取り残され感?

ここ数年、おそろしいペースで社会というか世間というか、そんなのが動いているような気がします。で、去年の今頃は、その動きにのって、いろんなことをしてました。そのおかげで、今も動きに呼応した情報がいっぱい入ってきます。それはそれでいいのですが…。
9月以降、1月終わりまでは「あえて動かない」と決めました。なので、情報が入ってくるけど動かないという選択をしています。
うーん。取り残され感はハンパないです。
でも、一方で「これもまた大切なんじゃないかな」と思うこともあります。それは「流れの中にいたのではわからないことや、とりこぼすことがあるのかも」ってことです。

例えば、次から次から「新たな問題」が起こる。それにひとつひとつ敏感に反応をしてしまう自分はいます。でも、そうやって反応すると、次第に自分が継続的に考えていることが「古いこと」のように思えてしまう。すると、相対的な「魅力」が減っていく。
でも、「新たな問題」にシフトしたら、「古いこと」は解決するのか。たぶん棚ざらしというか塩漬けになるだけで、解決しない。なので、例え取り残されたとしても、「古いこと」を考え続けなきゃならない。
まぁ、言い方を変えるなら、新幹線の中からは見えない風景が、歩きの中からは見えてくるってことでしょうか。必ずしも新幹線に乗って遠くに行くことが「いいこと」ではない。新幹線で通り過ぎたところに大切なものがあるかもしれない。

まぁ、わたしはアクティビストじゃないからな(笑)。

あっちこっち

朝、とりあえず地元の行きつけの内科医に行って先週の血液検査の結果を受け取りました。
てことで、こんな感じでした。

測定日 E2(pg/ml) T(ng/dl) 薬(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/08/10 67.3 0.05(ng/ml)     4 1本弱
2007/02/08 1430.0    5 1本弱
2007/04/10 1386.0     4 1本弱
2007/06/14 587.2   3 1本
2007/08/16 104.1   2 1本
2008/02/14 681.1   2 1本
2008/04/10 418.0   1.5 1本+α
2008/06/04 65.0   1 1本では足りない
2009/01/27 69.0   1.5 1本
2009/09/17 88.8 603.9   1.5 1本
2009/12/8 174.9 33.6   2 1本
2010/04/26 97.5   5/3 1本
2010/08/09 10以下 0.4 12.9 43.3 0 1本
2011/02/16 43 0.3 13.7 35.3 0.5 1本(無敵)
2011/09/21 24 0.2 14.3 36.3 0.5 1本
2012/07/24 10以下 0.1以下 17.8 63.0 0.5 1本
2012/11/17 30 0.2 9.9 25.1 1 1本
2013/11/11 42 0.1 4.7 19.2 1 1本
2014/03/04 50 0.1 10.2 22.1 1/2 1本

!2014/11/06|20|0.1|8.2|17.3|1/2|1本|◎|
※2013/11/27よりエストラーナを1/2

E2の値が少し低いですね。50くらいがいいらしいです。まぁ、エストラーナを貼り忘れることがちょこちょこあるので、それが原因かもしれません。やはりマジメにやらないといけないのかな。

ちなみに、基準値は以下の通り。

ホルモン 男性 女性
E2(pg/ml) 19〜51 19〜226(卵胞期)・49〜487(排卵期)・78〜252(黄体期)・39以下(閉経後)
テストステロン血清(ng/dl) 225〜1039 3〜67
望ましいT値(ng/dl) 100

で、ホルモンよりも問題なのはγGTP関係です(笑)。

測定日 γGTP ALT
基準値 1-80 5-45
2010/08/24 107 36
2011/08/23 223 82
2011/09/21 184 57
2012/07/24 100 29
2012/11/17 72 26
2013/11/11 118 34
2014/03/04 100 22
2014/11/06 118 23

実は夏の終わりに測定した時は、γGTPが300越してたので、今回は少し気合を入れて下げようと思ってたのですが、10月〜11月が予想外にハード(笑)で、思ったよりも下げられませんでした。でもま、これくらいならマシはマシですね^^;;。

そんなこんなで、そのまま行きつけの産婦人科でヤクをゲット。ふだんは「はいはーい」みたいな感じですが、今日は少しだけ相談。
「ホルモン、いつまでやりますか?」
「さぁ…」
みたいな。つまり、レセプターの問題があって、ネーチブ女性のホルモン補充療法とは違うと。となると、メリットよりも血栓のリスクを考えたほうがいいと。てことは、参考にすべきは前立腺治療あたりなんじゃないかなと。いずれにしろ、症例がないのでわからないと。
ま、そんな感じだったので、とりあえず「わたし」は症例になるべく各種データをとっているので、「後世の人々のために参考にしてね」とは言っておきました(笑)。

で、そのまま京都府中部まで出張。
出張のあとは大阪で定例の会議。
定例の会議のあとは定例の呑み会。
で、定例の終電に乗って、家に帰ると、そのまま爆睡(笑)。

打ち合わせのあとは呑むんだけど

今日は2月にある某研究会の総会の講師さんと打ち合わせ。てか、この時点では「講師を依頼している人」ですね。まだOKもらってませんから^^;;。
とにかく、依頼するわたしたちの側の意図と、お願いしている松永さんの考えておられることのすりあわせというか、そういうものをしなくちゃなりません。
で…。
かなりなかなかおもしろいひとときでした。
例えば「身体障害は受け入れられるけど、知的障害は…」みたいな話は、おそらくはどこにでもあるんじゃないかと。それに対して「ほんまに受け入れてるのか?」という問いかけが必要である。というのは、「健常者ペース」にあわせることのできる人だから受け入れられるだけのことで、それは「健常者ペース」という枠組みそのものを問うていないじゃないかという話。
そういう「健常者ペース」にあわせることがなまじできてしまう自分をずっと問うてきたという話。
あるいは「障害」の「害」にこだわる健常者に対して、そこにこだわる以前に、じぶんの「健常」という言葉にこだわる必要があるんじゃないかという話。
ひとつひとつの言葉をゆっくりと選びながら、出される話題は、わたし自身に返ってきます。

なんか、でも、ふと思ったのが…。
「枠組みそのものを問わない」という人って、小学生にも高校生にも教員にもいる。で、例え教員に対して話をするとしても、「枠組みそのものを問わない人」に対する話は小学生に対する話と同じになってしまうんじゃないかな。で、そのことを「失礼」ともしも言うなら、それはそのことのほうが「失礼」なのかもしれない。

てことで、あとは呑み。
天王寺はいい街です(笑)。

めっちゃ久しぶりに

先日、むかーしわたしを取材してくださった朝日新聞の記者さんから
「関西行くので会いましょ」
ってメールが来ました。
わたし(たち)を取材されたあと、ブリュッセルに行かれて、いまは論説委員をされているか。うちの母親はその方のファンだし、パートナーは誇りだそうです。うん、それだけの人です。
夕方から仕事だとかで、とりあえずランチ。どこに行こうか迷いましたが、まぁここは手堅く「わかば」へ(笑)。
おいしいすじ肉とおいしいお好みをつつきながら、近況報告とか近況報告とか近況報告とか。いやぁ、2007年からすでに7年。いろんなことがありました。それはわたしだけじゃなくて、たぶん記者さんもそうなんですよね。
そんなこんなをダラダラ話をしていたら、あっという間に仕事に行かなきゃならない時間らしいです。
んー
名残惜しいけど、まぁ、また会えるかもしれないので、それまでにネタを仕込んでおこうかな。

家に帰ったら、ふいに眠くなって、爆睡。気がつくと8時です。
ありゃぁ^^;;。

佛大近辺で呑んだら〆はここでしょう(笑)

で、「反省会」。
なんか、バギやんと同じテーブルになって、気がつくとお好み焼論議になって、これはおもしろいなと。で、「またお好み焼き食べに行きましょう!」と意気投合したりするわけです。お好み焼きは人と人をつなぎます(笑)。
で、一次会終了。続いて知り合いと二次会ヘ。なかなかな裏話を聞かせてもらったりして、「中の人」はいろいろたいへんだなと。
で、やっぱりここまで来たんだから、佛大前の天一に行きたいわけです。てことで、結局天一に行って「ニンニク大ネギ大」などと口走って、一日を〆ました。
あー、うまい!でも食べ過ぎたわ^^;;。

「今、歌い語る、水平社宣言の精神」

今日はツラッティ千本主催のイベント「今、歌い語る、水平社宣言の精神」てやつです。歌うのは歌う浪速の巨人・趙博さん、語るのは水平社博物館学芸員の駒井忠之さん。で、わたしにはなにをせいと^^;;。
とりあえず、早めに会場に行って、ネタを仕込むことにしましょう。で、喫茶コーナーでパソコン開いてカチャカチャやってると、声をかけられました。うわぁ、後藤直さんだわ。
ご「組合の結成の時以来ですね」
い「もう20年近いですか…」
みたいな。そのうち趙博さんの登場です。相変わらずの存在感です。そのうち駒井さんも登場。シュッとしてはります。んー、ますます立場がない^^;;。ま、とりあえず、ネタは仕込んだので、これでウケがとれなければダメということです。
打ち合わせに行く途中、バギやんさんと少し話。
バ「はじめてお会いしますよね」
い「いやぁ、わたしは一方的に存じていますが…。はじめて歌を聞いたのは、大阪市大で久美ちゃんが話をした時で」
バ「じゃ、10年以上前ですね」
あの頃…。まだ脱毛もしてなかったよなぁ(笑)。
昼ごはんの時に堀家さんとごあいさつ。一度、お会いしたいと思っていたんですよね。というか、講演依頼をしようと思ったことがあるのでとてもラッキーでした。

で、イベント開始。司会の古川豪さん、完全にライブの司会になってます。まぁ、血が騒ぐのでしょう(笑)。
で、バギやんの歌がスタート。いきなり「インター」からですか^^;;。続いて「橋」。そして「核かく死か慈か」と続いていきます。「グーチョキパーの歌」をはさんで「ヨイトマケ」へと。そして「百年節」でライブ終了です。

さてと、出番です。
まずは駒井さんから基調講演が20分。続いてわたしです。わたしに与えられたセッションは2回。それぞれ10分。前半のセッションで仕込んだネタでウケをとる&東郷健ネタであえての局所的なツボにもっていく。ここで、いったん水平社宣言を落としておいての、後半のセッションで水平社宣言に絡めた話をするという、わたしにしては珍しく「組み立て」なんぞをしてみました。
ま、それはそれでうまくはいった気がするのですが…。バギやん、すごいわ。迫力です。「歌う浪速の巨人」であると同時に「闘う浪速の巨人」です。このあたり、光敏さんと似たところがあります。で、売られた挑発をきちんと受けとめる山内政夫さんなんかもおられて、相当に濃いぃシンポも終了です。
つ、疲れた^^;;。
でも、楽しかった(^^)。

学力と階層と文化

今日のおべんきょは学力問題のまんまんなかの話です。
鍋島祥郎さんが2001年の大阪調査をもとに書かれた「誰が落ちこぼされるのか」とセンセがかつて行なった学力と生活実態調査のふたつのデータをもとに話が展開されました。
ふたつの調査、規模も手法もまったくちがいます。かたや大規模調査、かたや学校単位の小規模調査です。ちなみに、小規模調査が劣っているわけではありません。すごくきめ細かく調査を行っているのみならず、その調査結果をいかして、今もとりくみが続いています。
にしても、ムラとムラ外の学力格差は顕著にあらわれますね。というか、より顕著なのが「敏感仮説」というやつです。
「敏感仮説」ってなにかというと、例えばこんな感じです。
荒れたクラスがあるとします。しかし、だからといって全員が学力が下がるわけではない。荒れた状況とは無関係に淡々と勉強をし、学力を獲得する生徒もいます。しかし、その「荒れ」の影響をまともにくらって学力が獲得できない生徒もいます。で、「しんどい」状況におかれているほうが影響をまともにくらいやすい。つまり、敏感であるということです。
では、この「しんどさ」っていったいなんなんだろう。それは、文化階層とどの程度関係があるか。あるいは、ムラであること(鍋島さんは「身分」という言葉を使ってましたが、センセは「ムラ文化」って言ってました)とそうでないことはどの程度関係があるか。このあたりの分析が鍋島さんの論文でした。
で、結論的には、当然のことながら文化階層と学力に相関関係があるのですが、文化階層が高い層についてはムラとムラ外はあまり差がない。ところが低くなると顕著に差が出てくる。
まさに「敏感仮説」なわけです。
まぁ、考えてみると、なんかわかる気はします。おそらくはセーフティーネットの網が荒いんです。なので、どこかにほころびができると、それを補完するものが少ないので影響をまともに受けてしまう。
「誰が落ちこぼされるのか」です。
で、これ。ムラが「劣ってる」とかいう話ではないんですね。どちらかというと、「学校文化との親和性」の話です。
こう考えると、学校文化の多様性のなさって、ほんとに問題だなぁと。でも、なぜ多様性がないかというと、多様性があったら「支配層」が困る。だって、近代の学校って、序列化・選別・階層固定のための装置なんでしょうね。
そこに身を置くものとしては、どうすればその「装置」に抗い、無化できるのかなぁ。そんなことを考えるわけです。

牛歩のごとく

「おべんきょ」って、いままでのわたしの脳みその使い方とは別の使い方をするみたいです。
わたしの今までの脳みその使い方は、どちらかというと、外界からの刺激をどんどん受けとめて、それを組み合わせながら新たなものをつくりだしていく、まぁ「目のつけどころがシャープでしょ」的なやりかたをしてました(どーでもいいけどおもしろい…)。
に対して、「おべんきょ」って、正反対に近いところがあります。外界からの刺激に反応しているとブレてしまう。もちろん刺激そのものは必要なんですが、それを過剰に取り込み過ぎると、どうやらダメなようです。のみならず、集中が途切れると、まるで強力粉でつくった餃子の皮のように縮んでしまう。いかに集中を持続するか、あるいは集中を切らなきゃならない時は、いかにそこでフリーズドライするかみたいな脳みその使い方が必要になります。
でも、そうやって深く考えると、突然目の前の雲が晴れて新たな世界が開けるみたいな瞬間があります。

てことで、「日常モード」と「おべんきょモード」の切り替えが、わたしの場合どうしても必要になります。
てことで、昨日あたりから、ようやく少しずつモードが切り替わってきたみたいです。外界からの刺激はてきとうに流して、頭の中を「考え」で満たす。そして、必要に応じてそれを瞬間冷凍して、外界と交渉する。
そうすれば、いろんなことが少しずつでも前へ進んでいきます。「牛歩のごとく」でいい。

ダウン

今日は2学年で人権学習があります。とはいえ、すべての準備は昨日終わっているので、今日はお任せする以外、できること/やらなきゃならないことは、なにもありません。でも、やはり朝はドキドキソワソワするものです。
はっきり言って、自分で使うために自分で教材をつくって、それで授業するならこんなにドキドキソワソワしません。でも、自分がつくった教材を他の人が使うとなると、ものすごく緊張します。なんか、自分の恥ずかしいものを見せて*1、しかもそれを人に評価されるみたいな。
なんというか…。出しちゃうとあともどりができないんですね。修正が効かないんです。なので、メッチャこわい。
なので、いろんな人と教材の話をします。ほぼほぼ理解をしてくれていたり、いい評価をしてくれていたりしたら、かなりホッとします。
てことで、期待と不安がひとつになりながら(笑)、午前の仕事をサクサク。
しかし、この手のことに比べたら、「授業」のなんと簡単なことよ(笑)。
で、バタバタしているうちに、どうやら^^;;人権学習も終わったみたいで、昼休み。

ところが、このあたりから、わたしの頭の中の「モード」が切り替わったみたいです。完全に頭を他のことが支配しはじめました。不思議だ。で、油の切れた脳みそがのたうちまわりながらもまわりはじめます。いやぁ、錆びついてます(;_;)。ま、今日は錆落としですね。

で、放課後は会議。
と、4時を過ぎたあたりで、いきなりダウン。爆睡です。いや、わたし、会議中に寝ることはほとんどないんです。でも、今日はダウン。
うーん。これはかなり疲れてるな…。

で、職員室に帰ると、一枚のプリントが机の上においてありました。あるクラスの学級通信でした。今日の人権学習の感想を掲載した通信を明日さっそく配られるみたいです。
そこに乗っている作文を見てると、書いた生徒たちの顔が浮かんできます。
「そっか、あいつ、あの教材でこんなことを考えてくれたんだ」
なんか、その一枚のプリントですごく癒やされました。
我ながら単純だな^^;;。
少し心が軽くなったところで、おうちに帰りましょう。

*1:それっていったいなんやねん(笑)。

とにかくこなせ!

今日は出張日。だけど、出張がない。てことは、一日雑務ができます。とはいえ、明日までにやらなきゃならないことが山になっています。
とにかく山を崩す。
考えるより先に身体を動かす。
「やるの、たいへん」
とか思っているヒマがあれば、その時間にやれば、その分だけ前へ進みます。
雑務はやれば必ず片づく。そして、手をぬかない。
そんな感じでひたすら動いていたら、終業時間間際にいきなりパワーダウン。
あり?ゼンマイが切れたかな?
てことで終了。

でも今日の仕事、ひとりではできなかったよな。
ここ数年「サブをつけてくれ」と主張し続けてきて、今年ようやく2人体制になったのが大きいわ。