のよさにわたしも入れてくれる感じです。これは楽しくなりそうです。
で、お座敷開始。
やはり期待通り、一体感のある感じです。しゃべっていて楽しい。これぞライブです。
で、話し終わっても質問も出てくるし、相談事も出てくるし。そこにいろんな人がかかわっている。
こんな学校なら、生徒も幸せだろうな…。
ま、「あの」Tクさんが「居心地いい」って言ってるんだから、よほど懐の深い職場なんでしょうね。そんなところにひとときではあれ、行けてよかった。
今日は呑めなかったから、また近々呑みましょう。

インタビューとか呑み会とか

今日は卒業生から「インタビューをしたい」と言われたので大阪へ。
とある大学の、とあるサテライト教室に入り、インタビュー開始…。と思いきや、質問項目をプリントアウトしたものを忘れてきて教授にプリントアウトさせる大物卒業生です(笑)。
で、インタビュー開始。
最近インタビューの話もこなくなってきてて、久しぶりです。まぁ、いろんな質問をされて、極力正直に答えていくわけですが…。
たぶん、あかんわ。
いや、「性別違和のある人の生きづらさ」って、そんなことを質問する相手としてわたしを選ぶのはあかんと思います。「生きづらさ」って、「生きづらい状況」の只中にあるときはわからない。それが日常だから、「そんなもん」と思っている。で、後で振り返ると「あー、あれはしんどかったよなぁ」って感じになる。ま、もちろん「生きづらさ」がマシになってるってことが前提ではありますが。

ま、そんなこんなでインタビューを終えて呑み会へ。
いやぁ、センセおもしろい。なんか、いろいろ出てきます。
当事者研究をリサーチしていて」
みたいな話をしたら「久保紘章を入れてくれ」と。この人が「師匠」というなら、きっと面白い人なんだろなって思わせる面白さを持っておられます。
「生きづらさに興味があるのか、その人の生き様に興味があるのか」とか、もう、根幹にかかわる話です。わたしはわたしで、「もうちょっとリサーチしたら」と、えらそうなことを言ってみたり。まぁ、途中から卒業生をふたりで代わる代わるサンドバッグ状態にしちゃいました。
おかげさまで、京阪終電だよ(笑)。

意識化し、分析し、まとめあげ、伝える

最近、少し興味を持って「当事者研究」にかかわる本を読んでいます。そんななかで出会った綾屋紗月さん(と熊谷晋一郎さん)の本
いやぁ、みんなが「すごい!」っていうのがわかります。すごいです。よくぞ自分の中で起こっていることをあそこまで詳細に分析することができるなと。そしてそれを表現できるところがすごい。それも「きちんとした表現」と「わかりやすい表現」と「美しい表現」と。幾通りにも、繰り返し表現される。

でも、読み進みながら、何とも言えないデジャヴ感がありました。なんだろう…。
あぁ!これだ!
それは、わたしが考える授業です。
もちろん綾屋さんとは比べものにならない貧弱なものではありますが、やっていることは似ている。
例えば、ある問題が目の前にあります。
その問題を見るとき、わたしの目はどう動くのか。どこに最初に注目するのか。それはなぜなのか。他の問題はどうだろう。もしも同じならなぜ同じなのか。もしも違うのならなぜ違うのか。そして、同じものはあるのだろうか。
それらをまとめあげていく過程で規則性は見いだせるのか。仮に見出したとして、その規則性を理解するためには、どんなスキルが必要なのか。そのスキルの習得のためにはどんな練習が必要なのか。
そんなことを、いつも考えています。それが、わたしにとっての数学の授業です。

それはスキーも同じです。
ある斜面において、ある技術で滑るとき、自分はどんなバランスをとっているんだろう。そのバランスを支えるための筋肉はどうなっているのか?骨格はどうなっているのか?関節はどうなっているのか?それを常にイメージしています。それは滑る時だけじゃないです。お風呂の中で、あるいは普段歩いているときに。自分の体重は足の裏のどこに何パーセントくらいかかっていて、それを支えるための筋肉の緊張と骨格の方向を意識する。
で、それを伝えるためには、具体的に身体をどう動かす運動を練習課題として提案すればいいのか。もしもそれで伝わらなければ、同じことをもう一回やるのか別のことをやるのか。
それが、わたしにとってのスキーのレッスンです。

数学が解けること、スキーができることと、それを教えることができることは、まったく違います。解けること滑れることは「なんとなく」でいいです。でも、教えるためには「なぜ?」という問いを常に意識し、分析し、まとめあげ、伝えるということをしなくちゃならないと思います。
そうやって生きているわたしの感覚と、綾屋さんの文章に、ほんの少しだけど似てるなって思うところがありました。

まぁ、こんなことは、たぶん「教える者」であれば誰もがやっていることだろうし、偉そうに言う話では、もちろんないです。
でも、誰もがやっていることを意識化し、分析し、まとめあげ、伝えるという…。あり(笑)?