ある種の?

なんか、最近新聞とかまともに読む時間がなくて、いろんな情報を取り入れられなくてまずいなとは思っているのですが。
なんか、MTFTMの方が裁判起こされたとか。
時系列はこんな感じです。
40代で自殺企図
2003年に診断が下る(MTF)
2006年にSRS
2007年に特例法適用
2014年に診断が下る(FTM)
現在50代
という流れらしいです。
自殺企図がいつなのかはわかりませんが…。
まぁ、なんとなくですけど、最初の診断は、別にSRSとは関係ない診断なんじゃないかなぁと。この人が国内の適応判定会議を通ったかどうかも疑問。きちんと文献にあたっているわけじゃないけど、2006年段階でタイの手術へのアプローチはどれくらい厳しかったんだろう。あるいは、国内でも「やってくれるとこ」はありますからねぇ。
何が言いたいかというと、最初の診断がSRSにどの程度の影響を与えていたかってことです。本人の意識としてはもちろんあっただろうけど、例えば本人が「したい」と言い精神科医が「もう少し待とうか」と言ったとしても、現実には「やっちゃう」ことは可能なわけです。
で、「やっちゃう」と、性別変更はできちゃいますよね。だって、やっちゃったもん。やったことを理由として、「最初の診断を下した精神科医以外の人」に書類を書いてもらえばいいわけで。
てことで、WHOなんかが出した声明とは反対に「SRSすれば自由にできる」みたいな状態になっているのかな。

で、最近思うのは…。
手術すれば性別変更できるってことは、ある種「お金で性別が変えられる」くらいの勢いなんじゃないかと。で、SRSの値段も下がってるし、件数はどんどん増えてるし。じゃぁ、もう、そういうふうに割り切ってしまえば、日本はある意味「お金次第ではあるけど性別変更天国」なのかなとか。ま、今のところ片道切符ではありますが。
そんなことを考えてしまう昨今です。

にしても、「なるほどなぁ」と思ったのは、ニュースの文面には一貫して「この女性」と書かれてること。
結局、本人の意志ではなく、書類の性別なんだなと。これが問題だと思うんですけどねぇ。

アイデンティティ・ポリティクス?

なんか、今度、前のセンセも含め、「エライ人たち」相手に話をしなくちゃならんハメになりました。テーマは「アイデンティティ・ポリティクス」らしいです。
んなもん、無理です。だって、聞く人たちは、そのスジのプロだし、「アイデンティティ・ポリティクス」についての研究もしてるだろうし、そもそも「アイデンティティ・ポリティクスを超え」ちゃってるような人たちだし。そんな無理な話をなのに、なぜか引き受けてしまう。この悪いクセをなんとかしないとアカンなあと思うのですが、なかなかなんともなりません。
でも、考え方を変えるなら、この手の無理を引き受けることを通して、「考える」ことができるとも言えます。ま、合理化か^^;;

なんしか、先行研究には少しあたらなきゃならないだろうけど、別に「発表会」じゃないわけだから、「私見」が入っても怒られないだろうし、考えてきたことを話そうかなぁ。