えらいことになりそうだ…

選択肢は3つでした。「懇親会に行ってハードに呑む」「I藤さんたちと優しく呑む」「ホテルに帰って寝る」。もちろん、この順番は「ハードさの順番」です。で、選択したコースは、もちろん1番目(笑)。だって、パネラーから
「来ませんか?もう少し話したいんです」
とか言われたら、行かにゃぁならんでしょう。
てことで、いったんホテルに荷物を置いて、ついでに髪の毛を洗って、向かったのは「りゅう」という鉄板焼き屋さん。会場に到着すると、おじさまたちがたくさんおられます。うわぁ^^;;。でもさいわいあまりおじさま的じゃないところに座れたので、Hョンネくんとかセンセーショナルな発言をした人とかといろいろ話。そうこうするうちに、生徒交流会への卒業生の参加のしかたみたいな話になって、だんだん話が盛りあがってきました。やがて、
「卒業生の全国大会をやろう」
「そやね。ちゃんとみんなでごはんをつくって、班別討論して、ルーツ別もやって」
「1年前くらいに広報して、本気でみんなが集まれるようにしよう」
「初代実行委員長、やりますよ」
みたいな話になってきました。これはえらいこっちゃ。でも、来年ならできるな(笑)。

てなことで、そろそろ身体が傾いてきたのでお開きです。まだ11時になっていないから、よしとしましょう。ホテルに帰ったら、速攻爆睡でした。

オルタナティブな班の必要性?・全国在日外国人教育研究大会(1日目)

朝「お先に食事に行きますよ」と声をかけられて目が覚めました。でも、ダメです。身体が動きません。いや、そういうわけにはいきません。動かさなきゃならんのです。
なんとか食堂に行って朝ごはんを食べて、そのあとY美ちゃんの事後処理(笑)開始。といっても、基本的には全部他の人がやってくれているので、最終段階の処理だけです。
そんなことをやっていると、班別討論には入れません。というより、入れる体調ではないわけで…。てことで、「班には入れない生徒や卒業生」の班を勝手につくることにしました。ちなみに、ひとりではなんなので、K野さんも引きずり込んだりして。そんなこんなで2時間ほど台風情報を見たりしながら過ごして、そのうち全体会があって、記念写真を撮って、今年の全国在日外国人生徒交流会は終了です。

で、Tーますの車に乗せてもらって本大会の会場に向かいます。
到着すると、ちょうど大会がはじまるところでした。いいタイミングです。いろいろ知りあいとあいさつをして、とりあえず本部に荷物を置いて、大会に出ようかと思ったけど、そのまま本部でダウン。まぁ、どうせいろんな人のあいさつの時間だからいいや。ダウンしている間、H野さんが、いろいろかまってくれたので、ありがたやありがたや。
そうこうするうちに、お待ちかねのシンポジウムのはじまりです。若い世代の人たちはどんなことを考えているだろう。話を聞いていると、
「基本的には今も昔も変わらないんだなぁ」
と思いました。それは「自分が外国人であることがわかった時になにがおこるかわからないという「おそれ」」と言えばいいのかな。もしかしたら
「そんなん考えすぎ」
と一笑に付されてしまうかもしれない杞憂。でも、その杞憂がリアリティをもって存在する時、おそらく「語れなくなる」のかなぁ。そして、その「おそれ」「杞憂」が存在している限り、やはりそこに「差別」はある。
まぁ他にもセンセーショナルな発言^^;;があったりして、なかなかスリリングというか課題を残すというか、そういうシンポジウムでした。でも、だからこそおもしろかった。

卒業生の相手は得意なのさ・全国在日外国人教育研究大会(0日目)

徳島の待ちあわせ場所に着く頃には、台風の影響でえらい雨です。待ちあわせ場所にはすでにK野さんがおられます。ちょいと食べ物飲み物を補充して、広島へ向けてGo!途中、しょーもない話とか、しょーもなくない話とかしながら、9時過ぎにはなんとか広島の山中にある青少年施設にに到着。とりあえずおなかにものを入れて、いきなりルーツ別の話しあいです。ハードやなぁ。
わたしが担当した「ルーツ」は日本人の班。ここの話しあいが、実は一番難しいですよね。完全アウェイのところにあえて参加しているわけで、そこにはいろんな思いはあるんだろなぁとはおもうのですが、それを言葉化できるかというと、それはそれで難しいわけです。はじめは通り一遍の話をしていたのですが、なんとなく膠着状態になってきて、「うーん」となってしまいました。で、ちょこっとチャレンジしてみようと思い、爆弾を投下。逆にみんな黙り込んでしまったりして^^;;。

ルーツ別の話しあいの後は、わたしはサポーター*1としばらく打ちあわせ。今日一日の論議を振り返って、子どもたちの様子や話しあいの内容についての振り返りです。で、1時間ほどいろいろしゃべって、「さて、どうしよう」。ここらでちょこっと燃料補給をしたいところですが、大人の引率と混じるのはなぁ…。いや、ポリティカルコレクトな選択をするのであれば「ミックス」なわけですが、卒業生は卒業生ならではの話があって、それは教員の前ではなかなかしにくい。というか、教員が卒業生と話したくて、卒業生同士になかなか話させてくれない可能性が大です。
「ま、いっか」
ということで、急遽卒業生交流会の開会です。いやぁ、おもしろい。きっと教員の前では見せない卒業生たちの姿が目の前にあります。
ちなみに、わたしは教員ではないのかというと、もちろん教員なわけですが、なんだろ、あまり教員と見てくれていないというか、なんというか…。まぁ、それを物語るかのような論議があったわけで、
「○○先生の頭をはたけるか」「No」
「いつきちゃんの頭をはたけるか」「Yes」
みたいな話が繰り広げられていました(笑)。
てことで、最後はY美ちゃんがえらいことになりはじめたので、強制的に布団に放り込んで、上から押さえつけて、電気を消して、お開きです。
うわ。3時半。わたしも着替える元気もなく、ベッドに潜り込むと同時に落ちました。

*1:卒業生および卒業生(笑)

初の淡路島

今日は淡路島でお座敷です。考えてみると、幾度となく通過した淡路島ですが、知っているのは「淡路SA」の中だけです^^;;。それもそのはず、バスで行こうと思ったら、至難の業です。なにしろ、停留所が少ない。しかも、関西からだと、行きはいいけど帰りが帰れません。いや、バスは止まりますが、「降りる」だけで乗れないんですよね。
てことで、会場へ。と思ったのですが、阪神高速が渋滞していて、到着時間がきても、まだポートタワーが見えています。どうなんねん…。でも、開会10分前になんとか滑り込みセーフ。ホッとしました。
ようやく会場に着いたわけですが、台風11号が近づいていて、今にもえらい雨とえらい風になりそうです。そんな中、来ていただけるのは、うれしいやら申し訳ないやら。今回は「女性教職員研修会」なので、お客さんは女性ばかりです。さてさて、どうなるか。みなさん、はじめはとまどいが隠せない感じですが、徐々に慣れてこられたみたいで、「ペース」にはまってこられます。ちょっとホッとしますね。しかし、わたしの方がペース配分を間違ってしまったみたいで、どうにかこうにか時間ギリギリに終了です。で、終わったかと思ったら、ちゃんと質疑応答をされます。で、みなさん帰りの時間を気にして質問されないかと思いきや、ちゃんと質問されます。しかも、2月だったかに一度話を聞かれた方がおられたりして、これはえらいこっちゃと。で、話が終わった後、さらに前に来られていろいろ個人的に質問をされたりして、なんか、ただならぬ熱気を感じてしまいました。うん、うれしいですね!
てことで、みなさんからすごく暖かいものをもらって、Tさんの車に乗せてもらってなぜか徳島へ。

教育とは

今日のおべんきょは「社会教育の理論」らしいです。とにかく、ひたすら上原専禄だらけです(笑)。
実は、というか当然のことながら、というか、わたし、上原専禄さん、知らないです。いや、きっと「知らんの…」ってあきれられるかもしれないけど、知らないものは知らないんです。なんか、すごい人みたいだなってのは、よくわかりました^^;;。

教育とは…。生活と科学をつなぐものである。
一見「あたりまえ」とも見える、単にこれだけのことなんだけど、なかなか奥が深いらしいです。
あるいは「神なき国の教育論」。ふむ。
「権利とはなにか?」「自立とはなにか?」「一人前になるとはどういうことか?」
ひとつひとつ、あたりまえのことを問うていく。答えにつまります。自分の心の中の言葉を探します。このおべんきょで最も鋭く問われたのは、実はここでした。頭の中の言葉ではなく、心の中の言葉を探す。自分の言葉で語る。自分の経験、自分の生活、そこからスタートする。
あ!
これです。「科学」からスタートしない。「生活」からスタートする。「生活」から「科学」を問う。「科学」で得た答えを自分に返す。それを生活に組み込み、さらに生活を深く問う。それをつなぐものが教育?
「社会教育」を考えることは、いつのまにか「教育」を考えることになっています。

結論は、よくわからないです。というか、言葉にはできない。でも、頭の中にいっぱいものを詰めて、思いっきりシャッフルされた気がしました。

あー
疑問…。
社会教育と運動は違う…。
それはその通りです。が、運動と闘いはまた違うはずです。
マイノリティにとって、学ぶことは生きるための力を獲得することです。そして、生きることは日常的のそこここにあるとても小さな闘いの連続でもあります。つまり、学ぶことで闘いの力を得るということに、結果的になるわけです。
その闘いを普遍化することは運動と言えるかもしれない。でも、その普遍化を拒否する。普遍化の少し手前、共有。共有の少し手前、共感。共感を再び個にもどす。そして、生活にもどす。学び考え、日常を生きる。その日常という名の闘いは、運動ではないのではないかと思うのです。
では、社会教育と闘いの関係は?
違いますよね。でも、そこは切り離せるのかなぁ…。

乱入

で、かなり迷ったけど、某所で行われているらしいとある飲み会に乱入。
うだうだしゃべって、二次会へ。
「いつきさんはなにを目指してるの?」
みたいな度肝をぬかれるような会話をしながら、ダラダラ飲み。うわ、これ、帰ったら11時まわるやん(;_;)。
とか思ったけど、楽しかったからすべてよし(笑)。

落陽

いわゆる「明治維新」のあと、政府は民衆を教化する必要があった。その実現のために持ち出されたのが「社会教育」という概念。これは主として農村部・漁村部、あるいは都市部における貧困層を対象に行われる。これは、生活の改善・安定と引き換えに治安維持を目的としていた。
ところが、1920年代に5年間ほど、あだ花のように「自主・自立」を掲げた社会教育の側からの教育全体の再編の動きがあった。それを推進したのは経済界からの要請。その背景にあったのは「総動員体制の実現」だった。しかし、結局官僚からの強い反発の中でつぶれていく。
しかし、この「自主・自立」の社会教育は、例えば市民社会の実現をめざしていたのだろうか?そこには、リミッターが働いていたのではないか。というのは、「総動員体制」をつくるためには、事細かに教化をするよりも、ある程度自主的に動いてくれる方が効率がいい。そういう意図があったのではないか。果たして「誰の要求」だったのか。そこはまだ解き明かされていない。
で、社会教育は再び「教化」の方向へと向かいながら、日本は敗戦を迎える。
ここで再び「自主・自立」が掲げられることになるけど、臨教審路線以降「民間活力の活用」が叫ばれはじめる。その中で「教育と学習を切り離す」というロジックで「学習」が商品化されはじめる。その延長線上に今日の「生涯学習」がある。

みたいな話。
なんか、しんどかったですねぇ。100年ちょいかけて、「社会教育」の「思想」や「理念」を、ほれこそ命がけで探し求めた末にもたらされたものは「商品化」だった。
なんか、燃えさかるワルハラ城を見る気持ちがしました。

でも。
極端に青年会活動にシフトされた日本の「社会教育」は、高校進学率の低さによる補完の意味があった(代位状態)みたいです。それが、高校進学率の上昇とともに、その意味が薄れていった。であるならば、もしかしたら、格差社会の進行と同時に「高校卒業率の低下」が進行している(かもしれない)現在において、商品化された「生涯学習」にアプローチできないそうに対して、再び「社会教育」が必要とされる時が来るのかもしれないなぁなどと、ぼんやりと考えました。

持続可能な集団づくり

今日から3日間、まる一日おべんきょの日が続きます。少し気が重い朝です。
何が重いかというと、今、ガチで考えなくちゃならないことがあって、自分の意識の大部分がそこにいっています。で、そこに「おべんきょ」が割り込んでくると、意識が拡散してしまう。雑音が入るという感じですかねぇ。これがしんどい。でも、どうしてもやらなきゃならない「おべんきょ」なので、ここはふんばりましょうか。
「おべんきょ」の中身は「社会教育」です。そう言えば、今を去ること30年ほど前、とある面接試験の時に
「君は社会教育に関心があるんだね?」
「社会教育って何ですか?」
という会話をしたことを思い出しました(笑)。ま、その面接、合格したから今ここにいるんですけどね^^;;。
今日の内容は「事例紹介」とのことです。
まずは「松川町の健康教育」から。
詳しいことは省きますが、すごいですね。あこがれます。5年がかりでそこまでやるかと。でも、よくよく考えると、わたしが考えてきた「クラスづくり」「グループづくり」と似ています。わたしの場合、それを1年とか下手すると4日とかでやらなきゃならない。それを「出入りの自由がある」とは言え、5年かけてあるいは場合によっては更に長い時間をかけてできるわけで、そんなところに「社会教育」の可能性を感じてしまいます。さらにもう一つおもしろいなと思ったのが、実践を通して、社会教育を「する側」も変革されていく。
「教育とは変革である」
との言葉を吐かれた方らしいですが、それが「変革を促す側」にもある。なぜこんなことになるのかなと思ったら、たぶん「答え」があって、そこに近づく実践ではなく、常に試行錯誤の中から次の一歩を考え、踏み出す実践だからかなと。
そんなことを考えながら、次の事例へ。
次の事例は宇和島とか湯布院を題材にした町おこしの事例です。これもなかなかおもしろい。いわゆる「社会教育主事」みたいなのががんばる事例ではないのですが、リーダー格の人がさまざまな困難に対して、うまく町のリソースを使い、あるいは他のリソースを導入しながら町おこしをしていく。そんな話でした。
で、最後の事例は「東亜紡績泊工場」の「生活を記録する会」の実践です。15歳くらいで「金の卵」として紡績工場に就職してから、今に至るまで生活を記録する女性たちってなにものなんだと。しかも、その文章たるや…。
なんてあたりに感動しビックリしてたのですが、やがてジワジワと違和感が自分を襲ってきました。
ちょっとまてよ?
松川町の「若妻会」と社会教育主事の松下拡の関係。泊工場の「生活を記録する会」と沢井余志郎の関係。指導する男性と指導される女性。いや、けっしてそんな一方的な関係ではないのですが、なんなんだろうこの違和感。うーん。
ま、構図として、東洋の魔女大松博文

「あたりまえのこと」を「あたりまえのこととして」

今日はとある人権教育研修会。
午前はレポート発表をしなきゃなりません。考えてみると、ここ3年連続でレポートしてます。おととしは、久しぶりに本気で
「全国行ったるねん!」
と思ってレポートしましたが、年々モチベーションは下降して、今年は
「んー。誰かやろうよ。あー、やらへんの。ほなしゃーない、やるわ」
でレポートすることにしました。
子どもにかかわるレポートはすでにできる立場にはないのですが、自分なりに新たなことにチャレンジし続けているので、それを言葉に置き換えたらレポートはでっちあげられます。でも、ほんとはそんなレポート、一文の価値もないんだけどなぁ…。
それでも、分科会終了後、昼休みに新採の人が
「レポートのあの部分が心に残りました」
なんてことを言ってくださって、これはかなりうれしかったですね。
で、午後は講演。講師は住友剛さんです。テーマは「子どもの人権」。わたしたちの研究会でははじめてとりあげるテーマです。ちなみに、最近、「いじめ」や「体罰」について研修をしろとかいうお達しがいろいろ来ていて「それならば」ということで設定したのですが。さてさて、どんな話になるかなぁ。
話を聞きはじめると、ほんとに「あたりまえ」のことを言っておられます。一貫して言っておられるのは「子どもたちとは「応答的な関係」を」ってことです。何も新しくない。でも、それができていない。そのことに気づかされる。
とにかくいろんな事例を出して「こんなふうな関係を」「こんなふうに対応を」って言われるのですが、そのひとつひとつがストンと落ちてくる。でも、実際の学校ではそうはなっていない。そのギャップに苦しんでいる自分に気づきます。あるいはあきらめそうになっていた自分に気づきます。
話を聞き終わって、なんか、すごく勇気と元気がもらえました。
うん、明日から、もう少し自信を持って「ダラダラ」やろう。

こんな一日がもう少しほしい

朝、寝坊ができません(;_;)。
ま、いっか。それでも普段よりははるかに寝坊しています。
しばらくふとんでゴロゴロして、さらにふとんでゴロゴロして、思い立ってホームセンターへ。買ってきたのは「野球網」なるものです。
とりあえず髪をカットしにいくパートナーが急いでいるのでさっくりと五目ラーメンをつくって、さて、作業開始です。
かつてより幾度か修理してきたデッキチェアですが、ほとんど亀甲縛り状態だったりして、なかなか「これ」という修理ができませんでした。前回はでやってみたのですが、あっという間に破れてしまいました。あの時「次は網で」と書いたわけですが、そのチャレンジが今日になったわけです。
一重でいくか、二重にするか、はたまた四重にするか。ま、四重はオーバースペックというか、幅が足りなくなるので、ここは二重にしときましょう。
次の問題点は止め方です。はじめはタイラップで止めようと思っていたのですが、力のかかり方がかなり局所的になるのであまりよくないかなと。となると、やはりロープかな?ロープを網目ごとにぐるぐる巻こうか…。それもめんどくさいですねえ。てことで、輪っかをつくってひっかける方法を採用しました。
で、完成o(^^)o。

前に修理に使って破れた布を敷いて寝転ぶと、なかなか快適です。

さて、本を読もう。
選んだのはケイト・ボーンシュテインです。
うーん。なんとなく語り口が蔦森さんに似ています。もしかしたら、黎明期のトランスジェンダー特有のもの?いや、ジェンダーに真正面から向き合わざるを得なかった時代だからこそ、そしてそこから逃げずに向き合い続けたからこそ到達した地点?そうか、もうひとつはMTFであること。それがパトリック・カリフィアに感じた微妙なズレとの差なんだ。
先日引用した
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
を考えるに不可避な本ですね。訳してくださった筒井真樹子さんに、いまさらながら感謝です。