今年最後のお座敷は

朝、とりあえず出勤です。で、赤点とった子らの勉強会。とは言え、勉強するのは子どもたちです。結局「いるだけ」になりました。まぁ、それでいいのです。

で、昼前に職場を出て、大阪府南部へ。途中、無鉄砲で昼ごはん。天一の濃さとはまったく違う濃さにとまどったり…。
で、到着したのは河内長野市です。
今日はここの中学校区の研修会。実は夏に頼まれていたのですが、死にかかった関係で、ここまで伸びてしまいました。にしても、クリスマスイブになってしまい、すみませんすみません。
ちなみに、ここのある学校では、すでにとあるクリニックの臨床心理士Y野さんが来られていてて、いまさらなにをせいと…。でもま、呼んでいただけるなら行かせていただくわけです。
会場の図書室に入ると、みなさんの「仲いい空気」が伝わってきます。これは、笑いがとれたらとてもよくなるな。でも、失敗したら目もあてられんな。
で、話しはじめたら、これがよく笑ってくださいます。これはうれしい!なんか、うれしいとしょーもないネタを振ってしまうわけで、そのネタに反応してもらえたら、またまたネタを振ってしまう。ヤバいスパイラルになりそうなので、少し自重。ほぼほぼ時間通りに終わることができました。
が、そこから質疑応答がガッツリ返ってきます。時間、ええんですか?でも、振られたネタには返しが必要です。てことで、終了は5時すぎ。
いや、いい時間を過ごさせてもらいました。今日のビールはうまそうだわ!

またーりと

楽しくも激かった一日の次の日は、のんびりまったり。
昼ごろまでゴロゴロ。昼ごはんを食べたら、またまたゴロゴロ。
あぁ、いい一日だo(^^)o

さてと。
昨日でたぶん、夏からずっと追いまくられてきた「なにか」が終わりました。とにかく、一段落。
明日から、少し余裕をもった日が過ごせるかも。長かったなぁ。
リュックの中に入れる本を変えましょう。とりあえず、ベル・フックスあたりからかな。

で、今年唯一の忘年会

おべんきょタイムのあと、しばらくセンセと雑談。でも、はじめて雑談したなぁ。うれしいなぁ。楽しいなぁ。
で、忘年会の場所へ。
ここで、おべんきょ仲間や先輩たちといろいろ話。とは言え、ひたすらおべんきょ関連なんですが、それがいい。心が洗われる感じです。ちなみに、浮世離れしているわけではないです。この現実をどう捉えるかというところに立脚しているので、逆に浮世の話なんですよね。でも、浮世の話を掘り下げていくと、まったく違う風景が見えてくる。だからこそ楽しい。
わいわい話をして、楽しい忘年会がしゅうりょ。

で、梅田で呑んでる暴走機関者たちの呑み会に乱入。
今日も夜は更けていきます(笑)。

レジュメを切り切り

で、大急ぎで「おべんきょ場所」に向かいます。ほんとうは今日は丸一日おべんきょデーだったのですが、午前だけ失礼させてもらい、午後から参戦です。
今日のテーマは『在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成』という本です。
これ、おもしろい。高いけど。
この本をみんなで読みながら、担当の人のレジュメに基づいて「あーだこーだ」と言いあうのがおべんきょです。これが楽しい!
みなさん、それぞれの「おべんきょネタ」がありますから、やはりそこに引きつけて本を読まれます。話を聞くにつれ「なるほどなぁ、そういう読み方があるのかぁ」と思います。
にしても、この本、もともとは太平寺夜間中学独立運動と、そこから生み出された「うり・そだん」「さらんばん」というふたつのコミュニティの成立過程と、そこから生み出された「下位の対抗的な公共圏」について論じられた大作です。で、「在日朝鮮人女性」という観点がおもしろい。一世や高齢の二世は、民族的な抑圧よりもジェンダー的な抑圧をより強く受けるんですね。そして、私的領域に追いやられている。こうした人々がいかにして公的領域に進出し、そこで何が起こったのか。そして、「文化=社会的仲介」が公的領域において行われた結果、それが例えば民族の継承にどのように影響を与えたのかみたいな話で、ものすごく興味深い内容です。
これ、例えば「ウトロ農楽隊」に応用すると、あの「場」をすごく興味深く考察できるんじゃないかなって思いました。
あと、あの本にはハルモニと後続世代の在日朝鮮人女性が主役として描かれていますが、おそらくは東大阪の解放運動や教員たちの力はそうとう大きかったんじゃないかなと。やはり、「問題提起」を「運動」にまで発展させるにはそれ相応のものが必要だし、そこには東大阪在日朝鮮人教育運動がそうとうコミットしていたんじゃないかな。そんな背景を少し想像するとおもしろいです。
でもその上で、東大阪にできた「下位の対抗的な公共圏」のすごさと魅力ーーそれは在日朝鮮人女性をしばるジェンダー規範の強さの裏返しでもあるわけですがーーを感じさせる本でした。
あぁ、お腹いっぱいo(^^)o。

そんなに心配しなくても

今日は朝から兵庫県のとある高校で生徒さん対象のお座敷です。
生徒さんって、はまるときははまるし、そうじゃないときはシッチャカメッチャカだし、かなり反応は極端に振れます。さて、今日はどうかな。
担当教員の方は「うちの学校整列に時間がかかるから」って言っておられて、まあ、その時点で、「きっとなつこい生徒さんたちなんやろな」って想像がつきます。
で、お座敷の時間。たしかに、スパッと整列するわけではないです。でも、出欠確認は生徒さんがやってるし、なかなかえらい子らです。ちなみに、整列の時に「服装をただして!」とかやっておられるので、ますます親近感がわきます。
で、お座敷開始。
笑いは起こらないのですが、たぶんそれは「笑っちゃいけない感」があるだけとことで、あちこちで笑いをこらえてる姿が見えます。これはいい感じです。
教員のみなさん、子どもたちの間を巡回して、ところどころで生徒さんに注意をしてくださってます。でも、全体的にとても静かに話をきいてくれていて、ところどころで反応もあって、すごくいい感じです。なんか、安心して話ができた1時間ちょいのお座敷でした。
終わってからも生徒さんが何人か話をしにきてくれて、中には各種カミングアウトがあったりして、とてもいい感じでお座敷を終えることができました。

最終日→雑事

今日は職場の最終日。もちろん、仕事そのものはここからもあるし、それどころか勤務日じゃなくなるわけではないので、基本的には勤務しなくちゃならないのですが、自分の裁量でいろんなことができるから助かります。
てことで、午前のセレモニーをサックリと終えて、しばらくパソコン画面を覗き込んで、職場を離脱。他の人に頼めない役所関係の用事は、こんな日でないとできません。にしても、こんな時、職場と居住地が離れていると不便だし、本籍地と居住地が離れていると、これまた不便です。ま、しゃーないです。
てことで、役所に行って、「カード」をゲット。これもほんとうはほしくなかったんだけど、これまた時間の制約の関係でやむを得ず導入したんですけどね。とにかくこれで、あと2年はいける。「あのカード」は手元にありませんからね。今のカードの有効期限が終わったら、また持っていくしかないかなぁ…。

その後、各種振り込みを終えて、家に帰ったところで、ふと思い立って骨密度を測りに行きました。結果はと。

測定日 数値(g/cm2) 同年代女性(%) 若年女性(%) 同年代男性(%) 若年男性(%)
2011.4/1       36.6  
2012.5.11   120 112 98 95
2012.11.22 0.737     97 95
2013.4.1 0.749 125 116    
2013.11.11 0.718 120 115    
2014.5.26 0.752 127 116    
2014.11.4 0.760 128 118    
2015.12.21 0.763 130 118    

はい、一年前と変わらずです。てか、少しずつ増えてるし(笑)。まぁ、このまま治療は継続ですね。ついでに掌を見てもらったら、「不治の病」らしく、まぁこちらは経過を見ることになりました。
まぁ、なんしか、こんなもんですね。

一緒に歩こう!

朝、一通のメールが来ました。なんでも、とある場所で
「来年度、いつきさんが引き受けてくれた」
って発表したら、拍手の嵐だったとか。いや、ほとんどネタに近い引き受け方で、ネタに近い仕事を引き受けたんだけど、それが拍手か…。でも、「爆笑の嵐」でなくて、よかったよかった。

で、午後はSEALDsKANSAIのデモ。「あれ」から3ヶ月たったけど、怒りはおさまってない。
「民主主義ってなんだ!」「これだ!」
「ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、押し返すからな!」
約二時間練り歩きました。ちなみに、練り歩いたコースの後を見たら「9」の字です。

デモのあとは、少しだけ呑み。でも、今日は用事があるから、帰らなくちゃ…。

ホームを感じた

このあとは、夜までかけてトリプルヘッダーの呑み。
まずは、聞きにきてくれてたお友だちと、ビールを一杯。にしても、このお友だちもその子どもも、ほんとに成長したよなぁ。これでかれこれ1年半くらい?ほんとに変わりました。
苦労すること、その苦労を拒否しないこと、そして考え続けることと動き続けることが、ほんとに人を成長させるんだなと、あらためて思いました。

てことで、「またあとでー」とバイバイ。
で、向かうは鶴橋です。今日は「リンダ祭り」。なんか、カオスになりそうです。
到着したのは開始から1時間くらいしたあたり。あまりにも宴たけなわです。これはついていかねば!
てことで、チューハイと「あらい商店の牛スジカレー」をとりあえずゲットして席に座ります。なんか、Yきみちゃんがダンスやったり、Yすだ浩一さんがスピーチしたり、なんだかすごいです。
と、リンダさんが
チョゴリ着たい人は着てね」
って言ってくださって、少し躊躇したけど、まぁええかと着てみることにしました。
わたしが着させてもらったのは、チェジュの柿染めのものらしくて、すごく落ち着いていて、それでいて着心地がふんわりしたチョゴリでした。なんか、着ているうちに、心の中のまだ残っている氷が溶けていくような気がしました。
トランス前、チョゴリへの思いはとても複雑でした。例えば「チョゴリの卒業式」みたいな話。「チョゴリを身にまとうことの意味」そんなことは、ずっと聞いてきたし、わかってきました。でも、まわりの人が「チョゴリ、きれいー。チョゴリ、かわいい!」って言ってるのを聞いても、どうしてもきれいともかわいいとも思えませんでした。たぶん、ふたつのハードルが、わたしをそういうふうに思わせたんだと思います。ひとつは、日本人というハードル。もうひとつは「自分は女性でない」というハードルです。ほとんどの人にとって、ハードルはひとつなんじゃないかと思います。でも、わたしにはふたつあり、そして例えば時として「日本人女性」が、片方のハードルを越えてチョゴリを着た時、とてもではないけど「きれい」も「かわいい」もない、どちらかと言うと嫉妬に近いものがあったことを思い出します。
そして、そんな心の中の氷は、わたしの中にまだまだたくさんある。でも、今日、生まれてはじめてチョゴリをまともに着て、そんな心の中の氷が溶けていく気がしました。そして、それを溶かしたのは誰か。それは、もちろんリンダさんであり、Bんちゃんであり、いちいち名前をあげるわけではないけど、そのにいた人たちみんなでした。たくさんの人が写真を撮ってくれました。

それどころか、人によってはわざわざツーショットを撮りに来てくれた。
そこには、珍しいものを見たといった感じじゃなくて、純粋に「似合ってる」「一緒に撮ろう」という空気が流れてました。
そして、高原さんというシンガーさんのジャズの演奏の最後は「オーバー・ザ・レインボー」です。あまりにもできすぎです。
Bんちゃんやウトロのオモニたちの「ために」参加したカウンターが、気がつけば自分のホームになっていた。そんな気がして、だからこそ、心の中の氷が溶けていったんだろうなと思いました。
いままで、わたしは「誰かのためのホーム」をつくることを通して、自分のホームを自分自身の力でつくってきました。それは、「わたしのためのホームは誰もつくってくれない」という、ある種の孤独を引き受けるところから来た態度だし、その孤独を引き受けることでたくさんの人とつながってきたし、たくさんのことができた。
でも、今日は「ホーム」をつくってもらえた。あるいは、ホームに迎え入れてもらえた。それがこんなにうれしく心地よいのなら、これからも「誰かのためのホーム」をつくりつづけるのは悪くないな。そんな気持ちにさせてもらいました。

で、二次会は、いつもの茂利屋。相変わらずおいしいです。ここではPょんちゃんとイスをシェア(笑)。こんなのもとっても楽しい。

で、Iたみへ。ここで、お友だちのU子ちゃんと一歩くんたちがギョーザパーリーやってるとか。まぁ、先ほどの空気は去りがたいけど、こちらにも顔を出しましょう。こちらは打って変わって、またーりモード。緩やかな時間が過ぎていきました。

正直に言ってくださること

今日の午前はT槻でお座敷です。大阪医大のお膝元のこの街(笑)で、はたしてうまく話せるのかな。というより、昨日の呑み会の影響で眠いのなんの。
てことで、少々テンション上げ気味で話してしまいました。でも、2時間もらっていたおかげで、ネタもそこそこ入れられたし、それでも10分ほど質疑応答の時間がとれたし。
てことで、質疑応答開始。
最初の方の質問がおもしろかった。
同性婚を認めたら、子どもがほしい同性カップルが出てきて、その同性同士では子どもがつくれないからAIDが必要になる。そうすると、そこでできた子どものアイデンティティが失われる。このようなことは倫理的に問題なので、同性婚を認めてはならないと思うが、いかがお考えか?」
というものでした。
まわりの人はざわついています。まさか、性の多様性みたいなテーマの学習会で反同性婚な意見が出てくるとはね。
さて、どうするかな。

先ほど言ったように、世界がもしも100人の村だったら、現在はそのうち90人にしか結婚する権利が認められてなくて、10人は結婚できない。で、同性婚を認めようと認めまいと、この10人はいます。で、同性婚を認めるってことは、この10人にも結婚する権利を認めるってことです。だから、もとからその権利を持っている人にはなんの影響もありません。
それから、AIDの問題は異性愛カップルにも同様のことがあるので、同性婚とはわけて考えなきゃならないことです。
さらに言うなら、例えば異性愛カップルであっても育児放棄みたいなことが起こっています。例えば同性カップルで子どもがほしいけど結婚という形態がとれないために子育てがしにくいというような状況がある場合、同性婚が認められたら子育てをしやすくなります。つまり、この場合、同性婚を認めるということは「親を増やす」ということになるので、その分だけ社会全体の受け皿が増えることになり、異性愛カップルの負担が軽減されます。
つまり、多様な家族のあり方を認めることは、社会全体がハッピーになるってことなんです。

てなことを話しました。
すると、質問者の方は首をひねっておられましたが、まわりの人はヘッドバンギングしておられました(笑)。
でも、こうやって空気を読むことなく質問をするって、とても大切だよなって思いました。なぜなら、同じ方向向いてる人ばかりが集まっても、学びが少ないからです。わたしも、その質問を受けた時どう返すかはとっさに考えたし、きっとまわりの人も「どう説明したらいい?」って考えた。なぜなら、次に同じ質問をされるのはまわりの人かもしれないからです。そんな中での質問。だからこそ、わたしの返しに「なるほど」と納得してもらえたとしたら、それはとても大切な学びなんだと思います。
もうひとりの質問者も
「自殺させたくない」
って熱い思いが伝わってくる話をされて、それに対して
「自殺を強調しすぎるのもどうかと。もちろんそういう思いを持つ子もいるでしょうが、そうじゃない形で顕在化しない子もいる」
なんて話をしました。そもそも、自殺念慮を誰がつくっているかというと、基本的には社会なわけです。なので、「支援じゃなくて、社会が変わること」が必要なわけです。自殺を強調し過ぎると、「(緊急的な)支援の必要性」に論議が流れる可能性がある。そんなことを話してたら、12時をあっさりオーバーです。
そろそろ終わらなくちゃね。

変態祭り(リンダ祭り前夜祭的な?)

今日は大正区で呑み会です。メンバーは、S納さんとY田さんとわたしが言い出しっぺで、そこに「
『部落解放』特集:多様な性を生きる人々
」にかかわってくれた人とか、その他呑みに来たい人が来られました。まぁ、公開打ち上げですね。

にしても、こういう呑み会って、なにがおもしろいかというと、異種格闘技戦がはじまるところかな。集まってこられたメンバーの「属性」を見ると、部落・トランス・障害関係者・シングルマザー・在日コリアンてな感じで、でもそれらの人が「属性」に依拠せずに「個人」として語る。そんなのがいいです。
ちなみに、お店を切り盛りされてるのは中国人のお母ちゃんですが、なぜか出てきた食事は韓国料理。なんでも、お母ちゃん、トリリンガルらしいです。なにがすごいかというと、
「8人って聞いてたから鍋を4人分ずつふたつつくろうと思ってたけど、間違って8人分ずつつくってしもたわ。あはは!」
とか言っておられます。そのせいですね。もう、おなかがはちきれそうになっているのに、ぜんぜんなくなりません。これはまいったな^^;;。

てことで、二次会は、いつものS納さんの仕事場の1階にあるステキな立ち呑みです。ここで、S納さんとRンダさんにはさまれて、なんかもう、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました^^;;。

でも、いつも思うけど、こんな場に来て、わたしと「女性同士」のつきあいをしてくれるたくさんの人がいます。いつも「こんなわたしでいいの?」って思うけど、言葉ではなく全身で「いつきちゃんはこっちだよ」って言ってくれてる。
そんな気持ちが伝わってくると、じんわりと幸せな気持ちがこみあげてきます。