で、K野さんと一緒に路地裏のそば屋へ。まずはビールで乾杯です。と、そこへ山口4人組が!お互い「どぇー!」と驚いてしまいました。だって、おとつい「また会いそうだね」といって別れて、昨日土産物屋で会って「また会ったね。また今度」といって別れての今日ですから。
てことで、そんな奇遇をたのしみながら、しばし呑み。あとは飲み物を買い込んで、電車で宴会ですo(^^)o
日: 2015年11月23日
松代大本営
せっかく雪のない時期に長野市に来ているので、やはり「松代大本営」に行かなきゃならんでしょう。
ただ、昼のしなので帰る人もいるので、朝のうちにサクッと行くことにしました。
タクシーに乗って、なんしか松代へ。実は詳しいことはまったく知らないので、とてもわくわくしています。
入坑料は無料!けっこう維持はたいへんだろうに、やはりそれ以上に「残す」ことと「公開すること」の大切さを優先してるんでしょうね。
さてと。坑道の入口です。
坑内に入ると、なんか、もう。すごく長い!
はじめのうちは狭い坑道でしたが、どうやらそこは入口部分の通路みたいです。やがて、広い坑道に出ました。
後で聞いたところによると、ここに居住スペースがつくられていたとか。
で、この坑道、横に全部で20本。それらをつなぐ坑道が縦に走ってます。
坑内はきちんと整備されていますが、それはのちに整備しただけじゃなくて、もとのつくりがとてもしっかりしているってことです。坑道は広いし天井の高さも高いです。圧迫感がまったくありません。東京の機能を移して居住を考えてるわけです。で、その居住者は、もちろん日本人で軍部の中枢の人です。だからこそ、こんな立派な坑をつくった。そのあたりは「どんづるぼう」や「丹波マンガン坑」とはずいぶん違います。
それにしても、歩いているうちに笑いがこみあげてきました。だって、アホや。こんなもんつくって、それであの戦況がどうにかなるわけがない。でも、戦争ってそんなもんかもしれません。もう前へ進むことしか考えられない。なので、アホとわかっていても、いや、もうそれすら考えられない。
で、その壮大なアホな行為のために、たくさんの命が奪われ、たくさんと土地が奪われ、たくさんの人生が奪われた。
で、この「アホ」は、当時だけのことなのかというと、今も現在進行形で続いてる。そして、日本政府はそこに参加したがってる。いや、もしかしたら、政府だけじゃない。サイレントマジョリティもまた、そこに参加したがってるのかもしれません。「自分は大丈夫」って思いながら。
坑道から出て、資料館へ。
こと手の施設にはもれなくついてくる「慰安所」の存在に暗澹となります。しかもそこにいた女性はたった4人。身体に痛みが走ります。
資料館をあとにして、歩きはじめました。のんびりした里の光景が目の前にあります。その裏山に「あんなもん」がある。
そのギャップにめまいを感じながら、なぜか「真田宝物館」へ(笑)。
あかん、おもしろくない。どうやら、わたしの関心は、人ではなく、自然でもなく、人工物。それも整ってない人工物らしいことがわかってきました。なので、唯一おもしろかったのが「古地図」でした。だって、千曲川と神田川の合流点で、街の門の外にある「馬喰町」に一軒だけある家とか、メッチャ興味がわくじゃないですか!
てなことで、松代をあとにしました。